第3話 孫たちに嫌われた、吉住課長

 地盤、看板、カバンが政界進出というか、選挙当選の三種の神器。同様にコネ(コネクション)・金(かね)・運(うん)が出世競争勝ち残りの三大アイテム、と古くから言われてきた。さて、この選挙と出世であるが、私の教え子の中にも、選挙と出世に敏感に反応する人たちがいて、その最右翼が九州の玄関と呼ばれる県下の課長職に就く吉住君であろうか。ハンサムで、サッカー強豪校出身のスポーツマン。しかも上級職採用試験トップ合格を引っ提げての人事部配属。こんな経歴までつくと、当然であるが周りは放っておかず、地盤、看板、カバンにコネ・金が自然とすり寄って来るのだ。


その彼がいかめしい名前がついた企画課の課長就任とともに、選挙関連の質問というか、私へのアドバイスを求める電話が頻繁に届くようになった。あまり深入りしない程度に話を聞いていると、出来れば、遅くとも次々回の市長選に打って出たい意向が、吉住君の受話器からの声に弾んだ。


「選挙は何とも厄介で、予測がつきにくい部分があってね」

 

私は暗に、運がそれこそバカにできない要因であることを告げて、頭を冷やすことを促す。出来れば一期でもいいから、県議会か市議会議員を経てから市長選に臨むのが無難と思うが、これは本人が下す政治的判断であって、私が口をはさむことではない。が、聡明な彼は、運という不確定要因低減のため、利用できるものは極力利用したい。私のような者のアドバイスというか、お墨付きでも少しは役に立つと考えているのだ。

 

元受講生の人たちの役に立つのであれば、リハビリジイジの私でよければ、いくらでも利用してくれてよいと考えているが、孫たちはそうではないようで、親衛隊を気取って老ジイジのガードを固めていた。何とも祖父思いの孫たちであるのだ。吉住君と同期で、隣県の課長職に着く藤泉君。その彼が、私の不在中に電話をかけてきて、応対したひなに、


「吉住君が市長選に立候補するのに、先生が賛成してくれたと彼が言っていますが、僕にはそんなことをおっしゃってなかったので―――」

 

言わずもがなのことを伝えてしまったから、何ともややこしいことになった。しかも、既に得ている色んな予備知識も含めひなに語ったらしい。柳湯から一の湯、西村屋本館前を通って消防署から極楽寺へのリハビリ散歩から帰って来ると、ひなとつつが書斎のソファに腰を下ろして私を待っていた。


「ジイジ、吉住さんは②の好ましくない相手に入れたから」

 

いきなりの通告に、


「どうしたんだ。一体」

 

二人の正面に腰を下ろし、ふくれっ面の孫たちに理由を聞いてみる。


「さっき、藤泉さんから電話があったんだけど、話の内容を精査した結果、吉住さんは好ましくない相手であるとの結論に至ったの。ね、つつ」


「精査とは大層な表現だけど、一体どんな資料を踏まえて、それに対してどんな判断をしたの?」

 

私は良い機会だから、ひなとつつが一番興味を持っているスタップ事件の真相解明。そう、我が親族である外科医が、京都にある旧帝大の助教授だった時の教え子。その教え子の自殺という、私にとってもひなやつつにとってもこのまま放置しえない重大事件の調査について、三人が一緒に着手する―――既に機が熟したレベルに至っているかの判断のため、孫たちの吉住君に対する分析手法を、それこそ精査してみようという気になったのだ。


「①好ましい、②好ましくない、③それら以外、の三分類。この三分類とは別に、私たちがジイジの教え子の人たちを①行政マンとしての職分の全うが目的の人、②行政の専門知識を磨き、将来的には大学での教育に携わろうとしている人、そして③行政職は手段であって、政治家への転出が目的の人。この三分類も併用していることは、こないだ話したわよね」

 

