会議は怒号と魔法が飛び交う
アメリカにある異世界との扉は、とある団体が管理している。
デューフォルク財団。
表向きは雑多な事業に少しずつ関わっている財団なのだが、注目されるほど大きくなく、警戒されるほど功績を上げていないため、極めて目立たない存在だ。
しかし、その正体を知っている者からすれば、デューフォルク財団はこの世界そのものに影響を及ぼしかねない力を持っている危険な財団だと断言するだろう。
異世界との扉がもたらした品々の中で、財団が倉庫の奥に秘匿しているもの。決して表には出せず、さりとて別の世界に売るのもはばかられるものだ。
「ほれ、ご覧。心配しなくても、どこにも売ったりはしとらんよ」
「確認した。陛下も安心されるだろう」
「こちらも確認しましたよ、っと。これで終わりだね? じゃあお開きにしよう」
デューフォルク財団の代表であるメアリーザ・デューフォルクが厳重に施錠された金庫の扉を開き、中を見せる。
イギリスで同じく異世界との扉を管理するボルモア公が中を確認し、続いて津雲も中を見る。
名状しがたい色をした、蠢く肉塊。いずこかの邪悪な悪魔の右腕だというが、しぶといことにまだ動いている。
「うちの祖母さんもこれを毎年見せられてたわけか。何の罰ゲームなんだろうね、一体」
「見たいものではないが、ここに存在することを確認しないと不安になる。そういうものだ」
「仕方ないじゃろ。こんな危険物、どうせえって言うのか」
「もうずっと閉めときなよ」
「開けてみて無くなってたらどうするんじゃよ!? それはそれで怖いから頼んどるんじゃないかね!?」
「そんなこと言われても」
毎年、在庫確認という名目で祖母がアメリカに呼びつけられていたのは知っていたが、実際に来てみると聞いていたとおり面倒なだけだ。
溜息をつく津雲に、ボルモア公もメアリーザも渋い顔を見せてくる。
「ツクモまでヤエと同じことを言う」
「そりゃ、祖母さんが帰ってくるたびに面倒だの退屈だの意味あるのかだの言ってたんだから。祖母さんの言う通りだったな、って」
「しかしだね、ツクモ。それならばどうしたらいいと思う?」
ボルモア公の問いに、満面の笑顔で言い切る。
「その腕を触媒にして本体を呼び出すでしょ? そのまま有無を言わさずやっつけてしまえばいいじゃない」
「ツクモまでヤエと同じことを言う」
つまり、それだけ当たり前の解決策だというわけだ。
邪悪な神の類ではなく、単なる悪魔の一体なのであればそうしてしまえばいい。悪魔なるものに奇妙な恐怖を抱いているのは、宗教的な理由か何かだろうか。
ふと、津雲は金庫に背を向けた。
メアリーザもボルモア公も気づいていないようだ。二人も海千山千の異世界の住人たちを相手にしてきたのだ。戦力としては不安はないが。
「どうしたんじゃね、ツクモ?」
「その金庫、腕の気配を完全に隠せるんだよね?」
「うむ」
「もう隠す意味、なさそうだよ」
「!?」
ここに向かって一直線に向かってくる、悪意に満ちた気配。
二人もようやく気付いたようだ。油断なく身構える。
この金庫の部屋に繋がる、唯一の扉が静かに開かれる。ここに居る三人以外、絶対に立ち入りを制限される場所であるのに、だ。
入ってきたのは、まだぬいぐるみを手放せない小さな少女だった。
「マリーゼ!?」
メアリーザの末の孫娘、最も溺愛しているマリーゼがゆっくりと入ってくる。
思わずメアリーザが構えを解く。馬鹿なことを、とは言えなかった。
「おばあちゃま」
「何故こんなところに? ここは入っては駄目だと言ったろう」
「おばあちゃま、私、それがほしいの」
金庫の奥にのぞく、腕をためらいなく指差す少女。
津雲は警告など口にしなかった。そんな暇はなかったとも言う。
指差した右手が、まるで蛇のように伸びた。一直線に悪魔の右腕を掴もうとしたその手を、抜き打ちの一閃で斬り払う。
少女マリーゼは痛みなど感じていないようだった。血も流れず、両断された右手を戻して断面図をまじまじと覗き込む。
「何するんだい、ツクモッ!?」
「落ち着きなって。ほら、これ腕じゃなくて蛇だから」
切り離されたのは、手ではなく蛇に変わっていた。うぞうぞと悪魔の右腕に向かって進もうとしている。
それを踏み潰したのはボルモア公だった。さすがに老いたと言えど異世界との扉を管理する家柄だ、とにかく理解してからは動きが速い。
