第2話 ジイジと孫々よろず相談ネットの予感
孫たちと暮すようになって、我が家は何とも言えない華やかな熱気に包まれるようになった。十八歳の二人が加入したのだ。バアバに怒られるが、家の中が、祥子と雅子たちがいた二十五年前に若返った、そんな雰囲気がふとした時に甦って来るのだった。
それに、私はちょっぴり自慢したい気分でもあった。ひなは母親が出た横浜市にある公立大学の医学部、つつも母親と同じく奈良の公立医科大学に合格したのだ。我々のときと違って医学部は最難関学部であることを思うと、やはりジイジたる私も少々鼻が高い。
母親に何かと反発しながらも、現役での医学部合格は並大抵の努力では済まなかったであろうが、二人はそんな苦労をおくびにも出さなかった。頭の回転の速さもすこぶるといって良いもので、また、舌を巻く、呆れるほどの要領の良さも、超一流であった。
ジイジたる私は、孫たちの卓抜した能力に、日々、感服の思いなのだ。しかも、足して二で割らない二人は、互いに足らない部分を補い合って、最強タッグを組むのだ。
明らかに左脳型のひなと、右脳型のつつ。ひなの記憶力は、コンピューター並みで、また、つつの数字と図形処理はまさに宇宙人というか、未知の生命体を思わせるものであった。
さて、この二人がまず取りかかったのは、電話の分類処理であった。例えば、我が家へ頻繁にかかって来る固定電話コール。この90%以上がジイジたる私への、教え子たちの相談電話。三日もしない内に理解すると、孫たちは電話の相手を三グループに素早く分けてしまった。
①好ましい相手②好ましくない相手③以上のいずれでもない相手、の三つである。①だと当然、好意溢れる丁寧な応対がなされ、私が散歩に行っているときでも、携帯への接続等の孫たちの案内サービスが得られるのだ。しかも驚いたことに、各グループが連絡を入れてくる時間帯も、私は気づいていなかったのだが、ほぼ100%の確率で確定してしまった。
「あいまいな部分ってのは、どうしても出てきちゃうけど、出来るだけそれを狭めないと時間の無駄だし、失望も大きいから。ね、つつ」
確率・統計論による行動予測が最重要で、希望的観測や憧れ指数に振り回されると、人生、あまり良い結果が生まれないとのことで、両親の離婚も予測の範囲内であったと、二人はジイジたる私に苦笑いを浮かべ肩をすぼめたのだった。
さて、四月に入って行政や会計の新年度が始まると、教え子である山陰地方の市役所勤務の幹部職員からの電話が頻繁に入ってくるようになった。十年近く前になるが、鳥取県内の大学の講座を担当していたこともあり、私は受講生だった教え子たちと連携して、山陰のとある温泉地の活性化に微力ながら、手を貸したことがあった。泉源が多く、しかも各泉源の湧出量も豊富であることから、自治体が一部を借り切る形で露天風呂施設を作り、観光客に温泉地巡りをしてもらうという計画案を作成したのだ。
露天風呂施設を温泉地奥の、遊ばせたままの休耕田に作れば費用も抑えられ、また観光客もあまねく温泉地内の店舗や観光スポットを巡ってくれて、少々集客力が落ちぎみの温泉地も活性化する。この目論見で動いていたのに、旅館組合の組合長が計画に異を唱えた。彼の案は、露天風呂は温泉地の入口と奥の二つに作るというものだった。そうすれば、城崎温泉のように観光客が浴衣姿で温泉地を回遊する頻度が増し、露天風呂施設一つよりもより活性化するのではないかというのだ。
しかしこの案だと費用がかさみ、町営の二軒の公衆浴場も露天風呂に多くの客を取られて赤字を計上することは必至。なので、私は反対だった。ところが組合長は引かない。温泉地の入口に自分の旅館があることから、収益面での誘惑にとらわれていることは明らかだった。
ウィーン会議での名セリフ【会議は踊る、されど進まず】の膠着状況の中、結局、住民集会の決定に委ねようということになった。が、問題は議案の内容が露天風呂施設二つを前提にしての、賛成か反対かであった。公衆浴場が年間300万円余りだが、取り敢えず黒字を計上しており、そこに勤務する住民も、パートを含め二十人近くいることを考えれば、否決は当然予想できたことだった。
もしあの時、自治体による一部泉源借り切り案が通っていれば、数千万円(具体的には六千万円だったが)の資金が永続的に注入され、後に我が国を襲うコロナ被害からも可なりの余裕で温泉地を守ることが出来たのだ。そう思うと、何とも残念でならない。
ところで、四月十一日にひなが取り次いだ相談内容は、インバウンドすなわち訪日外国人観光客の増加がもたらした、まったく嬉しくない副産物についてのものだった。教え子が担当する行政管内でも最近、梅毒患者が急増していて、その対策に懸念しているというのだ。
「梅毒患者の急増は以前も言ったように、感染者数が数十万人、いや今では百万人に及ぶといってもいいのかな、その国からの観光客増加と非常に高い相関があるとの見解に私は賛成なんだ。この見解によると、性風俗に従事する女性がもっぱらその国の観光客からうつされ、次に我が国の男性が彼女らからうつされる。そして彼らが交際相手や配偶者にうつす、という構図が一番分かりやすいだろうね。だから啓発ポスターを配布するにしても、どのグループを対象にするかで、内容を変える必要があって、あなたが添付ファイルで送ってくれたものが的を射ていて、いいと思う。ただ、観光客に対するものは、ほとんど効果が期待できないから、経費節減のためにもカットする方がいいんじゃないだろうか」