きわどい話題というか、論争の余地ある事案の場合、大抵、ひなが代表のような形で二人のスポークスマンになる。


「藤泉さんやこの前電話して来た坂口さんなんかは、行政マンとしての職分全う型よね。国税専門官をしている中村さんなんかは、大学教授志望型。そして、吉住さんは典型的な政治家転出型でしょう」


「そうだね」

 

まさにその通りで、この分析は間違っていない。


「私たち二人とも、政治家転出型にはあまり高い評価というか、信頼を置いていないのは、ジイジも知っているでしょう」


「うん」

 

この点も、二人から何度も聞かされている。その理由も、集中力散漫や利権がらみの弊害による行政の停滞や堕落を、統計的資料を挙げて指摘されたので、なかなか説得力があった。若さに似合わず、鋭い分析力を身に着けているのを知って、改めて二人を見直したのだった。


「吉住さんの場合は、以上のほかに、好ましくないと判断する最大の理由は、彼のスポンサーになっている産婦人科医なの。ね、つつ」

 

ひなが怒った時にする下唇突きだしふくれっ面。美人顔のひなが、こちらが噴き出したくなる愛嬌満点ファニーフェイスに早変わりなのだ。留学中は、テイラースウィフトに容貌がそっくりとの評が立ち、ジャパニーズスウィフトとかテイラーヒナフトと呼ばれていたらしいが、容姿が似ると性格まで似通うのであろうか。ひなの性格も結構過激で、曲がったことには容赦のない批判が飛んで、相手はコテンパンにやり込められてしまう。


もっとも、テイラースウィフトのこんなファニーフェイスにお目にかかったことは誰も無いであろうが、いずれにしてもひな本人は怒っているので、こちらは笑いをかみ殺すしかないのだ。さて、そのひなであるが、憮然と、憤懣やるかたない仕草で、吉住君のスポンサーたる産婦人科医非難の同意を、つつに求めた。


「そうか……」

 

藤泉君だけでなく、女性の坂口さんからの情報も得ているのであれば、吉住君が孫たちに好ましくないと判断されるのは致し方ないのではないかと思う。くだんの産婦人科医は、吉住君が勤務する役所管内での最高額納税者である。政治家のカバン、出世条件の金、という意味では申し分のないスポンサーであり、吉住君にとって彼を捨てがたい理由もよく分かる。また医師としての腕も世界的な評価を得ていて、この点でも何ら不満のない産婦人科医であった。

 

問題があるとすれば、モラルというか人格的評価にマイナス点がつけられ、私も手を切るよう求める最大の理由であった。今は公人として著名人になっている女性。女性という表現が烏滸(おこ)がましいほど高い地位に就く彼女が、外交官のとき、問題の医師から中絶手術を受けていると彼が公言しているのだ。


中絶手術自体、良い悪いは別にして、世間ではよく聞く話で驚くべきことではないが、問題は、その医師が親しい人たちに彼女のカルテを自慢げに見せびらかしているとの噂のあることであった。その噂の真偽はさておくとして、吉住君もカルテを見せられ驚愕のトップシークレットを知るとともに、医師の人脈の大きさに感服させられたと、嬉しそうに私に告げたのが数年前だったのだ。


「いくら腕がよくっても、医師として、最低ね!」

 

ひなのようなこんな反応を期待していたのだが、吉住君は目の前のパイプの太さと長さに小躍りしてしまい、彼本来の冷静な判断力を失ってしまったのだった。


「でもジイジ。私も知ってる、って言うか、国民の誰もが知っている、あんな有名な人が、若い外交官のときだと言うても、暴露される将来の危険を考えると、普通は外国で手術を受けるでしょう。腕のいい医者は外国にもいてんやから。なんで外国で受けへんかったん。この疑問だけでも、吉住さんの話は眉唾やと思うんやけど」

 

