どこにも嵌らないからだ

書評:水沢なお『美しいからだよ』(2019年・思潮社)



「海へ行くときはどういう靴を履いたらいいのかわからない、と言いますので、君はもう二度目じゃない、と答えてやると、一度行ってしまったからわからないのだと姉は答えた。」(「砂漠航海」冒頭)

「朝起きて、できることといえば、祈ることしかない。砂の中にいるという君のために、ぼくは世界中の砂地を巡るのに必死なのです」(「シェヘラザード」冒頭)


水沢なおの作品はどれも冒頭が素晴らしい。たった数行で謎をいくつも呼びおこされ、自然に先を読みたくなる。たとえばここでひいた行では、海に行くのが「二度目」とはいったいどういうことなのか? 一度行ってしまったら履く靴がわからなくなってしまう「姉」や、姉を「君」と呼ぶ語り手はいったいどんな人物なのか? 砂の中にいる「君」とは一体何なのか。ぼくが「祈る」ことと、君のために「砂地を巡る」ことはいったいどんな風につながるのか? といった疑問がうかぶ。

作品に登場するキャラクターは「私」のほか「君」「ぼく」「姉」「妹」「ペルシャ」「ミーちゃん」「α」「β」などと呼ばれている。代名詞をみれば最初はぜんぶヒトだと判断しそうになるけれど、人間ではなさそうな生き物もいるし、人間と別の何かが混ざったような生き物もいる。共通するのはみな、生々しくてきれいな体を持っているということだ。

この本のタイトルであり作品のタイトルでもある『美しいからだよ』には「美しい体」と「美しい‐から‐だ」という二重の意味がある。そしてたしかに、この本のなかにはトートロジーのように美しいゆえに美しいと認知される体がある。プールサイドに座るふたり、砂の中から掘り出される君、破水するミーちゃん、生々しい実体を感じさせる若々しくてきれいな生き物。水っぽくて枯れていなくて、これらきれいな体と体のあいだに、相互にもしくは一方的に、向かっていく気持ちがある。その気持ちには、すこし恋に似たものもあれば、やるせなさや苛立ちのようなものもある。

ところでこの本は詩集とされているが、収録された個々の作品にはストーリーがあり、キャラクターがいるから、ただ「お話」と呼ぶほうがふさわしいような気がする。冒頭のつかみが魅力的であることは「読ませるお話」に不可欠な条件だ。そして詩とか小説とかいったくくりが不要に思える自由な構成や、お話の進行がどんなメカニズムに沿っているのか予想できそうでできないところは、水沢なおの作品を他の詩人の作品と取り換えがきかないものにしている。きっと「この創造物はこの世にひとつしかない」と誰かに感じさせるためには、うまく分類できないものをつくる必要があるのだろう。これはふつう成功できないことに成功している稀有な本だ。



(「現代詩手帖」2020年12月号)

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詩の上手なつかいかた 河野聡子 @okokotosan

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