5Fx3 昇天

 5階のフロアには7つの客室があった。

 エレベーターホール前の501・502号室、そして僕の泊まっている503号室、先輩の504号室、小糸さんの505号室と続く。

 廊下をはさんでその対面、エレベーターホール脇に506・507号室があり、それらの部屋は僕らの宿泊するシングルルームよりも少し広いようで、おそらくはツインルームなのだろう。

 僕たちはまず501号室から調べてみることにした。

 部屋に入って確認してみたが、ベッドがきちんと整えられており、手荷物も見当たらない。ここには誰も宿泊していないようだ。

 隣りの502号室も確認したが同様だった。

 次に一行は506号室へ向かった。

 なおこの時、僕は新たにいくつかの移動法を会得していた。

 匍匐前進では速度も遅いし、何より腹が床とこすれてしまう。

 移動距離を稼ぎたい場合は、身体を斜めに倒して手を前につき、上半身を腕の力で一瞬浮かせて進む方法が一番だ。R2D2がこんな動きをしていたような気がする。

 通常のちょっとした移動は、身体を起こしたまま左右に細かくひねりつつ、両手をつきながら前に進むやり方が多い。少しペンギンっぽい感じだ。

 普段使わない筋肉を酷使しているので、後からきっとやって来る筋肉痛が若干心配である。

 だが、当然ふたりの歩きに追いつけるわけもなく、後ろからからヒョコヒョコついていくような状況だった。

「あ、ここは誰か泊まってるなあ」

「そうですね。荷物もありますし、ベッドも使った形跡が――」

 先に506号室のドアを開けた先輩と小糸さんが話している。

 ここに僕はいるよーとアピールせんばかりに部屋の外から問いかけた。

「誰かいますかねー?」

 少しして小糸さんから「誰もいないみたいですー」と答えが返ってきた。今ふたりで部屋を調べているようだ。

 僕は僕で漫然とただ返事を待っていただけではない。

 その時すでに隣りの507号室のドアの前にたどり着いていた。

 こんな身体ながら、少しは役に立つところを認めてほしい、自分の中にそんな気持ちがあったのかも知れない。

 レバー式のノブを下げると、ドアを押し開けてみる。すると――

「うっ……」

 部屋の中に異様な空気が充満しているのを、いきなり肌で感じ取った。

 胞子を大量に含んだ大気を急に吸い込んで胸が苦しくなったような気分とも言うべきだろうか。さらにはどこか寒気も感じる。

 何かとってもイヤな感じだ。このまま進んでよいものか……先輩を呼んで来ようか……

 ……いや、先輩ばかり頼りにしてはいられない。こんな自分でもできることがあるはずなのだ。

 そんな思いを抱え、僕は部屋の中をジリジリと進んでいく。やがてベッドのそばに――

「センパアァイ!!来てくださあぁい!!センパイイィィィ!!!」


「なんだよ。ったく……」

 先輩が舌打ちしながら隣りの部屋からやって来た。その後ろから部屋を覗き込むように小糸さんが顔を出す。

「せ、先輩さん、あれって……」

 先輩はベッドの上をひと目見て渋い表情になった。

「こいつは……」

 ツインベッドの片側に、裸の人間がふたり折り重なるようにして倒れていた。

 二体とも全く動かない。

 ただ眠っているわけではないことは、ひと目で直観的にわかった。

 恐れというものを知らぬ我らが先輩は、上に重なっている人間の髪をガッシとつかむと、その顔をこちら側に向けた。

 僕はその瞬間「ヒッ」と声を出してしまった。

 目を見開いて口からだらしなく舌を伸ばすその表情は、苦痛と恐怖の入り混じった、まさに背筋が凍るようなものだったからだ。

 僕はすぐさま目をそむけてしまった。

「瞳孔が開いています。この方は……亡くなってますね」

 小糸さんが意外にも冷静に死亡宣告をおこなっている。

 その時、一瞬見たその顔に、たしかに見覚えがあるという気がしてきた。

「まさか……」

 僕は勇気を振り絞って再度その遺体の顔を確認する。

「……五味君!!」

 苦痛に歪んではいるが、たしかに彼の顔だ。坊主頭メガネ男子から、さわやかイケメンにクラスチェンジしたというのに……

 先輩は続いて彼の身体を、下にいる人間から引きはがそうとしていた。

「何だお前、コイツ知ってんのか」

「えーと、囲碁クラブ……というか、昔の知り合いで……」

 すると、彼の下にいるのは五味君の彼女……クミちゃんとかいう名前だっけ……

「うわ何だこれは……ちょっと触りたくねーな……」

 五味君をわきによけ終えた先輩が、腕を組んでは苦い表情でぼやく。

 五味君の下にいたのは、やはりあのクミという女の子だった。

 五味君同様全裸である。

 裸の女の人を間近で見るのは初めてだったが(もちろん童○なので)、その「初めて」の機会に、こんな感想を持つとは思わなかった。

 ――これは……毒キノコだ……

 彼女は全身紫色に覆われ、黄色い斑点が身体中に散りばめられていて、それは顔にも及んでいた。

 触れただけで毒に侵されそうな、そんな本能的に危険を感じてしまうようなビジュアルである。

 ただ彼女の表情は、五味君のように苦悶を浮かべているわけではなく、普通に眠っているようにも見えた。

 おもむろに小糸さんが彼女の顔に耳を近づける。少しして、小糸さんは朗らかな顔でこちらへ振り向いた。

「息してます。この人は生きてますね!」

 たしかに小ぶりな胸(先輩と比べて)が少し上下しているように思える。

 しかし、すっかり「生存鑑定士」と化した小糸さん、この人は一体何者なのだろうか。

 僕がそんな疑問を持ったことを感じ取ったのか、彼女はまた自分の身の上を語り出した。

