こちらとあちらを繋ぐ場所

 冬の寒さが苦手な津雲だが、寝起きの暖房には否定的だ。

 布団の極楽感が薄れるというよく分からない主張を胸に、開店までの時間をうだうだと布団の中で過ごす。


「んぁー」


 ぼさぼさの茶けた髪を掻きながら、のっそりと寝床から這い出す。

 瞬間、部屋に満ちた寒気にくじけそうになりながらも、何とか布団への未練を断ち切って立ち上がる。


「うぅ、さむさむ」


 店の名前が古物店と古めかしいから、というわけではなく、津雲は和装を好む。とはいえ材質は丈夫さ重視ということで、黒いデニム地の和服を身に着ける。

 帯を締めて、右へと半回転。軽く下げると、ようやく気持ちが切り替わる。

 まずは表向きの店の方へ。シャッターを上げて、表の様子を軽く見る。ゴミが落ちていないのを確認して、中に戻る。


「ひのふのみっと」


 近所の和菓子屋から毎年差し入れられる切り餅を冷凍庫から取り出し、三つだけオーブンに。

 オーブンが餅を膨らませている間に、鍋に醤油と焼酎、三温糖を入れて温める。砂糖が溶け、少しばかり煮立つまで熱したところで用意していた皿に開けた。

 次は海苔だ。大きめに割って、六枚用意する。二枚目の皿を取り出したところでオーブンが鳴いた。


「あちち」


 オーブンを開けて、適度に膨れた餅を取り出す。焼きたての皿に移して、定位置であるカウンターに座る。

 軽く醤油に片面を当ててから、二枚の海苔で包む。

 パリっとした海苔の食感、続いてやってくるもっちりとした歯ごたえ。米の甘味と醤油の甘味が交じり合って、多幸感。


「ふはっ」


 瞬く間に二つを食べ終えたところで、店の引き戸が音を立てた。いやにゆっくりと開けているようで、何やら長いことガラガラとドアが鳴る。

 津雲は三つ目の餅を頬張りながら、入ってくるのを待つ。


「おや、豊島とよしまさん」

「う、うん」


 先日、逃げるようにここを後にした豊島刑事がばつが悪そうな顔で入ってきた。

 こちらを怒鳴りつけていた時の勢いはまったくない。


「もうお見えにならないかと思っていました」

「いや、その」


 津雲は特に他意もなく言ったつもりだったが、豊島はそうはとらえなかったようだ。何となく挙動不審になりながら、あたふたと説明してくる。


「こ、この前は失礼した。あの後、部長や前任の者にある程度の話を聞いてきた」

「おや」

「この店の担当については、私が思っているよりずっと上から来ているんだと」


 豊島の言葉に、ああと頷く。

 ここの始まりは随分と古い。現在の警察組織が出来る前には店をこの場所に構えていたから、申し送りの出所が上に見えるだけだ。

 奥の店主だった祖母からその辺りのことを聞いていた津雲にしてみれば、あまり重く受け取って欲しくないのだが、豊島にとっては大事なことなのだろう。


「別に辞退なさっても大丈夫ですよ?」

「そうはいかない。これ程の大きな仕事、断れば今後二度と任されるとは思えない。これでも出世したいという欲はあるんだ」

「まあ、豊島さんがそれでいいなら」


 津雲の見解では、どちらかというと店の担当は閑職の類なのだが。

 ともあれ、今後とも店に関わるつもりであるなら伝えておかなくてはならないことがいくつもある。


「そっか。それなら豊島さん、これからはうちの客ではなく『お仲間』として扱わせてもらうよ」

「ん、分かった」

「じゃ、奥に来てもらおうかな」


 素直に頷いてくる豊島を奥に向かわせて、津雲は今一度シャッターを下ろしに表に向かうのだった。


***


 地球上に、津雲が知る限りこういった『扉』は三つ存在する。

 ひとつはイギリスに、ひとつはアメリカに。探せば他の国にもあるのだろうが、残念ながら津雲はそれを知らない。

