マイルズベイル界の新しい神

「なんでわしの仕事が先じゃないんじゃ」


 ぶちぶちと不満を漏らす須佐の声を聞き流しながら、津雲は台車に荷物を入れる。今回は大きな戦闘は起きないと踏んでいるので、荷物は少ない。


「じゃああの黒づくめと直接話をつけるかい」

「む。あいつら気味が悪くて気が進まんな」

「なら文句言わない。向こうが先なんだから」

「むう」


 須佐は納得していない様子で呻いたが、それ以上を言い出しはしなかった。どうやら黒づくめやその一党はあちらこちらで悪名を背負っているらしい。


「んじゃ、リル。店番は頼んだよ」

「任せておけ、ツクモ。立派に勤め上げてみせよう」

「須佐の爺さんも、リルに迷惑かけないでね」

「やかましいわい。出歩くな、騒ぐな、暴れるなじゃろ? 何度も言われんでも分かっとるわ」

「ならいいんだ。さて、行ってくるよ」


 須佐の毒舌も思ったより切れ味が悪い。これ幸いと津雲は出かけることにした。に手をかけると、だがその須佐がじろりと睨んでくる。


「で、津雲坊つくぼう。今回はわしの依頼の方で出かけるんじゃろうな?」

「さあ、どうなるだろ。でもまあ、前の時みたいな全てを食い尽くそうとするような神様がいる世界じゃないし」

「お前、この期に及んでわしの方の仕事をさらに後回しにするつもりか!?」


 その問いには答えず、がらりとを開ける。

 一度振り返って手を振ると、笑顔で手を振り返してくれるリルと、額に青筋を浮かべてこちらに詰め寄ってこようとする須佐。

 極力面倒な方は見ないようにして、津雲は扉をくぐるのだった。







「あっ、津雲坊! あいつ、何も言わんで行きおった!」

「煩いぞ腐れジジイ。騒ぐなら外でやれ。仕事の邪魔だ」


 津雲がいた時の柔らかい表情などかけらもなく、リルが吐き捨てる。

 あまりにも冷たい発言に、須佐も一瞬言葉を失う。


「わし、神様なんじゃが」

「知ってる。そんなもの、ここでは珍しくもない」

「かもしれんが……」


 しょんぼりとする巨体の老神。

 静かにしていてもそれはそれで邪魔なんだなと、リルが新たな気付きに浸っていると、がらりと表からのドアが開いた。


「いらっしゃい。おや」

「ど、どうも」


 入ってきたのは、豊島だった。ばっさりと髪を切っているが、それ以外に特に変わったところはない。


「店主は?」

「仕入れに出ている。しばらく休暇を取ったと聞いていたが」

「今日は休み明け。取り敢えず挨拶にと思って」

「そうか」


 豊島の事情をリルは聞くつもりはない。続けるのかとも辞めるのかとも。あるいは津雲なら聞いたのかもしれないが、リルはそもそも豊島にそれほどの興味もなかった。


「ツクモは来週くらいには店にいるだろう。今日もどれくらいしたら戻ってくるかは分からんぞ」

「そう。ところで」


 豊島は、ある意味で当然のことだが、何やら部屋の片隅でうじうじとしている須佐に目を向けた。あれはあれで目立つ。


「こちらは?」

「客だ」

「ならちっとは客らしい扱いをせえよ!」

「わ、動いた」


 リルの発言に須佐が反応するが、豊島も大概失礼なことを言っている。

 豊島の言葉にもそれなりに傷ついた様子だ。口は悪いくせに言われ慣れていないのが面倒で仕方がない。


「気にしなくていい」

「え、でも」

「気に、しなくて、いい」

「あ、はい」


 須佐と豊島。この二人を同時に相手しなくてはならないのかと、リルは思わず頭を抱えた。

 出来れば客が来てくれるか、そうでないならどちらか帰ってくれないだろうか。






 マイルズベイル界は、神々の権能がかなり安定している世界だ。

 多神教で、天に君臨する主神マイルズベイルの下、多くの神々が人々の暮らしを見守っている。

