ドルバッヂ界の天騎士

 天にも届こうというほどの塔が、その威容を周囲に示している。

 人型の生物を守護する神が敗れ、広い世界の中においてその塔でのみ人類の生存を許されている世界。

 名をドルバッヂ界。主神ドルバッヂは既に亡く、その唯一の子である幼い神が塔の深奥で人々を守り続けていた。

 猛悪な六本足の名もなき蟲神が天地の大半を牛耳り、今日も塔の中へと信徒たる八本足を無数に送り込んでいた。


「数の暴力ってこええな」


 ぽつりと津雲は呟いた。

 この塔に住まう有翼の民は、七臥古物店に籍を置く仁魁炎ジンカイエンらとはルーツを別とする種族だ。

 世界をまたいでも、似たような姿の種族がいる不思議を論じたくもあるが、今はそれどころではない。


「外つ神殿。お力添えをかたじけなく思う」

「構いませんや。ドルバッヂの旦那と最初に付き合いがあったからこちら側というだけで、もしも先にあちらの蟲神どのが当店の客になっていましたら、今頃あちらであんた方を見上げていたことでしょうし」


 事も無げに言うと、新たなる神の神官であるという有翼人は顔を青ざめさせた。

 恐怖か怒りか、唇をわななかせる彼の背後から、涼やかな声が響く。


「それは当然の事だね。店主殿は嘘をつかないから嬉しい」

「やあ、メリドース殿」

「い、いけませんメリドース様! 表に出られては、御身が」

「店主殿のそば以上に、我が安心できる場所があるのかい?」

「……は」


 神の言葉を否定できず、神官が俯く。

 こちらとしては、神官も大事な顧客の一人だ。あまりいじめないでやって欲しい。回り回って憎しみがこちらに向くようでは困るのだ。

 メリドースは透き通った笑顔で、津雲に問う。


「私の力では、この塔を守れるのもあと三年が限度といったところだよ。店主殿、これをどうにかしてくれるのかい?」

「結果的にね。ドルバッヂの旦那に貸した分のうちふたつ、なかったことにさせてもらうけど」

「貸しまで減らしてくれるのかい? 我らだけが良い思いをするような気がする」

「この世界の未来に干渉することになるから。蟲神にあんた方が滅ぼされるのが、この世界の本来抗い得ない未来だ。それをひっくり返すからには、ね」


 津雲は小さく溜息をついた。

 黒づくめからの依頼があった時に、最初に思い浮かべたのがこの世界だ。

 蟲神の暴威によって、ドルバッヂ神さえも消滅した。このまま滅ぶのを待てば、どちらにしろ代価の回収は出来なくなる。出来るだけ他の世界には干渉しないのが七臥古物店の大事なルールだが、客からの依頼次第ではその限りではない。

 メリドースらが救われたことによって生じる影響は、全部黒づくめに放り投げる気の津雲である。


「さて、そろそろかな」


 津雲が呟くとほどなく。仕入れ班の三人がひとりの有翼人を連れてやってきた。

 鍛え上げられている有翼人たちの中にあって、彼は随分と小さい体をしていた。ありていに言えば、貧相だった。


「店主、こちらの方」

「レメルダ?」

「は、はひ! メリドース様!?」


 レメルダと呼ばれた少年は、メリドースの姿を見て慌てて平伏した。ぷるぷると震えるさまは、近くにいる神官にはあまり気持ちの良いものではないようだった。少しばかりの蔑みを視線に乗せて、聞いてくる。


