5Fx4 毒茸
507号室に戻ると、クミは既に着替え終わっており、落ち着きを取り戻したようで、ベッドの上に腰掛けていた。
服はフロントで見かけた時と同じ、かわいいファンシーなものだったが、顔や肌の紫色と合っていない。
決して口に出しては言えないが、ゾンビ化したアイドルのようにも思えた。
五味君の遺体には、とりあえず掛布団がかけられているのが目に入る。
クミの傍には小糸さんが座り、優しく彼女の髪を撫でていた。先輩はもう一方のベッドで肩ひじをつきながら横になっている。
なお、最初に僕に声をかけてきたのは、クミのほうからだった。
「もしかして……ミチスケ君……ですか?」
彼女は僕を見て驚いたように目をみはっている。
泣きやんだばかりで目がまだ充血しており、かわいい顔立ちなのに顔色とのコンビネーションが少し怖い。
彼女は先ほど僕がこの部屋にいたことに気づいてないようだ。五味君のことに気を取られていたので、当然と言えるかも知れない。
勝手に裸を見られたと思われても困るので、僕は少しホッとしていた。
「えーと……クミちゃんだっけ……このたびは……」
このたびは……その後何と言えばいいのかわからず、ただ口をモゴモゴさせる。
「その身体……どうしたんですか?」
彼女は驚きとも心配ともつかない表情で僕を見つめた。
「あ、これ?目が覚めたら腰から下がなくなっちゃっててさ。はは」
僕は、お互い大変なことが起きてるけど頑張ろうね、と彼女を元気づけるつもりで言ったのだが、それはただ空回りした。
僕が不在の間、小糸さんがクミから少し話を聞き出していたようだった。
彼女の名前は
五味君の年齢がひとつ合わない気がしたが、一浪か留年したのかも知れない。
しかし今何より気になるのは、五味君がなぜ亡くなってしまったのかということだ。
彼女は、ようやく気持ちが安定してきたのか、小糸さんに促されるように、そのことについても語り始めた。
「……私が、マサヒロと……ちょうどその……アレをしてる時に――」
「そのアレとはセックスのことか」
「要するにセックスですね」
先輩が直球を投げると、小糸さんがすぐさま同調した。
何だこの身もフタもない人たちは。
「え、ええ、そうです……で、その時に私、急に気分が悪くなって……それで上に乗ってる彼の顔を見たら、彼はものすごく苦しそうにしてて……あまりに怖い顔だったんで、私大きな悲鳴上げて……そのまま気を失っちゃったのか後は覚えてなくて……」
僕と小糸さんが聞いたのは、この時の悲鳴に違いない。
だが、今の話を聞いても、五味君がなぜ死んだのかはわからない。いや、そもそも理不尽なことばかり起きているのだし、そこを追及しても何も得るものはないのではないか。
ただ、ひとつだけ言えるのは、僕の下半身喪失、先輩に翼が生えたこと、クミの変色、五味君の死、これらはこのフロアが別の世界に移動した際に発生したのではないか、ということだ。
「えーと――」先輩が何か思いついたように話し出す「あの男のほう――」
「五味君ですか?」
僕が補足すると先輩は続けた。
「ああ、そういう名前だっけ。アイツの胸とか腹がさ、ちょうどこのドクミの肌の色が移ったみたいになってて――」
「あの私、シシ・ドクミじゃなくて、シシド・クミです」
クミが指摘するも、意に介せず先輩は彼女に問い返す。
「お前、毒持ってないか?」
僕らの間に、しばし沈黙が訪れた。
クミは唖然とした表情を見せた後、そのままうつむいてしまっていた。
先輩の疑問については、僕も同じ可能性を考えていた。しかしそれを本人が自覚するには時間的に間もないし、さらに、自販機前で「お前百円持ってる?」風に訊かれても、答えようがないではないか。
「あのー……」そんな中、言葉を発したのは小糸さんだった。