 主神マイルズベイルはおよそ百年ごとに覚醒と睡眠を繰り返す神で、今は長い眠りの時期だ。まだまだ眠りは半ば程で、主神の覚醒期を人々は静かに待っている。

 その間、主神の代わりに全権を振るうのが光の神ディオルマと、闇の神ギイアーン。津雲はそのうち闇の神ギイアーンの神殿に足を運んでいた。

 黒いドレスを着た美女が、津雲の顔を見て玉座から転げ落ちた。


「な、なな何用だ店主」

「ご無沙汰ですギイアーンの旦那。この前、魔王の旦那がやらかした件についてナシつけさせてもらいに来ましたよ」

「そ、それは」


 闇を統べる神であるギイアーンが、腰砕けになって後ずさる。

 信徒が見たら百年の信仰も醒めるところだろうが、ここは天界にある本人の座所であり、地上に造られたレプリカではない。信徒がこの様子を見ることがないのが救いだろうか。


「あれは、我のあずかり知るところではない! 大体だな、そなたが勇者どもの支援をするのは我も存じているのだ。そんなことをするわけがなかろう!?」

「ああ、別におたくが魔王の旦那にやらせたとは思っちゃおりませんわ」

「?」

「ですが、うちの先代との契約の時にちゃんと取り決めてありましたでしょう? 勇者殿がうちに迷惑をかけたならディオルマの旦那が、魔王の旦那の場合はギイアーンの旦那に責任を取ってもらうって」


 ギイアーンが言葉にならない苦悶の声を上げた。

 ちなみに、勇者が旦那ではなく殿なのは、津雲にとっての客ではないためだ。彼らが店に持ち込む石はあくまでディオルマが用意したお助けアイテムを手渡すためだけのものであって、津雲にとって何か価値があるわけではない。本来の報酬はディオルマから払われている。

 と、薄暗かった室内がわずかに明るくなった。神の気配が増える。


「その件については、私にも不満があるな」

「ディオルマの旦那?」


 現れたのは、自ら光を放つ男の神だった。ギイアーンとどことなく顔立ちが似ている。主神マイルズベイルが最初に生み出した双子の神なのだ。似ているのも当然ではある。

 光の神ディオルマは、津雲の前に来て堂々と胸を張った。


「店主。そなたが魔王を斬ってしまったせいで、勇者ジョッシュは英雄となった。だが、彼らは自分たちの力ではないと言い張っているのだ。神殿も困惑している」

「おや。勇者殿は随分と清廉潔白でおられるようで。もう少し気楽になさるといいとお伝えしましょうかね」

「栄達は要らんから山にこもって修行をし直すと言っておるわ! 店主、そなた一体あの者に何を見せた!?」

「さて、特に何かを見せた覚えはありませんが」


 津雲は本気で首を傾げた。勇者と魔王という二人の駒を用意して、大陸の趨勢を賭けたゲームをしているのがこの双子だ。

 地上の民は、双子は極めて仲が悪いと信じている。その為、自分たちの信仰していない神の信徒は敵として扱うのが正しいと思っている。

 残念ながら、本来は違う。二神ふたりは極めて仲が良く、勇者と魔王の争う盤面を眺めては互いに楽しんでいるのだ。


「ギイアーンの責任を問うならば、ジョッシュの件について、私は店主の責任を問うことになるぞ」


 本来、魔王を討伐した勇者は神殿の要職についたり、王家の婿になったりと光の神の信仰を高めるために利用される。

 魔王は魔王で、勇者の命を奪うことでその権威を高める形だ。

 とはいえ、津雲にとっては頷きにくい話だ。ディオルマがギイアーンをかばってこちらに無理な理屈を押し付けようとしているのは何となく分かる。

 津雲はギイアーンに責任を取らせる形で新しい神を紹介してもらおうかと目論んでいたのだが、何ともややこしい話になったものだ。

 基本的に、神の多い世界では新しい神ほど権能が小さい傾向にある。ディオルマとギイアーンが光と闇という極めて大きな要素を権能としているように、古い神ほど権能と発言力が大きいのだ。