「この者をどうなさるおつもりかな、外つ神殿。かの蟲どもと戦うことはおろか、荷運びのひとつも満足に出来ぬ半端者だが」

「そうかい? マッフ、彼を選んだ理由は?」

「それはもちろん、才能の豊かさです。適切な訓練が足りていないのか、栄養不足か分かりませんが、伸びしろはピカイチですよん」

「栄養不足? ルピニード、どういうことだい」


 メリドースの問いに、神官――ルピニードはまずいことを聞かれたようで顔を歪めた。が、未だ平伏するレメルダ以外の視線が集中したことで、諦めたように口を開く。


「出来損ないには、あまり食事をやれません。この者は先ほども言いましたように半端者。その分、力ある者に食事を配分するのは当然のことでしょう」

「何てことを。我が民は全て我が子。そのような扱い、さぞ辛かったろう」

「も、もったいない、お言葉です!」


 メリドースが膝をつき、そっとレメルダの手を取る。

 レメルダは突然のことに身を震わせて感激している。嗚咽が聞こえてきているから神に触れられるというのはこちらが思っている以上に光栄であるらしい。

 メリドースはゆっくりとレメルダを立ち上がらせると、怒っているようで眉根を寄せて聞いてくる。


「で、レメルダをどうするんだい?」

「まずはこれを飲んで」

「は、はひ?」


 持ち込んだ台車の中から、虹色に輝く小瓶を取り出す。小瓶自体には色はなく、入っている液体が虹色に輝いているのだ。飲めと言われて、レメルダも躊躇する。

 津雲が蓋の部分をぽきりと折ると、少しずつ揮発しているらしく、瓶から虹が漏れ始める。


「ほら、早く」

「はいっ! んぐっ!」


 メリドースも困惑している様子だったが、レメルダは津雲がメリドースの側にいる以上、悪いものを勧めるとは思っていないようだ。覚悟を決めたようで、瓶に口をつける。

 喉が何度か動き、虹色の液体を嚥下するレメルダ。

 飲み干して口を離すと、口の端から吐息とともに虹が漏れた。


「店主、その液体は?」

「フォ界に存在する、『開眼の虹』と呼ばれる液体を封入した瓶だよ。全身に限りなく栄養を満たし、秘めたる才能を開花させるとかさせないとか」

「最後が不穏だよ店主。試したことは?」

「結構な貴重品でね。ないんだこれが」

「お、オ、オオアアアアアアアアアアアアア!」


 レメルダが喉を掻きむしるようにして、叫ぶ。開いた口から虹色の光が放たれ、その全身が文字通り膨れ上がった。


「こ、これはっ!?」

「おお、てきめんてきめん」


 雄々しい翼と、ルピニード以上にみっしりと鍛え上げられた筋肉。身長も二回りほど大きくなり、レメルダの面影はほとんどない。

 メリドースがこちらとレメルダを交互に見る。


「さ、時間もないことだし、これを身に着けて。マッフ」

「ほいきた」


 台車の中にしまってあった白銀色の鎧兜を、マッフがレメルダに手際よく装着させていく。少しばかり大きいはずのそれが、レメルダの体に合わせて勝手に縮む。

 最後に自らの身長ほどもある巨大な槍を持たせれば、そこには威風堂々とした英雄としか思えないレメルダの姿があった。


「店主!?」

「ほい、神殺しの英雄いっちょ上がり。拍手っ」


 ぱちぱちと軽い様子で手を叩く津雲と仕入れ班の面々。メリドースがこれまでにないほどの困惑を見せる。ルピニードの顔にあるのは羨望か嫉妬か。どうも神官らしくない、いやだからこそ神官らしいと思うべきか。

 レメルダはされるがままだったが、自分の体の動かしやすさに驚いたのだろう、随分と堂に入った動きで槍を振り回す。演武か。

 津雲はレメルダの動きに内心で合格点をつけた。遠くに見える、山のような巨体の蟲神は、生物としては異様な巨大さだが、それでもこの塔と比べるとまだまだ小さい。


「さて、レメルダの旦那。薬を使って、一時的にあんたの体はのと同じ状態だ。あんたはこの世界そのものが生み出した、あの蟲神に対抗できるただ一人の才能だったってことだね」

「ぼくにそんな才能が」

「ただし、薬の力を借りているから、時間制限があるよ」

「時間制限」

「あの蟲神を討ち果たせるまで保つかどうかは分からない。命を捨てる覚悟で蟲神を討つのも良し、下で奮闘している仲間たちのためにその力を振るって英雄になるも良し。ここから先は自分で決めな」