「私、さっきから結構クミさんに触れてるんですよね。着替え手伝ったりとか。でも何ともないし、もしかしたらそれは違うのでは?」
小糸さんはそう言うと、クミの手を両手でしっかり握った。クミは一瞬、小糸さんの突然の行動に少し驚いたように見えたが、やがて唯一の味方でも見るような目で彼女を見つめるのだった。
「いや、あたしもそれは思ったんだよ。奥さんが触っても平気そうだしさ。それから――あともうひとつの可能性としては、長時間触れてると、とも考えたんだけど、さっきの話じゃアイツが苦しみだしたのはドクミが変色した直後じゃないかと――」
クミは、もう先輩の間違いを指摘するのを諦めてしまったようだ。間違いというよりも、絶対に先輩はわざとそう呼んでいるに決まっている。なぜならば、人類を善と悪に分けた時、先輩は確実に悪のほうに属する人間だからだ。
「で、もう一個の可能性も考えてみた」
そう言うと先輩は僕のほうへと振り返る。
「テケ松、お前ドクミのこと触ってみ?」
聞き間違いだろうか?先輩はいつもと違う感じで僕のことを呼んだ気がする。
まあそれも問題だが、問題の本質はそこではない。
先輩は、僕に人体実験の被験者をやらせようとしているのだ。
やはり「悪のほうに属する人間」の考えていることは、邪悪この上ない。
そんな感じで僕が戸惑っていると、小糸さんが握っていたクミの手を、こちらに優しく差し出してきた。
彼女は「さあ触ってごらんなさい。大丈夫よ」とでも口にしそうな、慈母のような微笑みで僕を見ている。さすがこれから母となる人は違う。
クミもまた、どこか恥ずかしげに僕のほうをチラチラ見ている。「私のバレンタインチョコ受け取ってくれるかな?」という感じもある。いやそれは考えすぎだろう。
しかしながら、これで僕に対する「人体実験包囲網」は完成した。
だが、僕が毒に侵されて五味君同様死に至るというのは、やはり杞憂であると考えたい。
何しろ小糸さんが平気なわけだし、傷心のクミに少しでも安心感を与えたい気持ちもある。
彼女が毒を持ってないことが証明されれば、五味君の死は自分が原因ということにならないのだ。しかしその逆なら……
何にしても僕はもう覚悟を決めた。
差し出されたクミの右手に対し、僕もおそるおそる右手を差し出す。
女性の手を握るなどという行為は、「オクラホマミキサー」以来という緊張感もある。なお、どこかで酔っぱらった先輩に手を握られている可能性はあるが、それはノーカンである。
そしてようやく彼女の手を握った。
……何だ、平気じゃないか。
むしろ、女の子の手の柔らかさを感じて少しドキドキする。
クミの顔を覗き込むと、ホッとしたように微笑んでいるかに見えた。しかしその時――
「うああああぁぁぁぁ」
突然激しい目まいと嘔吐感に襲われた。
僕は彼女の手を急ぎ振りほどき、自分の手を確認した。手のひらが紫色に変色しているのがわかる。
僕は左手で右手首をつかみながら、床をのたうち回った。
「大丈夫ですか!?」
小糸さんが駆け寄ってきて、僕のことをおさえつける。そして右手首をつかむと僕の手のひらに、彼女自身の手のひらを合わせた。すると――
何だろう、この癒される感じは。
目まいが次第におさまってくるのがわかった。もはや吐き気も感じなくなっている。
やがて全身にスッキリとした感覚が訪れ、僕は大きく息をついた。
彼女は僕が回復したとみると、その手をゆっくりと離した。
手のひらを見てみたが、さっき浮かんでいた紫色はすっかり消えていた。
微笑む小糸さんが、僕の目に美しい女神のように映る。その一方で、クミを見上げると、彼女は悲しげな表情で立ちすくんでいた。
間違いなく五味君の死の原因は彼女自身が持つ「毒」だ。
しかしそもそもはクミのせいではないと思うのだが、今彼女にかけてあげるべき言葉が思いつかない。
それにしてももう一方の驚きは、小糸さんの「能力」だった。