つつの疑問はいつもシンプルだが、深く鋭い。


「ひなは、どう思う?」


「‥‥‥そうね。もし噂が真実だったとしたら、ふつうは外国で受けるでしょうね。でもそうしなかった特別の理由があった場合は、国内での手術ということも考えられるんじゃないの。例えば緊急事態の発生とか、結婚の了解が得られるはずのところ、ぎりぎりの状態でご破算になり、よほど腕の良い医師に委ねないと母体が危うくなるような場合とか」


「そうだね」

 

吉住君の説明の限りでは、ひなの言う二つの理由の後者により、吉住君の後援者たる医師に手術依頼がまわってきたとのことだった。人生とは分からないもので、空想の域を出ないが、噂を真実と仮定して、もし中絶せずにその時の子が生まれていて、しかも男の子であったら、後の大きな問題は避けられたのであるが―――ま、これは言うまい。政治や祭事の世界では、特に、【たら、れば、しか】は禁句なのだ。いずれにしても先の産婦人科医の行為は守秘義務違反という、明らかに医師法に反する行為であり、また、それ以前に道徳的にも到底許されない行為であってみれば、吉住君の後援者たる産婦人科医へのひなとつつの非難は正当で、彼との関係を絶たなければ、吉住課長は好ましからざる人物の範疇から外されることはなくなってしまった。


「ね、ジイジ。吉住さんの話はもう終わりにして、一般職公務員で、大学での教育に携わる人たちって、どんな特徴があるん? 職種や人物像なんか、もっと知りたいんやけど」

 

産婦人科医との関係で、吉住課長は余程嫌われたらしく、つつは話題の転換を促すが、感染症研究に従事したい彼女らしく大学での研究動機や分野を知りたがる。


「大学での行政研究分野でいうと、公務員の職種との関連ではまず、裁量幅の大きな職種が注目を浴びるね。例えば都市計画や税務行政がそうで、これらに従事している人たちが、大学での教育研究者に採用される場合が従来から多かったんだ。それから最近の傾向として、需要の大きさとの関連で、介護や福祉行政それに観光分野が、大学での教育研究者採用の受け皿になっているね」


「うん。裁量幅の大きな職種は、複雑さや高度の専門性から、一種のエリート特性として扱われて来たんやからよね。医学とパラレル(平行)に考えると、分かり易いね、ひな」

 

つつが、右隣に座るひなに笑顔を向ける。


「そうね、つつ。・・・・・・じゃ、ジイジ。介護や福祉、それに観光分野は社会の需要との関連で学生の就職先というか、大きな受け皿機能が期待できることと関係するのね」


「そうだね、ひな。もちろんそれだけじゃないけど、少子化の中で入学者を確保するためには、卒業後の就職先確保はどうしても必要だからね。高齢化社会における老人介護とのマッチング、これらが介護や福祉の学問的発展を促し、新たな研究者や教育者を生み出す要因だろうね」


「観光はどうやろ? 大学に観光学部・学科がたくさんできたんは、世界的な観光ブームに押されたことが大きかったでしょう。観光が世界経済に果たす役割や人的交流による平和社会実現への貢献。これらの評価が、観光学部・学科が出来たことの大きな要因でしょ。需要・必要性という点では、介護や福祉分野と同じようにくくれるんやけど、順序的には、鶏が先か、卵が先か、の議論につながるように思うな。・・・・・・ま、大学での学問研究分野の創設とその発展という現象的観点からは、あんまり大した差はないようやけど」


「そうだね、つつ。あんまり大した差はないんだけど、そこのとこの、分析があるかないかで、場面や事案によっては、結論が大きく変わって来る可能性があるんだよ」

 

私は正面の二人に笑顔を向けて目を細めた。近々三人で、スタップ事件の真相に迫ってみよう、そう決意したのだ。


孫たちにとっても私にとっても、勿論ご遺族にとってはなおさらであるが、亡くなった本人の無念を晴らす手助けをしたい。そのために三人の知恵を絞ろう。そう、愛する孫たちを前に、ジイジたる私は年甲斐もなく少々熱くなりながら、頼もしい二人を入れた三人でのスタップ事件解明。心に深く誓ったのだった。

 

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