臨時休業と豊島レポート
七臥古物店は、常に異世界とばかり仕事をしているわけではない。
二月の半ばは毎年一週間ほどの休みを取る。
表の古物店の常連たちは、先代店主の頃からのことなので特に気にしていない。世間様の冬休みと日をずらして休むんだよ、と笑っていた先代の言葉を誰も疑わなかった。
津雲もまた、明日から店を一週間休みにすると豊島に告げた。
「アメリカの方で会議があるもんでね」
「アメリカ?」
「ん。ここ以外にも他の世界とつながる扉が二か所あるんだ。そこの代表者が集まって、年に一回在庫のすり合わせとかをするのさ」
「すり合わせ」
「絶対に確保しておかないといけないものとか、あるから。例えばうちが仕入れている霊薬なんかもそうだね」
「一般には流通させるつもりがないのにか?」
「入荷量に絶対的な制限があるからねえ」
とげのある豊島の言葉を軽く流しながら、津雲は棚にある貴重品を空いたかごに入れていく。
作業を続けながら、津雲は出かけている間の店のことについて悩み続けていた。
店にある右手の扉は、店主かその代理が店の中にいないと起動しないという特徴がある。津雲が店休日である木曜以外は店の中で寝泊まりしている理由もそこにあって、扉が機能しないと出かけた仕入れ班が戻って来られないのだ。
「どうしたものかな」
貴重品をあらかた片付けたので、続いてもうひとつのかごに入っていた当たり障りのない品を棚に並べ始める。
もちろん店休日である木曜にならないよう仕入れ班も調整はするのだが、何らかのトラブルで帰還が早まる場合もある。津雲は仕入れ班が仕入れに出ている時は、出来るだけ木曜でも店で寝起きするようにしている。
現在仕入れ班は三つあり、そのうちの二つがこちらの世界にいる。
「ま、仕方ないか」
悩んでいても、他に適任がいないのだ。
津雲は貴重品の入ったかごをカウンターに乗せた。瞬きする間に中身だけが煙のように消え去る。倉庫に送られたのだ。
かごを下ろしてから、引き出しから鍵と木札を取り出す。
「豊島さん。これを預けておく」
「鍵は分かるが、代理? これは……」
「店が休みの間だけ、お願いしたいことだあるんだ。昼あたり、一時間くらいでいいんだけど、店番してくれない?」
津雲の言葉に、豊島が目を白黒させた。
「休みにするのに、店番がいるのか?」
「リルたちの班がまだ戻ってきてないだろ?」
「そういえば、いないな」
「ここは店主か代理がいないと、右手の扉が動かないんだ。本当は今日までに戻る予定だったんだけど、ちょっと遅れてるみたいだね」
一週間もリルたちを別の世界で待たせるわけにも、彼女たちのために会議への参加を遅らせるわけにもいかない。
そうでなければ、今いち信用しきれない豊島に店番を願うつもりはなかった。
「毎日一時間くらい開いていれば、リルたちは十分戻って来られるから。リルが戻ってきたら鍵と木札を預けてくれればいいし、その後は店番も要らないから」
「ううむ、だが」
豊島も豊島で不安そうだ。最初の時のようなイソギンチャク人間がやってきたらどうしようとでも考えているのだろう。
津雲も渋る理由は分かるので、豊島を安心させるべく続ける。
「品も大して価値のないものに入れ替えたから。特に値引き交渉に付き合う必要もないし、対価は価値の違いを気にせず言い値で受けちゃって構わない。彼らとの値段交渉とか、大変でしょ?」
「ただ受け取って渡すだけで構わない?」
「おーけーおーけー。もっと言うと、並べた品の補充もしなくていいし、持ち去るのを追いかける必要もないから」
「うむ、それなら」
「助かるよ」
ようやく頷いてくれた豊島に、津雲も肩の荷が下りたと安堵の息をついた。
だがきっと、戻ってきたら同行できなかったことで拗ねたリルを慰める必要があるだろう。
津雲は、行く前からリルへの土産を何にするか頭を悩ませるのだった。
豊島しのぶは、上司に提出する報告書を仕上げていた。仕上がったデータを上司にメールし、後は何をしようかと考える。昼まではまだ少し時間がある。
配属先――というより監視対象と豊島は認識していた――の店が臨時休業ということで時間がぽつんと空いたのだ。
「あ、そうだ」
これまでの報告書を整理するという名目で見直しを始める。
特に目についたのは、やはり霊薬について。店主本人からも上司からも色々とたしなめられているが、一度火が付いた感情は言葉だけで納得などできない。
豊島が決意を新たにしていると、突然その両肩が背後から叩かれた。
「!?」
「やあ、しのぶ。何だか深刻そうだね」
「こずえ先輩!」
豊島に声をかけたのは、高校の二年先輩である木野こずえだ。