「店主!?」


 メリドースが声を上げるが、片手を上げて制する。ルピニードが何かを言おうとして果たせず、黙り込んだ。俗っぽい男だが、男の矜持はあったらしい。

 レメルダは瞳を閉じて少しだけ考えたあと、意を決したように頷いた。


「蟲神を、討ちます」








「我が子レメルダ。そなたに私の加護を託す。これより天騎士レメルダを名乗り、あのおぞましき蟲神をどうか討ち果たして欲しい」

「メリドース様、もったいないお言葉です。ですが、そのご加護も、天騎士の名も、これまで命を懸けて戦ってきた他の誰かにお贈りください」


 跪いたレメルダがそう言って固辞するが、しかし加護の光がその身を包み、天騎士への祝福が世界から次々に降り注ぐ。

 祝福には人や獣の姿をしたものもあり、それを目にしたメリドースが驚いた顔をする。


「フォグザ! マインリーフ! そうか、想いを残してくれていたのだね」

「この世界はあの蟲神を余程否定したいらしい。あれの由来とか、ご存知?」

「分からない。世界の果てに突然現れたこと、蟲を指揮してあらゆる存在を貪り食ってきたこと。分かっているのはこれくらいだよ」

「ふうん。……まさか、ねえ」


 津雲は少しだけ思考を巡らせている間に、レメルダに流れ込む祝福の奔流が途絶えた。それと同時に、天空から光り輝く塊がゆっくりと降りてくる。


「ドルバッヂの旦那」

「おお、主神ドルバッヂ!」


 ルピニードが跪く。

 実体を持たず、光の塊となったドルバッヂが、一瞬だけこちらを見て頭を下げたように見えた。

 それも束の間、塊がほどけ光の奔流となってレメルダに吸い込まれていく。


「あ、あ、あ!」


 レメルダが悲鳴を上げた。大きく育った翼の付け根から、めきめきと音が響く。翼が四枚になり、六枚になり、八枚になったところで止まる。

 周囲の者たちがドルバッヂの降臨に涙を流す中、津雲は胡坐あぐらをかいて顎に手をやる。


「そういや、ドルバッヂの旦那は蟲神に食われたって言ってたっけ」

「はい。無数の蟲に毒を撃ち込まれ、最期は一飲みに」

「ああ、じゃあその時に体を捨てたんだな。ったく、それならそうと言いに来いっての」

「は?」


 ドルバッヂは受肉する体を捨て、力そのものとなってこの世界を護り続けてきたようだ。主神を失っても世界が崩壊していない理由に、これで納得する。

 変容が終わったレメルダが、塔の縁に立った。一直線上に、山のような蟲神が立っている。


「さ、行っといでレメルダの旦那。あんたにはこの世界がついているよ」

「はい!」


 槍を構え、塔の縁を蹴る。翼をはためかせるたびに虹色の光が放たれ、塔のいたる所から歓声が上がった。


「う、お、お、お、お!」


 蟲神の体が傾ぐ。統率されている蟲たちの動きが変わる。

 天地が軋るような音が響いた。無数の蟲たちが蟲神に向かって集まり始め、山のような巨体がさらに膨れ上がっていく。


「んー」


 津雲は顎を掻いた。集合体の質量は倍ほどにもなっている。このままではおそらく強化の時間が保たない。蟲神に知性があるかは分からないが、素直に上手いと思う。

 台車に入れてきた品物で何か必要なものがないかと考えていたが、レメルダもまた神々から預かった権能を使いこなしてみせた。

 槍を天に掲げると、天空から無数の光の弾が降り注ぐ。流星雨が地面めがけて降り注ぐといった、幻想的な光景が広がる。

 更に、地面が揺れ動いて蟲神の群れから蟲たちが振り落とされる。

 見ていると、蟲神が支配しているのはあくまで蟲だけで、大地にも空にもその権能が届いていないのが分かる。


「メリドースの旦那。虫を司る神様ってのは、奴で間違いないのかね」

「いや、ザパという神がいたよ。あの蟲神に最初に食われてしまったのが彼ではないかって言われているね」

「蟲を操るからかな」

「うん」

「ふうん」


 死闘は続いている。

 蟲神はどうやら蟲が剥がされるほうが早いと判断したらしく、レメルダに向けて操る蟲の群れを向かわせ始めた。

 レメルダが蟲の奔流に飲み込まれ、次の瞬間にはその中心が燃え上がる。

 メリドースがレメルダに向けて祈りを捧げる。レメルダの振る槍の力強さが増す。


「マッフ」

「はいよ」


 津雲はマッフを呼ぶと、台車の中身を取り出した。






 何時間が過ぎただろうか。レメルダの全身は傷だらけで、しかし槍を振るう力強さに陰りはない。

 蟲神も無傷ではない。蟲の群れは一部が剥がされ、槍によって貫通された穴がいくつも空いている。


「あ、あ、あ、あ!」


 レメルダの背中にある八枚の翼が輝く。槍を構え、蟲神の露わになった頭部へと飛翔する。


「ギィ!」


 盾になろうとする蟲を弾き飛ばしていく。勢いはそのまま、レメルダが蟲神を貫通する。


「う、お、お、お!」


 頭部の破壊だけでは神は死なない。それを理解しているらしいレメルダは、すぐに反転して更に幾度となく蟲神を突き刺していく。

 蟲神が身をよじらせた。


「ぎ、い、あ、あ!」


 反動に悲鳴じみた叫びを上げながら、天空高くまで飛び上がる。


「が、あ、あ!」


 自由落下に、翼をはためかせて更なる加速をかけていくレメルダ。

 蟲神もまた、小さな天敵に向けて破壊された大顎を開く。

 激突、そして轟音。

 山とも見紛う蟲神の中にレメルダが消えていく。貫通出来なかったようだが、レメルダが蟲神の中で暴れ回っているらしいのは分かった。蟲神がこれまでにはない勢いで暴れ出したからだ。