私は率直な意見を彼女に伝える。ずいぶん以前になるが、本国へ送還される前の性風俗従事女性たちに会う機会があって、彼女らの了解を得て、当時、関係機関が一番懸念していた質問に答えてもらったことがあった。その際、研修中だった電話の教え子も同伴していたのだ。
「If customers ask you no condom OK, What do you answer ?」
コンドームなしでもいいかと頼まれたら、何と答えるのか、と私が英語で質問したことに、教え子はいたく驚いたようで、
「あれ! 先生。英語が話せるんですね」
目を丸くしながらも、
「でも、顧客という意味のカスタマーは、女性を買うような男に対しては、不適切ではないかと思うんですが」
外大(外国語大学)出の女性らしく、私にくぎを刺したのだった。
「さて、ひなとつつはどう思う?」
受話器を置いてから、書斎のソファー(私との会話を楽しむため、三日前、二人がニトリで購入)に腰を下ろし、相談内容に耳を傾けていた孫たちにその時の話を伝え意見を聞いてみる。
「かなりマイナーだけど、アメリカの売春婦が自分たちを買いに来る客を馬鹿にして、カスタマーを使うわね。『バカ旦那』とか『バカお客』っていうような意味かしら。ジイジがこれを知っているんだったら、ジイジの勝ちね」
留学経験があって、英語の超得意なひなが私に笑いかける。
「さあ、どうだろうね。それより、今日の昼はジイジのおごりで、寿司定食を食べに行こうか」
ひなの問いには答えず、私は至福の笑顔で二人を駅前の大関への昼食に誘った。
「ね、ジイジ。さっき、坂口さんと話していた梅毒についてやけど、やっぱり、コロンブスが新大陸から持ち帰ったん?」
三人並んで駅前へ向かいながら、地蔵湯のあか抜けした―――何とも粋なのれん前で、私の左手を歩くつつが遠慮がちに祖父である私を見上げた。坂口さんというのは、先ほど電話をかけて来た教え子である。
つつは目立つのが苦手で、ひなと違い、おとなしくてどちらかというと引っ込み思案であるが、秘めたる芯の強さを隠し持っていた。こうと決めると、強情っぱりで、中々決意を曲げようとしない子だった。
そのつつが、城崎の春の陽光に包まれ、歩道上で立ち止まってジイジを見上げたのだ。いったい何事かと、私は構えてしまい、横に立つひなに視線を送ると、彼女は意味ありげな苦笑いを浮かべ肩をすぼめた。
「うん、そうだね、つつ。梅毒の由来に関しては諸説あるけど、まず、梅毒はアメリカインデアンの風土病だったという説が最有力なんじゃなかったかな。この説によると、コロンブス一行がインデアンの女性達と性的接触を持って、その結果、梅毒に感染。その彼らがヨーロッパに帰国し、ヨーロッパ中に感染が拡大した。恐らくこの流れだろうね。でも、どうしてそんなことを聞くの?」
「うん。コロンブスが新大陸を発見した1492年当時は、人口も今に較べて何百分の一程度やったんで、細菌やウイルスの感染はもっぱら人から人へのそれを念頭に置けばよかったんやけど、今は人口が増えすぎて、人類が動植物の生存領域を侵しているやろ。熱帯雨林の乱伐や南半球地域の乱開発を通して人類の生存可能領域の拡張という形で」
「で、そのことが梅毒とどう関係するの?」
口下手のつつの説明からは、私には話の収束点がよく見えない。
「ジイジ、つつが言いたいのはね、コロンブスの時代のような人から人への細菌感染より、サーズ(重症急性呼吸器症候群)やマーズ(中東呼吸器症候群)なんかのように、動植物から人へのウイルス感染が、今後の医療にとっては重要な問題になって来るんじゃないかって。そういうことなのよね、つつ」
ひなが横合いから口をはさみ、二十センチも身長差のあるつつに向きなおると、彼女の肩に両手を置いて、チラッと私に視線を流しながら笑いを噛んだ。
「うん。そう」
つつの返したはにかみ笑顔で、ようやく私にも話の筋が読めてきた。つつの、このはにかみ笑顔が曲者(くせもの)であるのだ。十年前にひなが私に見せた、キラリと光る瞳に匹敵するもので、強い決意の外観的兆候といってよく、二人の母親たちが散々悩まされて来た、まさに反抗の狼煙(のろし)であったのだ。
「じゃ、つつはお母さんの医院を継ぐんじゃなくって、感染症対策の研究に従事したいっていうのか?」
「うん」
立ち止まった私に、つつがあっさりと重大決意を認め、何とも可愛い笑顔で頷く。
「ごめんね、ジイジ。つつが一年間の休学届けを出したのは、マー(雅子)おばちゃんの説得に当てるためで、ジイジのとこが距離的にもぴったりというか、城崎温泉が最高のアカデミックシェルターなの。私の休学届けは、ママの後を継ぐか、それともジイジみたいに相談での人助けが性に合っているか。この、どっちに進むか考えるためなの。もしジイジ師匠の後を継ぐと決めたら、来年は大学に退学届けを出すか、それとも教養学部への転部届けを出すかして、司法試験を受けることにするから。もしそうなったら、その時は宜しくね、ジイジさまさま」
ひなだけでなく、つつまでが和モダンな雰囲気漂う地蔵湯の六角形窓枠―――その歩道上で両手を合わせ、茶目っ気たっぷりに、リハビリ中の老人に満面笑みを向けたのだった。
―――あーあ……。
孫たちとその母親である娘たちとの板挟みになって、この先どんな余生を過ごさねばならないことやら。頼られて嬉しくもあるのだが、のしかかる肩の荷の重さに、空腹が円山川の流れに沿って、城崎温泉駅から玄武洞駅までぷかぷかと南へ南へと消えて行ってしまう。二人の笑顔を見ながら、私はそんな感覚に襲われていたのだった。
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