「責任ねえ」

「なに、ギイアーンに責任を問わぬと言うのであれば、私も今回の件は忘れるつもりだ」


 ここでディオルマの言い分を飲むわけにはいかない。

 こちらがその条件を受け入れたが最後、ディオルマやギイアーンはこれまで以上にあれこれ無理な理屈を押し付けてくるのが分かりきっているからだ。


「済みませんが受け入れられませんねえ。そもそも、ジョッシュ殿は何を見て山にこもると仰られたので?」

「そなた、魔王の側近を一太刀で殺しただろう」

「ああ、そう言えば」

「それを見て力不足を実感したそうだ」

「なるほど。それならばこちらの責任と言われるのも」


 ディオルマの言葉に少しだけ納得する。そうなると、津雲の責任という言い分も決して無理スジとは言い切れないからだ。


「でしたら、ジョッシュ殿を神殿の要職につけましょうか。手段を選ばなくて良ければ、そうですね。三日ほどで」


 そう言うと、ディオルマはあからさまに動揺を見せた。どうやらこちらが責任を取る方を選ぶとは思わなかったようだ。


「い、いや。山から戻った暁には神殿の要職につくということで、本人も納得している。なのでそれには及ばん」

「それなら、責任を取る必要がそもそもないのでは?」

「うっ」


 ここでそんなことはない、と強弁出来ない辺り、そもそも交渉に向いていないと思う。下に命令することしかしてこなかった古い神々というのは、相手から取引を求められるとこのようにやらかしがちだ。

 ディオルマを論破したところで、津雲はギイアーンに視線を向けた。


「ひっ!?」

「そんな怯えないでくださいや。当初は角の片方でもと思っていたんですが、今回はちょっと入用のものがありまして。受けていただければ責任の件は忘れても構いませんよ」

「……な、何とな?」

「当店でも仕入れにちょっと手間のかかるものを先方がご用命でしてね。その調達にお力添えをいただければ」

「ちなみに、その入用のものとは?」

「神様を一柱ひとり


 津雲の言葉に、ギイアーンとディオルマがあんぐりと口を開く。

 自分たちと同格の存在を売買の対象とすると宣言されたのだ。驚くのも無理はない。

 これまでの軽く弛緩したような空気がなりを潜めた。ディオルマが真剣な顔で聞いてくる。


「店主、神をよこせとはどういう話なのか」

「いやなに、自分のところに神様を新たにお迎えしたいという要望がありましてね」

「ほう」

「ご自身たちで増やすという方法もあるんでしょうが、たまにこういったお申し入れがあるんです」

「そ、そうなのか。そなたの店が色々なものを取り扱っているのは知っていたが、まさか神々さえ売り買いするとは」


 呆れたようにギイアーンが呟く。

 津雲は営業用のスマイルを浮かべると、二人に向けて説明する。


「世界は多く、そして広いものでして。こういった世界にお生まれになった新しい神様は、ろくな権能も手にすることが出来ずにくすぶってしまうこともございます。そういった神様が、今までよりも良い環境を手に入れるお手伝いだと考えていただければ」

「なるほど。この世界にも確かにそういった問題はあるな」


 ディオルマが頷く。どうやら比較的楽な仕事で責任を負わなくてよくなると判断したらしい。


「ふむ。ディオルマ、そう言えば最近発生した新しい神がいたな」

「そうだなギイアーン。一番下の弟にどういった権能が与えられるかを考えれば、店主にその未来を託すというのもやぶさかではない」

「それはまたタイミングの良い」


 津雲はあまりのタイミングの良さに思わず顔を綻ばせた。思った以上に簡単に今回の仕入れは終わりそうだ。

 ともあれ、須佐と黒づくめのどちらに適した神であるのかはまだ分からない。


「で、そちらの神様の性格はどのような?」

「……堅物だな」

「ああ」


 何やらとても嫌そうに、ディオルマとギイアーンは吐き捨てるのだった。






 ギイアーンの神殿を出ると、同じ衣装に身を包んだ天使たちが大層な集団で津雲たちを待ち受けていた。

 あまりの物々しさに、後ろにいるディオルマとギイアーンがたじろいだのが分かった。

 好意的な視線はほぼない。そもそも彼らには表情がないのだが、それでも視線に乗ってくる感情の雰囲気というのは分かるものだ。

 視線は津雲に、と言うより背後の二神ふたりに向けられている。マイルズベイル神が休んでいる間の最高権力者に向けるべき視線ではないようにも思うが、津雲にはそれを指摘する義理はない。


「ええと、何事です?」


 まずはこの状況がどういうものかを把握しなくては始まらない。津雲が声を上げると、集団の中から一体の天使が進み出てきた。


「お初にお目にかかります、外つ神様」

「はいどうも、初めまして天使殿」


 おおむね、顧客である神々の住む世界では七臥古物店の面々は外つ神と呼ばれることが多い。津雲自身はそれほど大層なものだとは思っていないのだが、その辺りは言い出しても改善されたためしがない。