 イギリスは国家が所有し、アメリカは団体が。七臥古物店は国と連携を取っているとはいえ個人所有なので、何もかもが店主の裁量次第というわけだ。

 とはいえ、津雲ひとりで店や品を管理しているわけではない。


「今は品の仕入れに皆さん出払っているので」

「皆さん?」

「ま、先行きお会いする機会もあるでしょ」


 この店の周囲に居を構えている従業員たちは、月のほとんどをに出かけている。それはこちらの世界であったり、扉から出た先だったり様々だ。


「仕入れとは」

「そちらのから入ってくるお客が、必要としそうな品を仕入れる役割だね。毎度毎度欲しいものが揃っているとも限らないから」

「ふむ」


 がつながる先は、きわめて多岐にわたる。そして、そのつながり方に法則性はない。向こうからやってきた者は、扉を通って自分の世界に帰ることが出来るが、こちらから入った場合どこに出るかは完全にランダムなのだ。

 扉が勝手に消えてしまうということはないらしく、津雲が別の世界に渡っても、戻るまでは扉はその場所に残っている。店主の血縁が続いている限りは扉の主体はここにあるという。この辺りは祖母である八重の受け売りなので、事実かどうかは定かではない。


「うちの六代前のご先祖は、扉を使ってこちらにやって来た異邦人らしいって祖母さんからは聞いてる。ここに居を構えることになったことで、扉がここに落ち着いたんだってさ」

「では、他にいくつかあるという扉も?」

「どうだろう? うちとよそとが同じシステムかどうかも分からないし」


 津雲の家には、この扉を生み出した異邦人の血が流れている。扉の作り方などは伝わっていないが、彼の一族で扉に選ばれたものが扉の管理者となり、店の主として認められる。当代はそれが津雲だったというわけだ。

 よその扉の管理者とは何年かに一度くらい顔を合わせているが、扉に関する情報を確認しあったことはない。

 祖母の息子である津雲の父には、扉の管理者としての資格はなかった。どうやら子供であれば誰でも扉を継ぐ資格を得られるわけではないらしく、津雲以外の親族はこの場所への出入りは許されなかったし、祖父母からも可愛がられなかったようである。

 津雲は実の両親よりも祖父母とのつながりの方が強いし、二人と一緒の時には愛されつつも厳しく指導を受けた。祖父母は津雲が扉の管理者になる資格があると知っていたのかもしれない。


「ここのルールはたったひとつ。こと。例外は店主だけ。客が来た時に、もし偶然豊島さんが棚に手をついていたら、豊島さんをても誰も文句は言えない。それだけ気をつけてね」

「人であっても品物扱い……いや、それも仕方ないのか」

「うん。やって来た連中が人を品物として持ち込んできたこともある。その辺りは扉の向こうの文化次第だからね、文句を言えた義理じゃないんだ。だから、豊島さんも気をつけて。いいね?」

「わ、分かった」


 気合を入れて頷く豊島に、津雲はへらりと笑いかけた。

 あまり力を入れても良くない。そういう肩肘張った姿勢では、すぐに疲れてしまうものだ。


「ま、安心してよ豊島さん。こないだみたいな化け物っぽい見た目の人は稀だからさ」

「そうであって欲しいよ。ちなみに、あいつはこの店に来る客の中ではどれ程の不気味さだったのだろうか」

「そうだねぇ」


 これまでに津雲が顔を合わせたことのある異種族の様子を思い浮かべる。

 イソギンチャク人間は、確かに中々インパクトのある外見だったが。あまり言葉を飾っても良くないだろう。


「真ん中よりちょっと不気味、くらいかなあ」

「そうか。そうかぁ」


 豊島はその言葉を噛み締めるかのように目を閉じ。


「いかん、くじけそうだ」


 ゆっくりと頭を抱えるのだった。

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