「ぐ、お!」


 吐き出されたレメルダの体が、かすかに明滅した。







「そろそろ時間切れだねえ」

「!?」


 様子を観察していた津雲の言葉に、手に汗を握って様子を見ていたルピニードたちが視線を向けてくる。


「あと、どれくらい時間があるんだい?」

「さあて、一時間か、二時間か。五分で切れても不思議じゃないなあ」


 何しろ、津雲の薬だけではなく、この世界にいた多くの神々の祝福が降り注いでいる。レメルダの体内でどのようなことになっているのか、誰にも分からない。


「どうしたらいいと思う、店主?」

「さあ?」

「さあってそんな、無責任な」


 ルピニードが食ってかかってくるが、津雲はそれには構わずメリドースに話しかけた。


「うちはあれと戦いになる方法を用意したよ。んで、あんた方はここで喜んで応援しているだけかい」

「えっ」

「周囲に張り付いている蟲には攻撃が効くんだろ? じゃあ、あんた方がすべきことは決まっているんじゃないかね」

「……そうだった」


 いつだって神の暴虐を止めるのは、そこに住む者の想いと覚悟のはず。

 それはきっと、どの世界でも変わりはしない。


「今のところ、覚悟を見せたのはレメルダの旦那だけだ。これだけ言っても分からないなら、レメルダの旦那は装備ごと当店が――」

「その必要はないよ、店主」


 メリドースが翼を畳む。

 身につけていた薄衣が姿を変え、青い鎧を形作った。


「ドルバッヂの旦那は赤い鎧だったね。メリドースの旦那は青か」


 勝ち目が出てきたかもしれない。津雲は胡坐をかいたまま、この世界の未来を信じることにしたのだった。







「ぎ、あ!」


 レメルダは闘志を維持したまま、蟲神への突撃を続ける。

 槍の長さが、ほんの少し短くなったことを知覚する。折れる可能性はないだろうが、自分の限界が近いことを何より強く理解する。


『一旦下がってはどうだ。一度息を整えれば、まだ戦えよう』

『いや、そうすれば蟲神は自身を再構築するだろう』

『だが、このままでは天騎士が散るぞ』

『分かっている。まだか! まだかメリドース!』


 背後で声にならない声を戦わせているのは、自分の中にいる神々か。

 片方はメリドースを呼び捨てにしているのだから、ドルバッヂかそれに近しい神であるのだろう。話している相手もまた、同じような階位の。

 そんな神々が塵がごとき己の身に宿り、その命を惜しんでくれている。あるいは最後の可能性に賭けているだけなのかもしれないが、それでも。


「ら、あ、あ、あ、あ!」


 その喜びだけで、レメルダは力を振り絞ることが出来る。


『まだこれほどの』

『だが、多勢に無勢ではいずれ。まだ蟲どもは半分以上残っているのだぞ!』


 全力で槍を投げる。衝撃波を伴いながら、槍は蟲神の左脇腹あたりを深く覆っている蟲たちを吹き飛ばした。すぐさま蟲たちが集まり、傷の辺りを隠していく。

 やはり。あの神の急所は頭でも中心にもない。


『あそこか!』


 槍が世界を一周して戻ってくる。

 レメルダは大きく息を吐き出して、もう一度力を振り絞る。


「あ」


 だが。

 その瞬間に全身から何かが抜け始めるのが分かった。大切な、とても大切な何かが。

 どうにか繋ぎとめようとするが、減る方が速い。


『無理だったか!』

『メリドォォォォォス! このたわけが、やはり貴様が主神ではこの世界は』

「そんなことは、ありません。ドルバッヂ様」


 鮮血とともに言葉を絞り出す。

 先程のこと。そう、ほんの少し前のことだ。


「メリドース様は、塵にも等しき臣の名を覚えていてくださいました。枯れ木のような臣の手を取って立たせてくださいました。どれほど嬉しかったことか」


 そうだ。その喜びひとつで、レメルダという小さな男の命は報われたのだ。

 背後の塔があれば、人々はまだやり直せる。

 血を吐きながら、槍を構える。もはや動けない。だが、先ほど以上の一投を投げれば。