 代表となった天使は、それなりに高位の存在であるようだ。

 一方で、ディオルマとギイアーンの表情は渋い。何やら見つけて欲しくない相手に見つかったような顔で。


「私は主神マイルズベイル様より、生まれ来る神々の養育を託されました天使ウィーモアと申します。外つ神様が何やらギイアーン様に対して責任を取らせると仰っておられた、と案内を致しました天使より聞き及びましたので慌てて参りました」

「ほう」

「ギイアーン様がどのような不義理を外つ神様に対して働いたかは存じ上げませぬ。しかし、あのような神でもマイルズベイル様の代理でございます。もしもその責任、我々が負うことの出来るものでありましたら」

「その件については、既に交渉が終わっていますよ。それほどきついものではありませんから、ご安心ください」


 津雲が述べると、天使ウィーモアは深々と頭を下げてきた。


「ありがとうございます。よろしければどのような償いになったのか教えていただいても?」

「必要はないぞ、店主」


 会話にギイアーンが割り込んでくる。振り返ると、随分と厳しい顔で天使ウィーモアを見ていた。よほどに忌々しいのだろう、隣にいるディオルマも同じような表情だ。


「その者は母より特命を受けたことを良いことに、我らの権能の在り方にまで口を挟む増長者だ。僭越なり、下がれ!」

「畏れながら申し上げます! 信徒を人族と魔族などという枠組みに押し込め、勇者と魔王などという要素を作り出して相争わせる。それを見て愉しむことのどこに神の神たる振舞いがあると仰せられますか!」

「まあ、確かに悪趣味ではあるね」


 依頼があるとはいえ、そこに加担している時点で津雲も批判されてしかるべきだが、天使ウィーモアの敵意はディオルマとギイアーンに対してのみ向けられているようで、こちらへの追及はない。


「偉大なるマイルズベイル様がお目覚めの時にはそのような遊びをなさらず、お眠りの時ばかりそのような遊びをされて! マイルズベイル様の目がなければ何をしても良いというのですか!?」

「母より許可は受けておるわ、たわけが!」


 ギイアーンの怒声にも、天使ウィーモアは怯まない。

 百年ごとに覚醒と睡眠を繰り返すマイルズベイル神は、覚醒の百年に大地に安寧をもたらすとされている。そして睡眠の百年に入ると、大地には魔王と勇者が生まれ、果てない闘争の百年が始まるのだ。

 覚醒の百年において人と魔族は和解し、そして睡眠の百年に入ると憎しみ合う。そのサイクルが、マイルズベイル界という世界には定着している。

 人と魔王の争いに七臥古物店が関わるようになったきっかけは、残念ながら津雲も知らない。祖母である八重から引き継いだからだ。八重によると、その父親の代にはなかった仕事だが、何代か前からの申し送りがあって再開したと聞いている。

 とはいえ、彼らの話は今回の津雲の用件にはあまり関係がない。


「あー、そろそろよろしいですかね?」

「ああ、済まんな店主。それでは新しい我らが弟の元へ案内しよう。きっと店主も気に入ることだろう」

「お待ちを! ティミアランデ様に何の御用でしょう」

「やかましい!」


 食ってかかる天使ウィーモア。養育を任されているということは、今は彼の保護下にあるということか。津雲としても、事を荒立てるつもりはないので一応説明しておくことにする。


「別の世界で、新しい神様をよそから招きたいというご要望がありましてね。紹介していただけないかとギイアーンの旦那にお願いした次第で」

「別の世界ですと!? それはその地の民の願いということでしょうか」

「いえ、神様からの依頼ですよ」

「よ、よろしいのですか!? 別の世界から神を招くなど、秩序の崩壊につながるのでは」

「その辺りの事情は、こちらとしてもなんとも。ですが当店ではこれが初めてのことではありませんのでね」

「は、はぁ」

 

 天使ウィーモアには理解しにくい概念らしい。黒づくめにしろ須佐にしろ、普通の神の枠組みから外れている神様なのでやむをえないか。付き合いの長い津雲が毒されているのかもしれない。気をつけないとな、と小さく呟く。

 ともあれ、天使ウィーモアにしてみるとこれは信じがたい裏切り行為であるようだった。しばらく呆然とした後、今度は目を吊り上げてギイアーンを睨みつける。


「ギイアーン様! まさかとは思いますが、御身の責任の対価としてティミアランデ様を差し出すつもりではないでしょうな!?」

「我の決定に口を差し挟むつもりか! ええい、黙れ!」


 成程、見方によってはそういう判断も出来てしまうか。少し反省する。

 次からは責任や貸しを対価にして神を預かるのは控えた方が良いかもしれない。が、今回は既に内諾を取り付けている段階だ。これで天使ウィーモアの言う通りだから止めると言えば、今度はディオルマやギイアーンの顔を潰すことになる。