「私、以前看護士だったんです。だからこういうのは慣れてて……あ、でも幽霊とか妖怪は苦手ですよ」

 この人は、まだ僕のことを妖怪だと思っているのだろうか。

「――夫とは病院で知り合いまして。彼がスノーボードで足を骨折して入院した時です。ただ、後でわかったことなんですが、彼は他の同僚にも手を出していたんです……」

 例によって小糸さんは全くいらない情報も付け加えてきた。その時――

 クミが突然上半身を起こした。と同時に目を見開いて奇妙な叫びをあげる。

「アアアアアァァァァ……」

 僕は驚いてひっくり返りそうになるのを何とかこらえた。

 それから彼女はキョロキョロと辺りを見回し始める。そうして傍らに置かれた五味君に気づくと「あっ」と声を上げ、彼の肩を強くつかんでは激しく揺さぶった。

「マサヒロ!マサヒロ!」

 しかし彼は何の反応も返さない。

 彼女はしばらく彼を揺さぶり続けていたが、徐々にその動きは緩慢になっていき、ついにはその手を止めてしまった。

 少しの間、彼をじっと見つめていたが、やがてその身体に抱きついては大声で泣き出し始めた。

「マサヒロ……マサヒロォォォ……」


 その後しばらくは、僕たちはなすすべもなくクミをただ見守っているだけだった。

 恋人を失い、さらには全身紫色になった彼女が、今一体どういう気持ちなのか、僕らには想像することしかできない。

 やがて彼女が少し落ち着いてきたのを見計らって、小糸さんがかいがいしく彼女の世話を始めた。

 最初は優しく声をかけたりしていたが、まずは服をちゃんと着て落ち着いて話しましょうということになり、僕は急に気まずくなって一旦部屋の外に出ることにした。

 そういえばこの女の子、素っ裸だったんだ、と今さらながら気づかされたのだ。

 先輩は隣りのベッドに腰掛け、長いおみ足を組みながら、退屈そうにその一部始終を眺めていた。

 そうして僕は部屋を出ると、とりあえず隣りの506号室に向かった。

 ただ待ってるのもアレだったし、先輩たちが見つけられなかった何がしかの手がかりを、僕なりの「低い目線」で見つけることができるかも知れない、と少し自虐気味に考えたからだ。

 部屋に入ると、たしかに宿泊の形跡があった。

 ただ、乱れているのはツインベッドの片側だけで、もう一方は使われずに整えられたままのようだ。

 ベッドの脇にスーツケースと小さなショルダーバッグが置いてあった。

 バッグはピンク色のウサギの顔を模したと思われる形で、上部にウサギの耳が生えている。小学生の女の子が持つようなものだ。

 誰も聞いてないのに「失礼します」と唱えてから、スーツケースを開けてみた。

 男物と小さな女の子のものと思われる着替えが詰められている。

 父親とその娘なのだろうか。

 スーツケース内を探っていると、一冊のパスポートを見つけた。

 名前は犬山いぬやまうさぎ、誕生日から算出すると、今は10歳のようだ。

 性別は女、住所は東京にある。

 父親のほうのパスポートは見当たらなかった。

 他には特に目ぼしいものは見つからず、僕はため息をつきながらスーツケースを閉める。

 しかし、僕はなぜこんなことをやっているのだろうか?

 こういった探索が、果たしてここを脱出することに、あるいは僕の下半身を取り戻すことにつながるのか、まるで確信が持てない。

 むなしい思いを抱えながら、僕はトボトボとバスルームに向かう。

 顔でも洗ってさっぱりしたい気分だからだったが、そういえば今は水道も使えないことを思い出した。

 とりあえずはバスルームのドアを開けてみた。

 まさかこの中に父娘の遺体が……とも考えたが、それはさすがにさっき先輩たちが確認しているだろう。

 蛍光灯が点かないため暗い状態だが、ドアを開けておくことで少しだけ中を見通すことができた。

 だが案の定、そこはバスとトイレと洗面台が設置されているだけの、何の変哲もない場所であった。

 僕はそこでふと五味君のことを思い出した。

 久しく会ってなかったので、彼の死については、特に悲しさは感じなかった。

 冷たいとは思うが、そういうものだろうとは思う。

 ただ、ショックだったのは間違いないし、何より彼女――クミちゃん――が不憫だった。

 しかしどうして彼は死んでしまったのだろう?

 いや……今のこの理不尽な状況で「どうして?」と問うことに何か意味があるのだろうか?

 僕たちはわけの分からないまま、下半身を奪われたり翼を生やされたり全身紫色にされたり散々弄ばれた挙句、最後には五味君のように殺されてしまうのだ。

 え、誰に?――神とか?

 答えの出ない問いに絶望しながら、僕はただ天を仰ぐ――いや天じゃなくてバスルームの天井ですが――あれ?

 洗面台の鏡の上にバスタオルを置く棚があり、僕はそこに「あるもの」を見つけた。

 それはタオルの上に堂々と鎮座し、遥か上のほうから僕にある思いつきを与えてくれたのだ。

 この場所ならばもしかすると先輩たちはこれに気がつかなかったかも知れない。

 先ほど僕なりの「低い目線」でとは言ったが、それはその真逆の位置に存在していたのだ。

 この発見を隣りの部屋にいる先輩たちに伝えなければならない。

 そして、この僕の「思いつき」を実行しなければならないのだ。

 どうなるかもわからないし、どうにもならないかも知れない。

 まるで根拠がないのだけれど、その時僕には、これが今の状況を打開する一条の光に思えていた。

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