クミの毒に耐性を持つだけでなく、解毒まで可能だとは……
「これは皆さんに起こった身体への異常と同じだと思うんです。昔からそういう体質ってわけじゃないですし、まあこれまでそれを確認する機会もなかったですけど……」
だが小糸さんの言葉に僕は少し疑問を感じた。
「だけど、小糸さんは僕の手に自分の手を合わせましたよね?あれは解毒ができるという確信がないと――」
「それは自分でもわからないんです……咄嗟にそうするといいと思ってやったことで……」
その時、僕はひとつ思いついたことがあった。
これがうまくいけばクミも救われるはずだ。
「あの、小糸さん。小糸さんの力で五味君を助けることはできないんですか?」
だが、彼女は申し訳なさそうに、言葉を返してきた。
「実は……テケ松さんがこの部屋にいない時に、それは試してみたんです。心臓マッサージです。でも既に亡くなった人にはダメみたいで……」
それを聞いたクミが、またこらえきれなくなったように顔をおさえる。小糸さんはその傍らに向かい、彼女を優しく抱きしめると、その髪を静かに撫でてあげていた。
先輩のせいで小糸さんも僕の名前を間違えて覚えてしまったようだが、その時それを指摘する空気ではなかった。
「まあ、そういうわけで、ドクミに触ると危険、ということがわかったわけだが――」
うわ、先輩の辞書にはデリカシーという文字はないのか。ないの知ってたけど。
しかし、クミに触って毒の影響を受けたのは、今のところまだ五味君と僕だけである。
「あの先輩」
「ん、何だ?」
「触ると危険なのは、男だけって可能性はないですか?」
先輩は少し考えて答える。
「まあ――理由はよく分からんが、その可能性はあるな」
「先輩は試してみないんですか?そうすれば――」
先輩はつまらなそうな顔で僕を眺めた後、さらにつまらなそうに答える。
「その必要は――ない」
どうして先輩はクミに触れることを、試そうとしないのだろうか?
それについては、僕にひとつ想定があった。
つまり、先輩は先ほどの僕の様子を見て怖じ気づいているのではないかと。
いくら小糸さんがすぐに解毒してくれるとしても、一旦は激しく苦しむことになるのだ。
僕の中の野球少年が「センパイビビってるヘイヘイヘイ」と野次を飛ばしている。
「先輩、今後のクミちゃんとの付き合い方を決めるためにも、是非一度彼女に触れてみるのはいかがでしょうか?」
「だからその必要はないと言ってるだろ?」
「でも先輩――」
先輩はめんどくさそうにベッドから降り、クミの左腕をつかんで高々と上げた。
「ほら、これでいいか?」
「ええええーっ!?」
先輩は再びベッドに戻ると、また片肘をついて寝そべるポーズとなった。
「翼が生えてから、一旦休んじゃうと何か動くの億劫なんだよ。ちょっとかさばるし」
「先輩は知ってたんですか?自分にその――耐性があるってことに」
「最初にドクミに触ったのあたしだし。ほら、ゴミだっけ?アイツをどかす時。でも――」
先輩はどこまでめんどくさくなってるのか、あくびを噛み殺したような顔をする。
「奥さんみたいな解毒能力はないけどな」
たしかにそうだろう。それは先輩のキャラではない。
「だけど先輩、あの時『触りたくねー』とか言ってたじゃないですか」
「『明日会社行きたくねー』とか言ってるやつが、次の日会社来ないか?大体来るだろ」
例えがおかしくないだろうか?
まあ、いい。
結局分かったのは、僕がクミに触れることは危険であるということだ。
どっちみち女の子に触らない(触れない)し、という気がしないでもない。
そういえば――
僕は大事なことを忘れていたのを思い出した。
彼女たちに提案しなければならないと思っていたことがあったはずなのだ。
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