 これが逆だったら話は早かったのだ。上の意向を汲んで取りやめるということにすれば少なくとも角は立たない。だが、ディオルマたちの上には今は眠りについているマイルズベイルしかいない。

 と、天使ウィーモアは視線をギイアーンから切って、津雲の前に跪いた。


「外つ神様! 願いの儀がございます」

「なんでしょう」

「別世界への神の紹介、そちらにおわすディオルマ様とギイアーン様をお連れいただくわけにはまいりませんか」

「はあ!?」


 これには津雲も仰天した。いくらなんでもそれはない。

 しかし天使ウィーモアは大真面目に、その理由を切々と述べてくる。


「我ら天使は、神々の権能の行使を助け、世界に平穏をもたらすのが定め。それをこの御二方は、地上の民をまるで盤上の駒のように扱う始末。そのようなありさまでマイルズベイル様の代理と申せましょうか」

「黙れ黙れ! 貴様言うに事欠いて何を!」

「我らの為すことの意味も分からず、愚かなことを」

「私めがただいまご養育しているティミアランデ様は、清廉潔白にして実直の方。この世界の神として力を尽くす御覚悟は極めて強うございます。上の兄君、姉君に売り渡されたと知れば、その絶望はいかばかりか」


 そうしたら黒づくめの喜びそうな邪神になりそう、とはさすがに思っていても口には出せない。

 

「これは私たち天使の総意でございます! どうかお聞き届けくださいますよう」


 天使ウィーモアに何かの下心があるようには思えない。つまりはマイルズベイル神の代理である二神より、生まれたばかりの神の方に肩入れしているわけだ。

 それにしても。津雲は半眼になってディオルマとギイアーンを見る。


「人望ねえのね、旦那がた」

「やかましい!」


 痛い所を突かれたのか、顔を歪めてディオルマが怒鳴る。

 津雲は額をこりこりと掻きながら、どうしたものかと考える。


「このお二方がいなくなったら、光と闇の神様はどうなさるんで?」

「ティミアランデ様と、そのすぐ上の姉君がまだ権能をお持ちになっておられません。新たな権能を授かるのを今日か明日かとお待ちになられているのですが、私たちはそれを見るのも不憫でたまりませぬ」

「え?」


 思わずディオルマを見ると、ディオルマは何やら顔色を悪くしていた。

 ギイアーンに視線を巡らすと、何一つ心当たりのないような顔。


「忘れて放置してたのと、妹さんが生まれていたことすら知らなかったのと、ってところかな」

「ぎく」


 色々と、ディオルマとギイアーンにも言い分があるだろうことは分かる。しかし、妹の権能を決めもせず放置していたというのは流石に代理失格の烙印を押されても仕方ないようにも思う。 


「ちなみにウィーモア殿。その妹神いもうとさま、どれくらいの間権能を決めてもらえてないわけ?」

「ざっと二十年にはなるかと」

「うん。あんたら、ギルティ」


 津雲は台車ではなく、虚空から刀を取り出した。いかなる神剣や魔剣の類とも異なる、形なき刃。己の魂を刀として鍛造する技巧、因果業剣。銘を『殺鬼丸そぎまる』と刻む。持ち主に絶大な力を与える反面、刀が折れればそのまま命を喪うとされている危険な外法だ。

 津雲は殺鬼丸を抜いて、ディオルマとギイアーンに突き付ける。


「では、誰を連れていくかは勝負で決めるとしよう。あんた方が先に力尽きたら、あんた方を連れて行くことにする。その前に一発でも俺に当てることが出来たら、その時は不憫なお二神ふたりを保護することにしよう」

