保護か買取か
「お願いします! 買ってください!」
「そう言われてもね」
津雲は困っていた。
すぐ隣では豊島が凄まじい形相でこちらを見ている。
豊島の視線だけならまだしも、仕入れに出発する前で遊びに来ていたリルまでが似たような形相で津雲を見てくるのだ。
「で、おたく様は何が欲しいの」
「欲しいものなどございません! ただ、ただこちらの娘を買い取ってさえいただければ!」
「そう言われてもね」
同じ言葉を繰り返す。
今回の客は、気品に満ちた二人組だ。壮年の男が、一緒に来た少女を買い取ってくれと言ってきている。人を売品として連れてくる事例はこれまでにもあったが、この二人は明らかにそういった仕事をしているクチには見えない。
どう考えても厄介ごとの匂いしかしないのだ。
少女は十五歳くらいだろうか。質素な服を身に着けているが、所作から感じられる育ちの良さは隠しようがない。
壮年の男は一転して華美な服装だ。奴隷商として見るならば満点の見た目なのだが品の良さが色々と邪魔をしている。
「おい、店主」
「ツクモ?」
二人の視線をちくちくと感じながら、津雲は小さく息を吐いた。
取り敢えず、二人の嘘をどうにかしないと話が進まない。
「買い取るのはやぶさかじゃないんですがね。さすがに人を買うとなるとこちらもいくつか手続きが必要になります。詳しい事情を聞かせていただいても?」
「詳しい事情? 人買いは相手の事情になど興味ないのではありませんでしたか」
しっかりとした口調で、少女が問い返してくる。こちらを見据えてくる目は、ひどく強かった。
三方から鋭い視線にさらされた津雲は、堪らず頭を抱えた。
どうやら大きな誤解があるらしい。
「そちらのお嬢さん。こちらの棚をご覧いただけば分かると思うんですが、うちは人買いを専門とはしてないんですよ。そういう普通の奴隷商がご希望であれば、どうぞそちらにお行きなさい」
「お、お待ちください」
壮年の男が慌てたように声を上げた。津雲が気分を損ねたと思ったらしい。間違ってはいないが。
少女を隠すようにして前に出て、津雲の前に跪く。
「我々はミルビウッド神の託宣に従って、この店を目指して来た者です。最も価値のあるものを捧げ、助けを求めろと」
「ああ、ミルビウッド界から来たんですか。なるほどなるほど」
津雲は額にひとつ青筋を浮かべて頷いた。この状況をこちらに放り投げてきた相手が分かったからだ。
懐のスマートフォンではなく、カウンターに置いてある黒電話の受話器を手に取った。
ダイヤルを回すこともなく、しばらく待つ。そもそもこの電話には電話線はついておらず、用法も別だ。
『もしもシ』
「やあ、ミルビウッド。こちらに何の連絡もなしに客を斡旋するのはどうかと思うんだが」
『え、してなかったかしラ!? あら、ごめんなさイ!』
野太い声が受話器の向こうから聞こえてくる。
創造神ミルビウッド。本来の名ではない。しかし、彼を信奉する人々がミルビウッドと呼んだことで、神の名はそう定まり、その世界はミルビウッド界と呼ばれるようになった。
津雲は神とコンタクトを取る時には本来の名ではなく、通称とも言うべき方で呼びかけることにしている。
「事情の説明を頼む。うちの店に何をさせたいのか」
『そうねエ。その子を預かって欲しいのヨ』
「預かる?」
『えエ。その子、アタシの巫女の血筋なのよネ。で、ちょっと今ウチの世界で戦争になってるから、一人くらい生き残っていてほしくテ☆』
「うちは託児所じゃないんだけど」
『何よォ! 別にアンタの嫁にしてくれって頼んでるわけじゃないんだし、いいじゃなイ』
ミルビウッドの声は、受話器を離しても聞こえるくらい大きい。自然と、その言葉は店に居る者たちにも聞こえて。
「嫁ぇ!? ミルビウッド、てめぇ!」
「店主、要人保護ということであれば受けるべきではないか?」
「おぉ……これがミルビウッド様の声」
「前に聞いた声より随分と低い声ね」
四者四様のリアクションに、津雲は言葉もない。出来れば黒電話に向かって跪くのはやめて欲しいところだ。
受話器を奪おうとするリルを牽制しながら、話を続ける。
「分かってると思うけど、店から出たら元の世界との接続は切れるよ」
『いいのヨ。この際だから巫女制度を無くそうと思ってるくらいだかラ』
「そんなに状況が悪いのか」
『アタシじゃないナニカを神として崇め始めた連中がいてネ。アタシのいとし子たちがどれだけ生き残るか分からないワケ』
「それでこの子を?」
少女を見ると、何やら嫌そうに顔を背けられた。
解せない。
「まあ、そういうことなら仕方ない。じゃあ代価はあんたからもらうってことで」
『何デ!?』
「預かって欲しいのはお嬢さんの都合じゃなくてあんたの都合だろ?」
『そ、そんなことないワ!?』
「ふむ」