「マリーゼ嬢をどこにやった、悪魔よ」
「あ、悪魔!?」
「そこの右腕を欲しがるとは、やはり腕の持ち主か。マリーゼ嬢に化けたと言えど、その腐臭は隠し切れんわ!」
怯えた様子のマリーゼに、ボルモア公は容赦ない。メアリーザは虚脱して二人を順番に見ている。
一瞬だけメアリーザを見て、その様子から役に立たないと見切ったのか、途端にマリーゼが邪悪な笑みを浮かべた。
「さあな、どこだと思う? さっきまでは屋敷の中にいたよなア?」
「お、お前、マリーゼを!?」
「教えて欲しけりゃあ、腕を返しな。おれの目的は腕だけだ。腕さえ回収したら、ちゃあんとここから立ち去ってやるからよ」
にたにたと笑うマリーゼの顔をした悪魔に、メアリーザは大いに悩んでいる。
付き合っていられないので、津雲は横から声をかけた。
「大丈夫、マリーゼ嬢ちゃんはまだ屋敷の中にいる」
「え?」
「ちっ!」
「護衛に残しておいたうちのスタッフがいるからね。その合間を縫って嬢ちゃんを誘拐するなんて手間はかけてないみたいだ」
そして、メアリーザの急所を的確に押さえてきたということは、この悪魔はメアリーザの家族構成などを十分に理解していることになる。
津雲にしてみれば、そちらの方が大ごとだ。
「ここに腕があることを知っていて、しかもメアリーザの婆様についても調べがついている、か。あんた、この世界に来て随分経つね?」
「何だ、この若造が一番分かっているじゃないか」
色々と段取りを狂わされたと理解したか、悪魔がマリーゼの姿を捨てる。右腕のない、紳士然とした姿。筋肉質のボルモア公と比べると、枯れ枝のように見えてくるが。
津雲は虚空から取り出した刀の切っ先で右腕をひっかけると、悪魔に向けて放り投げる。
この
「え」
「あっ」
「くぺっ」
何とも間の抜けた断末魔を上げて塵になる悪魔。
唖然としているボルモア公とメアリーザ。
津雲は刀を鞘にしまって、そのまま虚空に向けて放る。落下する前に、刀はいずこかへと消えた。
「さて、お二人とも。あんな輩を扉から通した覚えは?」
「永年の懸案事項をこうも簡単に」
「ボルモア公?」
「む? ああ、済まない。我が国ではあのような者を通したことはない。神と、偉大なる陛下に誓って」
「婆さんは?」
「うちだってないわい。お前さんのところはどうなんじゃツクモ」
会話の主導権を握ろうとするメアリーザに、黙って首を振る。
そのまま、確認すべきことを口にした。
「つまり、奴は我々の管理している以外の扉から来た可能性があるということだ」
悪魔の右腕は、悪魔とともに消滅した。
この報は、デューフォルク財団の者たちには極めて好意的に受け入れられた。
財団の所有しているホテルに戻った津雲たちは、今度はそれぞれのスタッフも入れて会議を始めることとなった。
「という訳で、あの悪魔はあたしらの管理しているのとは違う扉から来た可能性がある」
「他には、元々悪魔はこの世界に住んでいたけど、腕だけが別の世界に放り出されたって可能性と、変装していたからうっかり入ってきたのに気づかなかった可能性あたりがあるかな」
「悪魔は塵にかえった。財団の内情を調べ上げていた様子だから、この国にいたことは間違いなさそうだ。どのようにして調べたかは、今ではもう分からないが」
ボルモア公の言葉に、古物店のスタッフ以外の視線が津雲に集中する。
無言の問いかけに、津雲は特に悪びれることなく答えた。
「ついでに言えば、あいつがやってきた扉がどこにあったのかも含めてだね。こちらの言い分としては、たとえ生け捕りにして聞いたとしても、ほぼ間違いなく本当のことは言わなかっただろうってところかな」
剣呑な視線は特に変わらなかったが、隣にいたメアリーザだけは深く頷いた。
「それについてはあたしも同感だ。この件でツクモに文句を言うのは筋が違う。ボルモアのバカ旦那はそんなことも分からないのかね」
「何を言う。私はツクモに文句など言っておらんよ。歳を取りすぎて幻聴でも聞こえたか耄碌ばばあ」
「そうかい。これほど皮肉の才能がないと、本国ではさぞ生きづらいだろうね? 何しろ皮肉なのか本音なのかまったくわかりゃしない」
「ふ、分からないのは学が足りないだけじゃないのかね? 自分の理解力の低さを私に押し付けられても困るな」