「それは少し、我らを」

「馬鹿にしすぎだと思うのだがな、店主」


 ディオルマとギイアーンもまた、自分たちの威厳を無礼な天使たちに見せつけることを決意したようだ。

 馬鹿にしているのではなく、一撃でもまともに当てられた時点で津雲の負けだと理解しているから言っているのだ。神ならぬこの身を何だと思っているのか。

 津雲は軽く溜息をつきながら、地を軽く蹴った。







「ただいまぁ」


 を開けた津雲の目が点になった。

 豊島が棚に寄りかかって気を失っている。髪を切ったようで少しばかり印象が違うが、まあそれはいい。そう言えば初めて来た時も気絶していたなと思い出す。


「おかえり、ツクモ!」


 キッチンから濡らしたタオルを抱えたリルが駆けてくる。どうやら豊島が気絶してからそれ程経っていないらしい。

 そしてその原因は、津雲の帰還に気づいてもいないようだった。ふつふつと怒りが湧いてくる。こちらが誰のためにこんな、しなくてもいい苦労をしていると思っているのか。


「暴れるなら自分の世界でやれ、たわけどもっ!」


 店の真ん中で力比べをしている須佐と黒づくめに向けて、津雲は腹の底からの怒号を叩きつけた。







「では、こちらのお二神ふたりは私がいただいて行きましょう。人々を二分して相争わせていた双子神、なるほど我々の世界に相応しい」


 ほくほく顔で津雲の抱えた二つの籠を受け取る黒づくめ。

 前回渡した蟲神が思いのほか期待外れだったせいか、今回は小躍りしそうなほどの喜びようだ。


「じゃ、これで依頼は完了ということで」

「ええ、ありがとうございました。次がありましたらまたぜひ」

「んじゃ、代価は『俺の代では二度とうちに神様の用命を出さないこと』で」

「!?」

「本当は出入り禁止にしたいところだけど、こればっかりはルールを違反してないと駄目なんでね。あ、でもさっき、店の中で暴れてたっけ――」

「そ、それじゃ失礼!」


 言い切らせると危険だと思ったか、慌てたように津雲の横をすり抜けてから店を出ていく。少しは釘を刺せただろうか。

 次に、籠を持っていく黒づくめを羨ましそうに見送っていた須佐の頭をすぱぁんと叩く。


「あたっ! 何すんじゃ津雲坊つくぼう

「一般人がいる時に、よその神さんと揉めてるんじゃねえよ!」

「先に突っかけてきたのはあいつの方じゃぞ」

「あいつと直接触れるとかよくやるよな。あいつ、相手の体内に何か仕込んだりするんだぞ」

「何をっ!?」


 素っ頓狂な声を上げて両手を見たり擦ったりする須佐。懲らしめるのはこのくらいでいいだろう。

 リルに代わってカウンターの椅子に座ると、椅子に背中を預けて大きく息をついた。久々に全力で動き回ったので、疲れたのだ。

 マイルズベイル界でディオルマとギイアーンをノックアウトした後、天使ウィーモアと交わした会話を思い出す。


『ありがとうございます。外つ神様。これで、この世界の民は意味のない争いの時期を捨て、全ての時を自らの平和な成長のために使えるでしょう』

『ウィーモア殿。どの世界でも人ってやつはそんなに賢い生き物じゃない。あんたはそれをいつか思い知るかもしれないね』

『それは、どういう意味でしょうか』


 リルが豊島を抱えて、部屋を出ていく。完全に失神してしまったようで、おそらく布団に寝かせようというのだろう。

 と、音もなくが開いた。須佐も気づいたようだ。人の姿は見えないが、随分と濃密な気配が入ってくる。


「ご無沙汰でしたね、マイルズベイルの旦那」

『このたびは、色々とご迷惑をおかけしました』

「よろしかったんですか? ディオルマの旦那とギイアーンの旦那の件。もう預けちまいましたから、マイルズベイル界には戻れないと思いますが」

『構いませんよ。わたくしの生んだ子が、わたくしの世界を飛び出す。形はどうであれ、それは素晴らしいことなのですから』

「左様で。本来はあのお二方の予定じゃなかったんですがねえ。あの天使殿はどうなりますか」

『抹消します』

「やはりね」


 マイルズベイルの思念は揺るぎない。津雲もやむを得ないだろうと思っていた。


『百年の闘争、百年の平和。人々が神を敬い、畏れ、縋るには闘争だけ、平和だけでは駄目なのですから』

「左様で。ではディオルマの旦那とギイアーンの旦那の後釜は?」

『あの増長したウィーモアの願い通りにしてやりますとも。新しき二神が地上の行いを見て、どのような答えを出すのか。楽しみが増えたというものです』

「……左様で」

『これからはティミアランデとウーメイアをよろしく頼みますね。ディオルマとギイアーンの作り出す闘争も、何度も見ると飽きてきてしまって』

「ええ、喜んで」


 最も下種なのはあんただよ。

 津雲は笑顔で答えながら、マイルズベイルに向けて心の底から反吐を吐くのだった。

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