最終学府のレベルが違う彼女は、明らかに分かりやすい出世街道を歩いていた。
一方で、『可愛い』後輩である豊島への配慮も忘れない。
「読んだよ、豊島レポート」
「あの、ただの報告書ですので、そんな大層な呼び方はその」
「謙遜はいらないよ。よく書けている。あの店の持つ、大きな問題点についてもね」
口元を歪めた木野が、頷いてみせる。どうやら豊島の書いた報告書に目を通して同じことを感じたようだ。
この人ならば店主を説得する方法をともに考えてくれるかもしれない。豊島は声をひそめて、木野にだけ聞こえるように言う。
「実は、その件で相談が」
「奇遇だね。私もだよ」
目を見開く豊島に、木野は笑顔で頷いた。
「信じられないような客に、まるでファンタジーのような品々。最初に聞いた時には、こういう場所でもそんな噂が流れるのかって話だけだったけど。まさか知り合いが関わってるなんてね」
空いている会議室の片隅に場所を移して二人は、缶コーヒーを片手に話を再開する。
木野の言葉に、豊島は頷いた。
「最初は冗談の類かと思ったんですが、間違いありません。そこにいる間だけ幻覚を見たってわけでもないはずです」
「うちの上の方にも、多分その恩恵を受けてる人たちがいる。冗談交じりにその店の家宅捜索の打診をしたことがあったんだけど」
「初耳です」
「なかったことにされたからね。軽く笑ってやめとけって言われたよ。何年かに一人はそれを言いだす奴がいるって」
「そ、それで?」
「二度目に出した時には真顔で叱られた。どれだけ証拠が揃っても、あの店にそういう目的で立ち入ることはない。次に同じことを言ってきたら、ここにいられなくなるぞ……とさ」
「そんな」
思ったよりも木野が真剣に七臥古物店への捜査を考えていたと知って、豊島は頼もしく思うと同時に不安を覚えた。
まさか、上がそこまであの店に気をつかっているとは思っていなかったからだ。
とはいえ豊島自身、店の奥で明らかに表に出たら法に触れるだろう品々を目にしている。店主にいたっては、人身売買の過去を匂わせてすらいる。
「先輩。実は、今店主が店を外れています。短時間ですが店番も依頼されていて」
「へえ?」
豊島の言葉に、木野が楽しそうに片眉を上げた。
軽く頷き、聞いてくる。
「それで、その情報を私に伝えて、しのぶはどうしたいんだい?」
「先輩があの店をどのようにしたいと思っているのか、それを最初に聞いてから判断したいと思います」
「くくっ、慎重なのはいいことだよ。どちらにしろここの店主は権力に守られているから、罪に問うのは難しいだろう。同じように、店の接収も現実的ではないね。店主の考えや行動をコントロールできるよう、分かりやすい敗北を与えるのが良いと思うね」
「敗北、ですか」
「例えばしのぶと意見が異なっていることを解決するとか」
木野の言葉に、豊島は思わず反応した。
思い浮かんだのは、やはりずっと引っかかっていたこと。
「先輩、あります。意見の違い」
普段から客のほとんどいない古物店だが、今日ばかりは豊島は閑散とした店の様子に何となくうすら寒い雰囲気を感じていた。
店主に対して後ろ暗いことをするからだ。しかし、それはきっと世の人々のためになることだからと言い聞かせて。
「店番はその、リルという人物が戻ってくるまでということなんだね?」
「はい。だから急がないと」
木野を連れて来たのは、客になってもらうためだ。
棚に並んでいる霊薬を木野が手にし、津雲の指示どおり言い値で譲った。そういう形にすれば筋は通る。
木野は直属ではないにしろ上司だ。どうしても来たいと本人が希望したので連れて来ざるを得なかった、というのが言い訳の骨子だ。
「それにしても。随分と古い店だ」
敷地に入ってから今まで、木野の興味は店の古さが気になって仕方ないらしい。
「セキュリティとかはどうなっているんだろうね」
「普段はほぼ店主がいますから」
「まあ、この店にそれほど貴重なものがあるとは思わないか」
豊島の発言は、木野には響かなかったようだ。勝手に納得する。
二人は一般向けの場所を通り過ぎて、店の奥に入っていく。
「本当だ、変な位置に扉があるね」
「この向こうには部屋はありません。一度裏に回りましたけど、壁しか」
「これが開いて別の世界から、ねえ」
明らかに信じていない様子の木野。確かに自分もそうだった。
ひとまず豊島はカウンターに向かい、木野は棚の方へ。
津雲は念入りに棚の品を入れ替えていた。霊薬が残っているはずはないと思うが、木野には木野の目論見があるのだろう。
カウンターに座った豊島は、屈んで下を見る。津雲は棚の入れ替えをする際に何かをいじっていたはずだ。