少女は不機嫌そうな顔のままだ。主神であるミルビウッドの言葉を否定は出来ないが、不本意なのは不本意だと態度で示していた。
連れて来た壮年は、おろおろとこちらと少女とを見ている。
「お嬢さんはあまり乗り気じゃなさそうだぞ」
『ヴァニラ! アンタ、もう少し嬉しそうになさいヨ!?』
「わーい」
まったくもって嬉しそうではない口調で、少女――ヴァニラが両手を挙げる。
これにはリルも豊島も困惑したようで、視線が津雲からヴァニラにずれる。
津雲は絶句しているミルビウッドに冷たく言い切った。
「じゃ、後ほど請求するのでそのつもりで」
『あ、ちょ』
反論を待たずに電話を切る。すぐさま電話が鳴らされるが、津雲は電話機を机の中にしまって二人に笑いかけた。
「さ、商談を始めましょう」
壮年の男はバイラードと名乗った。ヴァニラとミルビウッドに仕える神官騎士という役職にいるという。
「さて、お二人はどうしたいのかを聞いておきたいんですが」
「どうしたいのかって。ミルビウッド様が言っていたじゃない」
「そりゃミルビウッドさんのご都合であって、お二人の都合じゃありませんでしょ?」
津雲の言葉に、バイラードは答えられない。ヴァニラは何やら色々と気になったようで、眉を寄せながら聞いてくる。
「そもそもこの店は何なの? ミルビウッド様と関わりがあるにしては内装がミルビウッド様好みじゃないし」
「ここは七臥古物店。ミルビウッドさんはうちのお得意様です」
「お得意様って」
「そういうものだと思っていていただければ。で、どうされます?」
「もちろん、ヴァニラ様の安全を――」
「例えば戻って仲間を助けたいって言えば、手伝ってもらえるの?」
バイラードの言葉をヴァニラが遮る。問いかけに、津雲は首を静かに振った。
「色々と事情がありまして、当店が直接他の世界に介入するのは無理なんです。店なので品物の売買は出来ますが、出来るのはそこまでとお考えください」
他の世界を訪れて仕入れを行うのは、あくまで品物の売買という体裁なので可能なのだが、戦力として介入するのは契約違反となる。
一応例外はあるのだが、それを説明するつもりは津雲にはない。
ヴァニラは失望したらしく、肩をすくめて言い切った。
「それじゃ役に立たないわね」
「何だと!?」
反応したのはリルだった。彼女にしてみれば、自分たちに幸福な生活を与えてくれたこの店を馬鹿にされるのは許せないそうだ。
殴りかかろうとするリルをなだめつつ、津雲はにやりと笑みを浮かべた。
「リル、抑えて。お嬢さん、そう言い切るのはちょっと早いよ」
「何よ」
「まあまあ、ヴァニラ様。ここはミルビウッド様の仰るとおり、御身の安全さえ確保できれば良いと思えば」
「甘いわバイラード。連中がこの店を見つけられない保証がどこにあるの」
ヴァニラが精いっぱい虚勢を張っているのが分かるので、特に怒るほどのことでもない。
口論を始めた二人には関わらず、カウンターの下にあるボタンを操作する。
並んでいる棚が音を立てて動き出した。
「!?」
「普段の棚は雑貨を並べているだけなんですが。ミルビウッドさんの支払いということであれば、こういう品もございましてね」
棚が地下に降り、ガラスケースがせりあがってきた。
何列もあるケースの中には、古めかしい武器やら見たこともない銃器の類やらが並んでいる。
「これは」
「店に見えたお客様が代価として置いて行かれた品々です。ミルビウッド界からの品はこちらになります。お勧めはこの槍ですかね。ガラトリアの三叉槍と呼ばれる逸品だそうで」
ガラスケースを食い入るように見ていたバイラードが悲鳴を上げた。
「ガラトリアの三叉槍!? 投げれば敵将を突き殺すまで飛び続けると言われる、あの伝説の神槍!」
「トーメリの大戦争で人知れず失われたと聞いていたけど」
「ガラトリア・ティメリス様が百三十年ほど前にお持ちになられたそうです。もしも実物を持ち帰ったらまずいということであれば、こちらとか」
「これは?」
「ジェリシフの宝冠とかいう品ですね。凄まじい魔法が使えるようになるとか?」
「聖王ジェリシフの冠!?」
今度はヴァニラが大声を上げた。どうやらこれも曰くのある品らしい。
リルが何やら機嫌を直している。この店のすばらしさが分かったか、と津雲の代わりに胸を張っている。
逆に表情を硬くしたのは豊島の方だ。
「おい店主。この品々、法律的には」
「大丈夫。こちらの世界の方には売らないことにしているので」
「しかしだな」
「むしろこれが押収される方がややこしいことになるし」
「むう」
何やら納得できないことが増えたらしい。困ったことだ。
豊島の方は放っておくことにして、ガラスケースを見て目を白黒させている二人に改めて声をかける。