 レメルダには確信があった。槍に込めるものは、神の力と、あとは彼に残されているたったひとつ。

 己の、命だ。


「ぎ、い、が、あ、あ、あ、あ、ああ、ああああああああああああああAA――」


 レメルダと共に槍が叫ぶ。


『どうだ、ドルバッヂ』

『まだだ、まだわずかに足りぬ』

『くっ』


 背後の言葉に、しかしレメルダは大地の上で槍に力を込め続ける。

 投げた後のことは、ルピニードに任せればいい。メリドース神さえあれば、きっと。

 と。脱力感に霞みながらも蟲神を見据えていたレメルダの目が、蟲神へと着弾する無数の光弾を捉えた。


「え」

「レメルダ! そこですか、そこが急所ですか!」

「撃て、撃てぇ! 余力を残すな、我らの命運は英雄に託された! いいか、我らの命運は天騎士レメルダに託された!」


 塔を振り返る余力は、もう体のどこにもない。しかし、見えている光景が、確信させてくれた。

 自分のために、皆が護りを捨てた。その事実に、涙が溢れる。

 メリドースと謁見した時と同じか、それ以上の喜びが心に満ちて。


「こ、お、お、お、お、お、お、お、お、お、お、お、お、お!」


 そうだ、まだ自分には槍に乗せられるものがあったではないか。


「撃て、レメルダ!」


 最後の一投のために残した力。それを指先に込めて、押し出す。


『見事』


 ドルバッヂ神の、感服したような声が聞こえた。






 蟲神の急所を貫いた槍は、そのまま蟲神の体から飛び出して消えた。

 空間を超越して津雲の眼前に戻ってきた槍を、軽い調子で台車の中へ。


「神殺しの槍、いっちょあがりと」


 蟲神の体が力なく傾き、槍と同じように消え失せる。

 メリドースを始めとしたこの世界の者たちが周囲を見回すが、蟲神の姿は影も形もない。

 そして、地上では蟲神の支配を逃れた蟲たちが周囲にいた仲間たちと壮絶な共食いを始めた。


「おっといけない。マッフ!」


 その中には、全ての力を出し尽くして倒れたレメルダもいた。このままでは蟲たちに食い殺されてしまう。

 が、津雲の懸念は杞憂に終わった。

 メリドースの側から高速で飛翔した誰かが、レメルダの体を抱えて離脱する。


「心配いらなかったねえ、店主」

「だね。首尾は?」

「ばっちり。中に囚われていた神さんがいたけど、それは必要ないよね?」

「ああ。ザパって神様だろ。ま、蟲の神が蟲に食われるはずもなし。よし、撤収」








「まったく、世話の焼ける」


 レメルダはゆっくりと瞳を開けた。全身の力を使い切って、それだけでも必死のことだ。


「ルピニード、さま」

「様はいらぬ」

「え」

「済まない、レメルダ。私はお前を侮っていた」


 どうやら空を翔けているようだ。体は言う事を聞かず、風を切っている感触も感じない。


「よいの、です。みなさまの、おやくにたてた」

「死ぬな、まだ死んではならぬ」


 酷なことを言う。休ませてはもらえないのか。

 ルピニードの顔が、歪んでいた。


「今、お前が散れば、メリドース様がどれ程悲しまれるか。もうすぐつくのだ、友よ、もう少しだけ力を振り絞ってくれ」

「メリ、ドース、さま」


 そうだ。

 勝利の報告をするまでは、死ねない。


「ありがとう、ルピニー、ド」

「うむ、うむ!」


 体に熱が戻ってくる気がする。


「レメルダ!」


 ぎゅ、と抱きしめられる感触。


「勝ちました、メリドースさま」

「見ていたよ、見ていた……!」


 天騎士レメルダは、万感の思いを込めて告げた。


「この勝利を、メリドースさまと、共に戦ってくれた皆様に捧げます」







「げっ!」


 店に戻ると、待ち構えていたのは黒づくめ。

 津雲が手に持っていた籠を見せると、中を覗き込んでそんな声を上げた。


「おや、何か心当たりが?」

「な、ないよ。ナイトモ」


