祈祷師の顛末

 飯崎の家を訪問してから、三日ほどが過ぎた。

 豊島は非番なので来ていない。基本的に彼女の場合は店休日が非番になるので、毎週木曜日が非番だ。

 津雲の店休日はいつも以上にぐったりだ。昼まで寝ていることも多い。

 だがこの日は、普段の店休日より早めに起きて、餅を四つオーブンで炙っていた。


「まったく。気の早いことだ」


 焼けた餅を口に運びながら、奥につながる扉を開けてそちらに視線をやる。

 見慣れない人物が、力なく床に伸びている。

 意識はあるが、動けないはずだ。起き上がることもできないだろう。飯崎本人が来ることはないだろうと思っていた。予想通りといえば予想通りだが、思ったよりも動きが早い。

 やはりもう霊薬の在庫が少ないようだ。あるいは既に切らしているのかもしれない。


「さてと、空き巣さん。口は動かせるよね?」


 声をかけるが、反応はない。無視しようとしているのだろう。残念ながら意味はないが。


「返事がないなら、仕方ない」


 津雲は笑みを浮かべて言葉をかける。部屋に入りはしない。


「あなたが大飯崎から依頼を受けたことは分かっています。あなたには二つの行き先があります。ひとつは警察。空き巣ということになりますが、この店はちょっと特殊です。二度と表に出られるとは思わないでくださいね」


 ぴくりと反応。どうやら飯崎から何かしら言い含められてきたらしい。


「もうひとつは、そっちの閉じている扉の向こうに放り出すことですね。戻ってこられるかもしれないし、二度と戻れないかもしれない。どちらでもいいですよ。十数える間に意思表示がなければ、扉の向こうに放り出します」


 反応はない。どうやら飯崎はこの部屋の事情までは伝えていないようだ。あるいは祖母がそもそも飯崎に伝えていなかったか。どちらもあり得そうではある。


「三、二、一、ゼロ。ではさようなら」


 瞬間、が自動的に開いた。

 津雲は視線を逸らす。息を呑む気配があった。


「何だ!? 助けうわああああああああッ!」


 ずるずると強引に引きずるような音と、遠ざかっていく声。

 ばたんと扉が閉じられた音が聞こえたところで、視線を戻す。

 何も残っていない床。


「警察って言えば、こうはならなかったのだけどねえ」


 津雲はそう呟きながら、皿に残っていた最後の餅を口に運んだ。






 

 冷たい雨が降りしきる夜。

 飯崎は赤く染まった腹を押さえながら、ふらふらと路地裏を歩いていた。

 鋭い痛みだけが、どうにか意識を保たせてくれている。

 祈祷の失敗への報復だ。散々罵られた後、自分の傷を祈祷で治してみせろとナイフで刺されたのだ。


「……痛い、冷たい」


 傷口は熱いが、流れ出る血は寒気にさらされてすぐに冷える。

 何のために歩いているのか。自分を刺した者から逃げるためか、生き延びるためか。

 段々と思考がまとまらなくなってくる。

 何故こんなことになったのか。霊薬を手に入れられなかったのが原因だ。

 いちかばちか盗みに入らせた者は帰ってこなかった。七臥古物店からは何の音沙汰もなく、それがむしろ恐怖を感じさせて。


「うあっ」


 足がもつれた。濡れた地面に倒れ込む。冷たい。痛い。

 起き上がろうとしてもがくが、立てない。思った以上に力が入らなくなっている。

 死ぬのか。背筋に寒さと冷たさとは違う怖気が走る。


「嫌だ、いやだっ」


 アスファルトを掻きむしる。指先に感じた痛みは、すぐに脇腹の痛みに上書きされた。

 死を目前にして、何が悪かったのかを自問する。

 神通力を持っていた父と、力を受け継げなかった自分。力がないのに後を継いだのが悪かったのか、それを誤魔化すために霊薬を使ったのがいけなかったのか、欲に目をくらませて必要以上に霊薬を薄めて荒稼ぎを図ったことか。


「ううっ」


 残った力でどうにか仰向けになる。顔に当たる雨粒。冷たさももう感じない。

 命の危機に、眠っていた神通力が目覚めるといったこともないようだ。


「ごめん、ごめんなさい」


 口をついて出た詫びは、誰に向けたものだったか。最期まで自分の身を案じてくれた父か、あるいは。

 霞んできた目が、静かに歩いてくる若い和装の男を捉えた気がした。







「やれやれ、案の定だ」


 意識を失った飯崎を見下ろしながら、津雲はくしゃりと頭を掻く。

 懐から小瓶を取り出し、蓋を開けてそのままひっくり返す。暗い中でも奇妙に煌めく液体が、飯崎の赤く染まった服にとぽとぽと飲み込まれていく。


「祖母さんも面倒見がいいんだか悪いんだか」


 祖母の遺品の中に『飯崎の小僧用』として一本だけ残されていた、霊薬の小瓶。

 津雲は、祖母が飯崎に売るためではなく、きっとこんな日が来るだろうことを予測してこの小瓶を残したのだと思っている。

 連れ合いの恩人、その息子。あるいは祖母自身も、苦々しく思いながらも飯崎を出来の悪い息子のように思っていたのではなかったか。

 こんなロクデナシの小父は嫌だなと思いながら、傷口が塞がり、生気を取り戻した飯崎の顔を見る。これで祖母の義理は果たしたと言い切っていいだろう。

 とはいえ、冬場の雨模様だ。このまま寝かせておくわけにもいかない。


「ほら、起きなよ虎雄の旦那。このまま凍死されちゃそれこそ薬が勿体ないってもんだ」


 揺り起こすのも面倒で、津雲は腹を掻き始めた飯崎の太鼓腹を軽く蹴り飛ばした。


「んがっ!?」

「拾った命だ、精々大事にするんだね」







 その日を最後に、津雲は二度と飯崎と顔を合わせることはなかった。

 飯崎が祈祷師を続けたのか廃業したのかを調べることもなかったし、以後飯崎が店に顔を出すこともなかった。


「お邪魔しますよ」

「これは三森のご隠居。いらっしゃいまし」


 たったひとつ、飯崎の関わりで津雲が感謝したことと言えば。

 七臥古物店に良い付き合いのできる常連がひとりできたことだった。


「ほう、この焼き物は何とも見事な」

「さすがお目が高い。これはちょっと曰くつきの逸品でしてね」

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