「どうします? ミルビウッド界の品を持ち帰るのがまずいのであれば、他の棚を見てもらっても構いませんよ」
バイラードもヴァニラも答えない。ミルビウッド界の武具を真剣な顔で一つひとつ吟味している。
先に気づいたのはヴァニラの方だった。バイラードの腕を引くと、バイラードもまた吸い寄せられるように凝視する。
「おや、お目が高い。聖剣ですね」
「やはり、聖剣ですか」
聖剣ミルビウッド。主神の名を冠するその剣は、二人にとって特別な意味を持つらしい。ほとんど悩む様子もなく視線を合わせ、頷き合った。
「店主。この剣を」
「分かりました。ええと、所有者登録が必要となっていますね。どちらに?」
「それはもちろんヴァニラ様――」
「バイラードでお願いするわ」
津雲が備忘録を見ながら確認すると、二人の意見が割れる。
バイラードとヴァニラが、静かに言い合いを始める。
「私には過ぎたものよ。バイラード、貴方が使って」
「しかし、私では」
「その剣があれば、貴方はミルビウッド様から選ばれたことになるわ。新たな英雄の誕生ね」
「そうではありません。私には奇跡の適性がないのです、私では聖剣を持つことができないはず」
「いや、そんな条件は書かれていませんね」
備忘録を見ていた津雲は、ごく自然にバイラードの言葉を否定した。バイラードが口ごもり、ヴァニラは何やら考え込む。
「店主さん」
「はい?」
「このまま私を保護してもらうことは出来て?」
「それは出来ますが」
ヴァニラは居住まいを正すと、バイラードに向けて手をかざした。
その様は、これまで見せていた年ごろの少女のものではなく、神の巫女と言うに相応しい威厳を称えていた。
「ではバイラード。私が命と引き換えに貴方に聖剣を託したということにします」
「ヴァニラ様?」
「貴方は戻り、生き残っている信徒たちを護って新しい地を目指しなさい。断じて異教徒と戦ってはなりません」
「ヴァニラ様!」
自分たちだけの世界に入っている二人。ただし、店のガラスケースの間なのが極めてシュールだ。
盛り上がっているところに割って入る趣味はないので、二人の逆側から聖剣を取り出す。カウンターに置いて、二人の打ち合わせが終わるのを待つ。
しばらく言い合っていた二人だが、決着を見たらしくこちらに歩いてくる。
「決まりました?」
「ええ。バイラードを所有者にして、私を保護してください」
「承りました。ではこちらをどうぞ」
「承知」
勢いよく聖剣の柄を掴むバイラード。津雲にはよく分からないが、この手の品を手にするには覚悟が必要なものらしい。
特に神罰の類がないことに安心した顔を見せる二人。バイラードだけではなくヴァニラも何だかんだ緊張していたようだ。
津雲が声をかけずにいると、バイラードがヴァニラの前に跪いた。彼はここに来てから何度も跪いているようだ。いちいち様になっているのが素晴らしい。
「おさらばですヴァニラ様」
「信徒の未来を託します。ミルビウッド様が我々をお見捨てになったことは」
「分かっております。決して口には致しません」
ここが店でなく、神殿であればきっと絵画になっているだろう場面だ。
出来ればここではない場所でやって欲しかったが。
「御免!」
バイラードはすっと立ち上がり、こちらを振り返ることなく右手のドアから出て行った。
それを見送ったヴァニラは、悪戯な笑みを浮かべて津雲を見た。
「じゃ、これからよろしくお願いしますねご主人様?」
「ふあっ!?」
「んな!?」
「この店で一番の力を持っているのはご主人様でしょう? ミルビウッド様と対等というなら、私に相応しいというものだわ」
「ふざけるなぁっ!」
リルが爆発するが、ヴァニラはどこ吹く風だ。
津雲は頭を抱えながら、ミルビウッドへの請求を水増しすることを心に決めた。
ミルビウッドは津雲とどうにか連絡を取るべく念を送っていたが、彼が電話を取る様子がないので店に直接出向く準備を始めていた。
と、部屋の中央で力場が発生する。心当たりはいくつかあるが、このタイミングだと彼にとっては最悪の事態だ。
「や、やっぱり請求書!」
七臥古物店からの請求書がふわふわと浮いている。ミルビウッドは恐る恐る請求書を手に取り、内訳を見る。
「ヴァニラは結局保護することになったのネ。それはともかく、聖剣ってどういうコト!?」
ヴァニラの保護については諦めていた。だが、聖剣の売却と登録料とは一体何事か。それよりも、請求されている代価の量たるや。
「あの子たち店主に何したのヨーッ!?」
請求の内容を見たミルビウッドが絶叫を上げ卒倒する。
この日、ミルビウッド界に大地震をはじめとした天変地異が起こったが、その原因を知る者は誰もいなかった。
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