 顔を逸らす黒づくめに津雲が問うと、後ろ暗いことがあるとばかりに首を振って否定する。


「それじゃ、お受け取りください。ご希望の神です」

「えっ!? いやあ、これはちょっと遠慮したいなあ」

「世界を食い尽くそうとした邪悪な神ですよ。ご希望には沿っていると思いますがねえ」


 籠の中には、瀕死の蟲神が転がされている。山のような巨体だった蟲神の本来の本体がこんな小さな蟲だったとは。

 津雲は半眼で黒づくめを見ながら、言葉を重ねる。


「現地の人々が極めて強い畏れを感じていましたよ。何か気になることでも?」

「そ、それは」

「心当たりがないのであれば、ご要望どおりの商品だと思いますがねえ」

「わ、分かったよ! 持ち帰るよ! でも依頼は二柱ふたりだからね! ちゃんと他のも頼むよ!?」

「はいはい」

「この世界の人間が生み出した神でもいいよ? むしろそちらの方がいいかな」

「はっはっは、ご冗談を」


 津雲が朗らかに笑うと、黒づくめはどことなく悔しそうな気配をさせながら籠を受け取るのだった。






 黒づくめがの向こうに消えた後。マッフが首を傾げた。


「店主。なんであの客、条件に合ってるのに嫌がったのかね?」

「たぶん、自分の世界の知り合いが用意したんじゃないのかな」


 蟲神はザパを中に封じることで、蟲を操る権能を持たせられていた。何者かの超常的な存在が関わったと考えるのが自然だ。

 その世界に存在する者がやったのであれば、津雲も特に言うべきことはない。だが、別の世界の存在がやらかしたのであれば話は別だ。


「案外、自分でやらかしたのかもしれないよ。うちがドルバッヂの旦那と付き合いがあるとは知らなかったんじゃないかな」


 津雲の顧客を自分の手配で滅ぼしかけたとなれば、出入り自体に関わる。黒づくめが認めるとは思わなかったが、あの態度を見る限り関わりがないとは思わない。


「どうするの? 出入り禁止にする?」

「さあて。自分からは認めなかったし、出入り禁止にはしにくいなあ」


 マッフと話しながら、流れるような作業で餅を炙り始める津雲。

 食う? と聞けばマッフはもちろんと頷いた。


「でも、いいのかな」

「何が?」

「そこに住んでいる人たちがひどい目にあうってことでしょ? お仕事なのは分かるけど、ちょっと心苦しいなあ」

「そうだね」


 海苔と醤油を用意して、マッフに手渡す。

 津雲は餅を頬張りながら、にやりと口元を歪めた。


「まあ、渡す時の状態については指定なかったしね」






 黒づくめは、溜息交じりに籠を持ってその星に降り立った。


「何が悲しくて、自分が創ったやつを渡されなきゃならんのか」


 化身のひとりが作り出した暴食の邪神。

 まさか無数にある世界の中で、食指を伸ばした先がかぶるとは。

 とはいえ、そんなことを津雲に言えるわけもなく。


「本当はもっと育ってから使いたかったんだけどなあ。ま、仕方ない」


 籠を開けて、蟲神を地上に落とす。

 ぷるぷると震えていた蟲神が、かさかさと歩き出す。


「よし。では、この星を恐怖で包むといい!」


 黒づくめは姿を消して、蟲神の後ろからついていく。

 程なく、蟲神が最初の住人と接触する。

 牛の頭に、人の肉体。分厚い筋肉に覆われた獣人がこちらに向かって歩いてくる。


「ほう、最初の餌か。不運なことだ。さあ、食い尽くしてしまえ!」

「うお、気持ち悪っ!」


 ぷち。

 ぷるぷると震えながら前脚を持ち上げた蟲神が、牛男に踏み潰される。


「はあ!?」


 牛男は自分が何を成し遂げたのかも知らないまま、歩き去って行った。

 黒づくめが蟲神を見ると、緑色の体液をだらだらと流しながら、ぴくりとも動かない。既に死んでいるのは見た目にも明らかだった。


「何だこれぇぇぇっ!?」


 黒づくめの問いに答えてくれる者は、どこにもいなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る