受難とジュゴンと学びとマナティ

伊那

口は災いの元

 下校時刻を過ぎた生徒会室の中は重苦しい空気が漂っている。生徒会長の行方が職権乱用し、幼馴染三人でよく溜り場にしている場所だ。部屋の中は勿来がボリボリとじゃがりこをむさぼり食う音が響く。いつも騒がしい彼らの姿は見る影もない。

 三郷が机に突っ伏し、ひどく落ち込んでいた。彼が落ち込んでいる理由を知るには、三十分前に遡る必要がある。三十五分前までの三郷は有頂天だった。五分間で彼は天から地へと落とされてしまった。

 彼が有頂天になったのも無理はない。彼に“初めての彼女”ができたからだ。

 放課後、彼は周りがドン引きする勢いで彼女自慢を始めた。仕方ない。初めての恋人は特別で、浮かれてしまうものだ。誰にも彼を責めることなどできない。しかしそれにしても彼の彼女自慢は普通の人の倍以上はうざったいものだった。彼を責めることもできなければ、周囲の人間のドン引きも責められることではない。

 流れは至極まっとうな方向へと進んでいった。クラスメイトの一人が、彼女の写真が見たいと言い出したのだ。三郷は喜んでスマホを取り出し、彼女の写真をクラスメイトたちに見せて回った。

 ブスだった。どうしようもなくブスだったのだ。擁護もできないほどの完璧なブスだった。ジュゴンとマナティーの間に生まれたハーフなのではないか、と誰もが思った。あれはあくまで動物だからかわいいのであり、人間がジュゴンとマナティーのハーフのような顔をしているのは想像以上に悲惨なものだった。

 教室内に暗雲が立ち込める。写真を見たクラスメイトたちは皆、「あっ」というような顔をし、空気を察して押し黙った。だが三郷は気付かず、さらに他のクラスメイトたちに見せて回った。

 何も言わなかったクラスメイトたちがどれほど優しかったか、三郷はのちに知ることになる。彼は愚かなことに、全く空気が読めない嫌われ者、加倉井に写真を見せてしまったのだ。加倉井は自分が冴えない小太りチビ眼鏡ニキビ面であることを棚に上げ、言い放った。

「うわ、お前の彼女ブスじゃん!」

 教室内が一瞬で凍りついた。いつもなら加倉井を責める流れになるのだが、いい加減皆は三郷の彼女自慢に嫌気が差していた。中には「よく言った!」と心の中で加倉井に賛同している者も少なくなかった。誰も三郷を擁護することなく、静かにクラスメイトたちは散り、部活や自宅に向かうのだった。そこに取り残されたのは勿論三郷と、いつも三郷と一緒に帰る行方と勿来だけだった。


「そんなに落ち込むなよ」

 行方が沈黙を破った。生徒会長を務める彼は聡明だった。友情にヒビが入らないよう、当たり障りのない言葉を紡ぎ、決して彼女の容姿については何も言わないように心がけるつもりだった。しかし彼のそんな気遣いを三郷はぶち壊すように言う。

「俺の彼女って、ブスなのか?」

 行方と勿来は息を吞んだ。ブスだ、なんて面と向かって言えるはずもない。先ほどトイレで腹を抱えて笑い合っていた事実は、隠し通さねばならない。

「いやまあ、人それぞれ好みがあるし…」

 勿来がじゃがりこを食べる手を止めた。こんなときですらじゃがりこを食べられる奇人の彼でも、今回のことは非常にデリケートな問題だと足りない脳みそで理解していた。

「そうだよな。うん。俺なんか彼女居ないし、羨ましいぜ、このリア充め!」

 行方はこの空気に耐え切れず、三郷を持ち上げる作戦に出た。三郷の彼女自慢は確かにうざったかったが、こうも落ち込まれるといつもつるんでいる身としては持たない。まだ自慢している方がマシだと判断した。勿来もすかさずそれに乗っかる。

「そうだよなー。超羨ましいぜー。俺たち独り身にとっちゃ、眩しいぜー」

 勿来は売れない大根役者のような棒読みで叫んだ。空気は読めるが、良くも悪くも正直者なのだ。

「お前ら、ありがとう」

 三郷はとうとう顔を上げた。目は充血し、瞼は腫れぼったく、鼻からは鼻水が流れていた。ようやく立ち直った様子の三郷に、二人は「よしっ」と小さくガッツポーズをした。だが喜んだのも束の間だった。

「なんて言うとでも思ったか!」

 突然三郷は怒鳴り、自分のスマホを机に叩きつけた。

「あんなクソブスとキスできるとかすごいわ!」

「すっげえブスだったな!」

「あんなんと付き合うなら俺一生独りでいいわ!」

「俺も俺も!」

 スマホから音声が流れた。間違いなく先ほど行方と勿来がトイレで交わした会話だった。二人は顔を見合わせ、青ざめた。まさか三郷に盗聴されているとは、まるで気付かなかったのだ。

「お前ら呪ってやる!」

 捨て台詞を吐き、三郷は泣きながら生徒会室を飛び出して行ってしまった。残された行方と勿来は追いかける気力もなく、二人でじゃがりこを自棄食いすることしかできなかった。

 そして二人共「自分に初めて彼女ができても絶対に自慢しない」と心に誓うのだった。

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受難とジュゴンと学びとマナティ 伊那 @kanae-ryu

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