一方的に悪者にされかけたボルモア公も、負けじと言い返す。
この二人というより、ボルモア家とデューフォルク財団は昔から極めて仲が悪いのだ。
また始まったかと津雲は小さく息をついた。目の前のジンジャーエールをちびりと飲むのと、ボルモア公とメアリーザが立ち上がるのは同時だった。
実際、昨日の在庫確認の時も二人は事あるごとに揉めに揉めて、中々作業が進まなかったのだ。
「店主、どうするんだ?」
「どうもこうも」
当たり前だが、ボルモア家はボルモア公の、デューフォルク財団はメアリーザの味方だ。津雲に向けられていた剣呑な視線はいつの間にかなくなって、互いにガラも悪く睨み合っている。
「別に俺が悪かろうと誰が悪かろうといいからさ、話を進めないかね?」
一応、建設的と思えるような意見を出してみるが、両方の陣営ともに無視だ。
ぎちり、と金属質な音を立てて口許だけの笑みを浮かべたボルモア公が、メアリーザに向けて言い放つ。
「昨日からいい加減あれこれ邪魔しやがって耄碌ばばあ!」
メアリーザも負けていない。びきびきと額に青筋を走らせ、ボルモア公に向けて両手をかざす。
「若造が! 昔っから小生意気なんだよ!」
そこから、堰を切ったように罵詈雑言が飛び交い始める。
程なく、メアリーザのかざした両手が怪しく輝いた。
「やべ。逃げるよ!」
メアリーザの両手から無数の光の塊が放たれ、ボルモアが両腕を押し出すようにすることで生み出された光の鏡面が、光の塊をあちらこちらに弾き飛ばす。
その行き先には、もちろん津雲たちの座っていた場所もあって。
津雲の号令に従ってスタッフたちが離れた直後のテーブルが、光の弾に軽々と粉砕された。
「うひぃっ!」
付き合ってられない。乱戦乱闘が始まった会議室から、津雲とスタッフは早々に逃げ出すのだった。
「さて、新しい異世界との扉の探索についてはデューフォルク財団の管轄ということで。見つかった扉の処遇については、ボルモア家とデューフォルク財団の合議で決めることにしてください。七臥古物店はその扉に対する一切の権利を主張しませんので」
「いいのか、ツクモ?」
「そりゃもう。うちの場合、海を渡って管理するのも面倒ですし」
「それもそうだね。もしもジャパンで扉が見つかったら、あたしもツクモに管理権を譲渡することにしよう」
「別に要らな……いや、そのご厚意はありがたく受け取らせていただきます」
「うむ。そこの耄碌ばばあに持ち去られるくらいなら、ツクモに管理を移譲することに異存はない」
ようやく落ち着いたというのに、再び揉め事を再開させようとするボルモア公を咳払いで牽制しつつ、津雲は続ける。
「んンッ! これ以上揉めるんだったら、うちはもう帰りますね。これでもう特に決めることもないでしょうし」
と、その言葉にはボルモア公だけでなくメアリーザも慌てたようだった。
「あ、ああ。悪かったツクモ。帰るのはまだ少し待ってはくれないか」
「そうだとも! ツクモも来て仕事だけして帰るってのはつまらないんじゃないかい?」
「あんた達の揉めごとに付き合わされるよりはマシなんですが」
津雲の反応が芳しくないと悟った二人が、同時に同じように手を挙げた。
互いのスタッフたちの中から、若い少女がそれぞれ前に出てくる。
「なに、もうそんな心配はいらない。紹介しよう、姪のウェンディだ。私が言うのも何だが、我が一族の中では一番の器量よしでね」
「あたしの自慢の孫娘たちの中で、あんたに年が近いのがこのリリーさ。今回、ぜひにもツクモに会ってみたいというから連れてきたんだ。どうだい、この後デートでも」
互いにそこまで言ったところで、再び睨み合う。
「ちょっと待ちな、ボルモアの。ツクモに嫁でも宛がおうってのかい」
「それはこちらのセリフだ耄碌ばばあ。今さっきその孫娘絡みでややこしい話になったばかりだろうが。今回はこちらに譲ってもらうぞ」
津雲は小さく息を吐いた。ここからの流れはもう見ている。
ウェンディとリリーもこちらではなく互いに睨み合っている。
スタッフたちの方を見ると、おおよそ全員同じ表情をしていた。自分も同じだろう。
「帰ろうか」
異論は、出るはずもなかった。
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