客と客じゃないのと

 七臥古物店には、無数にある世界から多くの客が訪れる。

 一度だけしか来ない客もたくさんいるし、どういったメカニズムか常連になる者もいる。

 仕入れ班が行っているような方法もあるので、似たようなものだろうと津雲は考えている。

 さて、津雲が店主になる前からもなってからも、から現れる客は七臥古物店にある何かを求めてやってくるのは変わらない。そして、例外なくそのための代価になる品を持っている。

 だが、中には困った客もいる。

 ちょうどこの日も、そんな困った客が現れたのだった。






 当たり前といえば当たり前のことなのだが、無数の別世界の中にはこの世界に似た発展を遂げた世界も存在する。

 仕立ての良いスーツを身に着けたその男は、から現れ店内を見回すやいなや、顔をしかめて言い放った。


「なんだこの廃屋は」


 と。

 この時点で津雲からの評価は最低を通り越して地中深くまで下がっているのだが、残念ながら店のルールは説明しなくてはならない。

 自分の感情はおくびにも出さず、笑顔を作って告げる。


「いらっしゃい。この店は七臥古物店。そこの棚に並んでいるもので欲しいものがあったらこちらにお持ちくださいよ」

「ガラクタばかりではないか」


 それはお前の目が節穴なだけだ。

 思わずそう言ってしまいそうになるが、津雲はどうにかその言葉を飲み込んだ。

 今日の棚は雑貨を並べてある棚だ。基本的には希少だが世の法則ルールを覆すほどの異質さもなく、表から入ってくるこちらの世界の常連客でも持ち帰りが許されている品々ばかり。

 男はいちいち一つひとつの品に難癖をつけながら棚を見て回っていたが、津雲はそれには特に反応しない。


「かろうじて私が持ち帰るに足るのはこれくらいだな」

「さようで」


 カウンターに乱暴に投げ出されたのは、何の変哲もない金時計だ。

 津雲は思わず噴き出してしまいそうになるのを必死にこらえる。この時計は、時々現れる品だ。確かに一見すると骨董品の趣があるのだが、それっぽいデザインというだけで実際には古いものですらない。

 棚に並んでいる品の中では間違いなく最も価値の低いものだ。


「それで、値はいくらだ?」

「そうですな。五千くらいでいかがです?」


 すでに津雲は、目の前の男から代価になる品を受け取るつもりはまったくなかった。から入って来た客から受け取るのは、本来は金銭ではなく物品だ。似ている世界だからといって通貨が同じであるという保証がないからなのだが、それによる損失を含めてもこの請求でいいという判断である。

 これ自体は近くの店で二千円で購入した時計だ。損をしたとしてもたかが知れているし、何より目の前の男が物々交換を素直に受け入れるとも思えなかった。

 案の定、男は不満そうな顔を見せた。


「この程度の時計に五千だと? こんな細工では、そこまで出せんな。半分以下が妥当ではないか」


 おや、思ったより目利きがしっかりしている。

 あるいは値切りたいので半額以下とふっかけているだけか。津雲にしてみればどちらでも構わない。

 今日は豊島が研修とやらでいないのが幸いした。横から何か言われたら、余計面倒になるのが目に見えている。


「ご不満であればお持ち帰りいただかなくて結構ですが」

「ふん、こんな廃屋に来る物好きな客など、私くらいのものだろうに。まあ、久々の客から暴利を貪ろうというそちらの都合も分からんではない。二千とは言わず、三千でどうだ」


 何やら寛容な姿勢を見せにかかっている男だが、津雲にしてみればそもそも値引きに応じる理由も応じない理由もないのだ。

 ひとまず少しバツが悪そうな顔をして、嫌そうにうなずいてみせる。


「ごねれば安くなると思っていませんか? まあ、いいでしょう。では三千で」

「むやみに欲をかくと碌なことがない。そういう意味では店主、貴様はなかなか見どころがあるな」

「それはどうも」

「では三千で。……むっ」


 内ポケットに手を差し込んだ男が、急に挙動不審になる。

 津雲はそこでピンときた。静かに準備を始める。


「店主、済まないが財布を忘れてきたようだ。のちほど屋敷の者から金を届けさせる形で構わんな?」

「いえ、お断りします」


 特に惜しいものではないが、支払わないというなら話は別だ。

 だが、男は津雲に断られたことで突然大声で喚き始めた。


「金は後で払うと言っているだろう! 貴様、私を泥棒扱いする気か!?」

「いえ。うちは後払い禁止なんですよ」

「それは貴様の店の都合だろう!」

「後払いを希望されているのはそちらのご都合ですね」


 津雲は津雲で引くつもりはない。この店は特殊なところなので、決められたルールが何よりも大切だ。

 大事な常連客であっても順守させるそのルールを、初めて店に来た無礼な男が破るのを許す理由など存在しない。


「それと、後ろに隠してある方もいい加減出しちゃくれませんかね? もしかしてこちらが気付いていないとでも思ってますか」

「っ!?」


 睨みつけるでもなく、静かに見据える。男は津雲に気圧されたのか、存外素直に中身を取り出した。

 後ろのポケットに隠してあったのは、銀で装飾された腕時計だった。これも金時計同様、見る目のない客に向けて用意してあった品のひとつで、金時計と違ってちゃんと銀を使っているので少しばかり金時計より高価だったものだ。