「しのぶ、本当にこの棚が入れ替わるって?」
「ええ、確かに動いたところを見たんですけど」
バンバン、と急かすような音が聞こえて、豊島は顔を上げた。木野は棚に右手を乗せて、豊島を待っていた。
ふと、津雲の言葉が頭に蘇る。
「先輩、棚に手を乗せちゃ駄目です」
「何で? そんなに壊れやすいの、これ?」
「そうじゃなくて。ここのルールです、言ったじゃないですか。棚に乗っているものは全て商品として扱われるって」
「それは聞いたよ。でもね、そんなルールがもし本当にあるなら、人身売買の動かぬ証拠になるじゃないか。一発で検挙できるってものじゃない?」
「その商品に先輩がなるんですよ!?」
「何言ってるんだい、連れ去られる前に取り押さえてみせるさ。非番じゃないから、ちゃんと持って来てるんだよ?」
左手で腰を叩く木野。ホルスターでもあるのだろうが、これまで何人も客を見て来た豊島には、そんな甘いものではないと分かっている。
無理にでも手を離させようとしたところで、まるで待っていたかのように右手の扉が開いた。
「お邪魔しますよ」
リルの声ではない。男だ。そして右手の扉から入ってくるということは客だ。最悪だ。豊島は慌てて木野に視線をやる。棚から手を離せと。
だが、木野はこちらを見ていなかった。開いた右手の扉の向こうをじっと見据えている。
「本当だ、見覚えのない景色――」
そんな事を呟いた木野が息を飲んだ。
男の姿が見えてくる。何ともうらぶれた、中年男だ。中肉中背、着ているスーツもくたびれているのだが、しかし妙な色気を感じさせる顔立ち。
右手で軽く顎を撫でて、視線を木野に向ける。
「初めまして、お嬢さん」
「は、はじめまして」
声もまた、体の芯に響くようなものだ。熱に浮かされたような口調で、木野が答える。その表情は、豊島が今までに見たこともないようなものだった。
他の何にも見向きもせず、男は木野の頬に手を添えた。木野がびくりと体を震わせる。
「君は、ここの商品なのかい?」
「えっ?」
「僕が君を連れ帰ってもいいのか、ということさ」
木野は一瞬だけ困惑を顔に乗せたが、それも一瞬のことだった。
豊島の方を一度も見ることなく、素直に頷いたのである。
「ありがとう。それではこれを契約にしよう」
「ンむっ」
慣れた様子で木野の唇を奪う男。うっとりと目を閉じる木野の膝が崩れる。木野と唇を重ねたまま、豊島に向けられた瞳が怪しく輝く。
一瞬、男の姿がブレて見えた。分厚い筋肉を全身にみなぎらせた若い男。豊島の好みをまるでそのまま形にしたような、そんな男を幻視する。
心の奥が深く焼き焦がされるような感覚。
だが、次の瞬間には男の姿は中年のものに戻っていた。不思議と心が軽くなる。
男が木野から顔を離す。人のものとは思えない長い舌が、ゆっくりと木野の唇から抜き取られた。
「おっと、いけないいけない。棚に手を触れていないならば品物じゃない。そうでしたね?」
「っ! あっ、はい」
相手は人間じゃない。
戦慄と恐怖に心の大部分を埋め尽くされたまま、問いに頷く。
「それでは、このお嬢さんを連れて帰るとしましょう。お世話様」
まるで人が違ったような幸福げな表情でぐったりとしていた木野が、手を引かれるままに立ち上がり、ふらふらと正気を失った様子で歩き出す。
右手の扉に入ろうとしたところで、男が何かを思い出した様子で振り返った。
「そうそう、お代を支払わないといけませんでしたね」
「ヒッ!?」
にたり、と。これまでとは違うひどくおぞましい笑みを向ける。
怯える豊島に向けて、その顔のまま何かを投げてくる。
放物線を描いたそれは、カウンターの上で数回跳ねて、豊島の前で止まった。
「じゃ」
「ッ、ァ!」
銅貨一枚。日本の通貨でもない、薄汚れた。
呼び止めようとしたが、喉が凍りついたようで声が出ない。
結局豊島は、二人を飲み込んだ右手の扉が閉まるのを、ただ見届けることしか出来なかった。
何時間経ったろうか。何もできず、豊島はただ椅子に座っていることしかできずにいた。
右手の扉が開く音。
「ただいま! って、あれ。ツクモは?」
「ぁ、リル……?」
「何してる、そんなところに座って。もしかして、店番を頼まれたのか!?」
リルを先頭にした、三人。仕入れ班だ。
豊島は恐怖と、安堵と、絶望と、次々にあふれ出る感情の波に抗う事が出来なかった。
「うあっ、うああああああっ!」
「うわ!? なんだ、どうした」
涙を流してリルにすがりつく豊島。
もはや、自分を取り繕うことなど出来なかった。
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