5Fx2 台座

 やはり停電しているのか、エレベーターは動いていないようだ。

 先輩はエレベーターのボタンを連打した後、何の反応もないと見るや、そのドアを思い切り蹴った。

 エレベーターのすぐそばにある電話機でフロントに電話をしようとしたが、受話器からは何の音も聞こえず、先輩はそいつを叩きつけた。

 ついで、廊下一番奥にある非常口に向かう。やはり非常口灯は点いていない。

 そこから外の階段に出られるはずなのだが、先輩がドアノブを握って思い切り押しても引いてもそのドアは固く閉ざされたままだった。

 先輩は非常口のドアに飛び蹴りを食らわした。

 今の先輩は、ただただホテルで暴れる半裸の女だった。背中に翼が生えているので、ハロウィンで暴徒化する無軌道な若者感もある。

 なお、この時僕には二点ほど気になることがあった。先輩に話そうと思いつつ、今は話しかけただけでキレられそうなので、まだ何も言っていない。

 ひとつは、妙に外が明るい気がすることだ。

 窓のないホテルの廊下は、灯りがなければ本来は真っ暗で何も見えないはずである。

 しかし、僕の泊まっていた503号室と先輩の504号室のドアをたまたま開けっ放しにしたことで、うっすらとだが廊下に明るさをもたらすことができた。

 部屋のカーテンは閉めたままなのだけれど、それでも随分と光が漏れているようだ。

 いつの間にか朝になったのでは?とも考えて、先輩が先ほど自分の時計で時刻を確認した時、まだ深夜2時だということだった。

 たしかにカーテンから漏れるのは、日中の日差しではなく、もっと冷たい光である気がする。

 今の自分の身体ではなかなか難しいので、先輩のそばでただオロオロしていた小糸さんに確認をお願いしてみた。

 小糸さんに503号室の窓のカーテンを開けてもらう。本来ならば窓から深夜の街灯りを望むことができるはずである。しかし――

「あの……これはなんでしょうか……」

 彼女は窓を通して見る光景に息を呑んだ。

 窓の外には一面の白いもやが立ち込めており、街の景色を全く見ることができなかった。

 さらにそのもやは発光しているようで、妙な明るさの正体はまさにこれだった。

 一体外の世界はどうなっているのか。

 窓ガラスはハメ殺しになっていて、開けることができない。

 仮に開けたところで、どうすることができよう。

 そんな時――僕たちの背後から例の「暴れん坊」がやってきた。

 そしておもむろに備え付けの椅子を掴むと、それを思い切り窓に叩きつけたのだ。

 小糸さんが悲鳴を上げる。

 大きな音を立てて椅子はバラバラに砕け散った。

 しかし、強化ガラスなのか、窓ガラスにはヒビさえ入らなかった。

「先輩、いきなりやめてくださいよ!小糸さんに当たったらどうすんですか?」

 先輩は疲れ果てたようにその場にしゃがみ込み、首をうなだれた。

「一体、どうなってんだ。これは……」

 そんな先輩を見て、小糸さんがなぜか申し訳なさそうに「先輩さん、すみません」と謝っている。

 さすがの先輩も打つ手がなくて参っているようだ。

 ここまでの調査でわかったことは、ホテルのこのフロアから出ることもできないし、外部との連絡も不可能だということだ。

 そして外には謎の白い光るもやが立ちこめている。

 ところで、自分でも意外だったのは、この状況下で僕が割と冷静であるということだ。

 もしかすると、下半身を失ったことで、コンスタントな賢者モードが発動しているのか。

 これをエンドレス賢者モードとでも呼ぶべきだろうか。

 ……と言いつつ、さっきから先輩の胸の谷間をチラ見したりしているので、まだ賢者にはほど遠いのかも知れない。

 とりあえずは、何の解決にもならないだろうが、僕はそこで自分の思いつきを話すことにした。

「……あのですね。ひとつの可能性として、いやそもそも可能性としてカウントしていいのかというぐらいの可能性としてですね――」

「お前の話、まどろっこしい」

 先輩が下を向きながらぼそりとつぶやいた。僕は軽く咳ばらいをしてから話を続ける。

「つまり――ホテルのこのフロアごと別の世界に移動しちゃったんじゃないかと思うんです」

 この言葉に、小糸さんはただポカンと僕の顔を見つめるだけだった。

 そして先輩は――顔を伏せたままだ。

 だがゆっくりため息をつくと、ようやく口を開き始めた。

「お前が言うとおり、その可能性は否定できない。だが――どうすればいい?どうしたら元の世界に戻れる?」

「それは分かりません」

 僕はキッパリと答えた。

 そもそも分からないことは分からないとはっきり言えとは、上司である先輩の教えである。

 ただ、「分かりません」と即答しては、何度もキレられたことはあるのだが。

「まあ、そうだろうな」

 今日の先輩は意外と寛容である。

 僕は言葉を続けた。

「でも、できる限りのことはやってみるべきと思うんです。このフロアには部屋が7つありました。小糸さんの部屋は何号室ですか?」

「ええと……505号室です」

「ではそこと先輩と僕以外の残りの部屋を調べてみましょう。誰か他の宿泊客がいるかも知れませんし、それによって僕と小糸さんが聞いた悲鳴の主がわかるかも。それから――」

 僕は先ほど言った「気になること」の二つめを話す。

「非常口の反対側、エレベーター近くの壁に石でできた置物みたいなのがありました」

「……それが?」

 先輩が疑問を口にした。

「あれは僕ら――少なくとも先輩と僕が就寝のために部屋に入る時はなかったものです」

「あっ……それは何時ぐらいの話ですか?」

 小糸さんが何か思い出したようだ。

「あれはたしか……11時前ぐらいかなあ……」

「あの、私、12時過ぎに1階の自販機まで飲み物を買いに行ってるんです。その時も、たしかにあの置物はありませんでした。なぜなら私、あそこでしゃがんで飲み物を飲んでたんです」

 なぜそんなところで飲み物を飲むのか知らないが、つまり、あの置物はこのフロアが今の状況――別世界に移動するタイミングで現れた可能性が高い。よく調べてみる必要があるだろう。

「それから、私お二人に黙っていたことが――」

 小糸さんが申し訳なさそうに語り出す。また新たな事実が明らかになるのだろうか、僕は少し身がまえた。

「先ほどクレジットカードだけを持って家を出たと言いましたが、若干の現金も持ち出しました。そのお金で自販機の飲み物を――」

 全くどうでもいい情報だった。


 まずは、置物を調べることになった。

 置物と思っていたものは、よく見ると彫像なんかを載せるための石造りの台座のようだ。

 高さは100センチほどで、40センチ四方ぐらいのアンティーク感のあるものだった。

 正面には「5」という数字が彫られている。

「やっぱこれ5階って意味ですかねえ?」

 僕の問いかけに誰も答えてくれないが、これはきっと当たり前すぎて返事のしようがないに違いないと好意的に解釈する。

「ここ、なんかへこんでるな」

「大きな玉が置いてあったとか、そういうことですかね……」

 今の僕が望んでも得られぬ高い位置から、二人が話をしている。台座の上部に丸いくぼみがあるようだ。

 台座を手で押してみたが、ビクともしない。床にしっかり固定されているようだ。

 「足クセ悪子」の異名を持つ先輩が例によって蹴とばしたりもしたが、結果は同じだった。

 とりあえず台座に関しては、現時点ではこれ以上の情報は得られそうもなかった。

 続いて僕たちは、客室を調べることにしたのだった。

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