 つくづく見る目がないなと思っていると、男は男で何やら言い訳を始める。


「いや、これは済まないことをした。騙すつもりではなくてな、言われて忘れていたことに気づいたのだ。断じて店主を騙すつもりでも、盗むつもりでもなかったのだぞ」


 その言葉を信じる馬鹿がどこの世にいると思うのか。

 おそらく、手口はこうだ。金時計の件で散々ごねた後に、不愉快を装って津雲に金時計を叩き返し、店から出ていく。金時計に注意を向けさせておいて、尻のポケットには本来のターゲットである腕時計が入っているという寸法だ。

 腕時計の方がかさばらないから見つけにくいと思ったのだろうが、甘い。


「あのですね。そちら様がどこの何様かさえ、まだ伺っておりませんで。それで後払いがどうとか、馬鹿にしてらっしゃる?」

「な、名乗っていなかったのは謝る! 人目を忍んで来ている手前、名乗るわけにはいかなかったのだ。頼む、金は本当に後で持たせる。だからここは持ち帰らせてくれ。約束の時間に遅れそうなんだ!」


 今度は懇願だ。この流れるようなテンプレート感、もしかして防犯訓練か何かだったかと錯覚しそうな勢いだ。

 津雲はカウンターの下に仕込んであった刀を抜いて、切っ先を男に向けた。


「これ以上そんな世迷言を仰るなら、そちら様は当店のお客ではないということになりますがね」

「ひっ!? わ、分かった! このまま帰る、だからその物騒なものをしまえ!」


 男は両手を挙げて、ゆっくりと後ずさる。自然、体は棚の方に向かっていく。背中が棚にぶつかった瞬間、男は置いてあった品を引っ掴んでに向かって走り出す。


「あっ」


 津雲が刀を振る暇もない。扉を壊すほどの勢いでぶつかって、そのまま扉の向こうに消えていく。

 棚に時計ふたつを戻しながら、持ち去られた品が何だったかを確認する。


「最後までつくづく見る目がなかったな。いや、最後はツキかな」


 持ち去られたのは、合成真珠のネックレスだ。珠が多いぶん時計よりも割高ではあるのだが、メインの商品と比べると価値はないに等しい。

 最後まで残念な男だった。

 津雲は苦笑いを浮かべて、の方を見た。


「何も支払わずに出て行っちゃったなあ。


 だが、それこそ自業自得。

 津雲は軽く首を振って、客ではなくなった男のことを頭から締め出すのだった。






 男は無我夢中で走っていた。

 随分と古ぼけた店だったが、品ぞろえはなかなか悪くなかった。まさかガラクタに交じって、あれほどの値打ちものがあるとは。

 ツイている。右手を見て素直にそう思った。価値のありそうな時計は持ち出せなかったが、夢中で掴んだのは真珠のネックレスだ。時計に勝るとも劣らないと見込んでいた品を持ち出せたのは幸運と言うほかない。


「それにしても」


 追ってくる気配がないことを確認して、足を止めた。

 表は辺り一面乳白色の霧が出ている。自分が今どこにいるのか、いまいち分からない。


「霧が晴れるのを待つか? いや」


 自問自答して、再び歩き出す。今は少しでも距離を稼いでおくべきだ。

 相手もこの霧の中ではこちらを見つけるのは困難だろう。

 とにかく真っすぐ、真っすぐと決めて歩く。

 どれほど歩いただろうか。一向に霧が晴れる気配はなく、何かにぶつかるようなこともない。

 どれほど店から離れたのか、気になって後ろを振り向く。


「え」


 深い霧のせいか、背後にあったはずの店の姿も見えなくなっている。

 男は何とも言えず空恐ろしくなって周囲を見回した。何も見えない。同じような濃さの霧がただあるだけ。

 一旦戻るか。そう思ったところで、気付く。


「店は、どっちだ」


 ぐるりと周囲を見回したことで、自分が今どちらを向いているのかさえ分からなくなっていた。


「あ、あ、あ」


 分からない。どこだ。どこへ行けばいい。

 そもそもここはどこなのだ。思い出す。入った店は繁華街の中にあったはずだ。

 こんなに真っすぐ進めるはずがなかった。対面の建物はどこに行った。


「何だこれ、何なんだ」


 ほぼ無意識に、どちらともなく歩き出す。

 足を止めたら駄目だ。悩んだら駄目だ。この現実を直視した瞬間、自分はきっと絶望する。正気を保てなくなる。

 ここにはきっと何もない。誰もいない。誰かがいても、巡り会える望みもない。


「誰か、誰かいないか! 聞こえたら答えてくれ、声を聞かせてくれ、誰か!」


 言いようのない不安を払拭しようと、ことさらに大きな声を張り上げながら、男は歩き続ける。

 いつの間にか、真珠のネックレスは右手から滑り落ちていた。

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