最終話 神話





 それから、三年が経った。


 ユルは大学卒業後、羽前事務所で働くことになった。


 年に三・四回帰ってくるが、学生のときのような長期休暇がないので、滞在期間は数日と少ない。


 淋しくない、といえば嘘になる。


 でも、ユルは浄化のためにも必ず帰ってくることを知っている。


 それに、心はつながっているから、ククルは大丈夫だった。




神女ノロ様、ありがとうございました」


「いえいえ。また何かあれば、いつでもどうぞ!」


 よくある、落としたマブイを見つけてほしいという依頼だった。


 無事にマブイを取り戻した子供とその母親を見送り、ククルは息をつく。


 七月に入ったばかりだが、今年は妙に暑い。


 そろそろ昼食の時間だ。


 琉装の襟元をくつろげて、ぱたぱたと手で首元をあおいでいたところ、後ろから声をかけられた。


「すみません、雨見さんですか? この島のノロの……」


 大和人と思しき青年が、車椅子を押してやってきた。


 車椅子には、老婆が乗っている。


「あ、はい。そうです」


 ククルは慌てて襟元を整え、一礼した。


「祖母を治してください。病院でも、さじを投げられてしまって……」


 青年に請われたが、ククルは眉をひそめた。


 老婆に病魔が巣くっているのは、なんとなくわかる。


 ククルは彼女の肩に、手を置く。


「ごめんなさい。私は、癒やしの力を一時的に高めるぐらいしか、できないんです。ここまで進行していたら、もう……」


 いつからか、ククルに撫でられたら怪我がましになっただの、病の進行が緩やかになっただの、という噂が広まってしまっていた。


 だが、ククルが持っている癒やしの力は本来ユルにしか通用しないものだ。


 他の人にも少しだけ効果がなくもないらしいが、それも副次的なものだろう。


「そんな! せっかく、ここまで来たのに!」


「ごめんなさい」


「てめえ! 旅費を返しやがれ!」


 いきなり豹変し、むちゃくちゃなことを言って、青年が拳を振りかぶる。


 避けられない。


 覚悟してククルは目をつむったが、拳はククルに振り下ろされなかった。


 目を開けると、ユルが青年の手をつかんでいた。


「穏やかじゃねえな。――こいつを殴る理由は?」


「だ、だって僕は、ここに来たら祖母の病が治るって聞いて来たんだ。それなのに、できないっていうから」


「できねえもんは、できねえんだよ。こいつは、万病を治せるような超人じゃない」


 ユルが説明すると、青年はうなだれた。


「……力になれなくて、ごめんなさい」


 ククルが頭を下げると、老婆は力なく笑った。


「いいんだよ。孫が、すまなかったね。いい子なんだけど、怒りっぽいところがあって。……もう寿命なんだって、あたしにはわかってるんだよ。でも、たったひとりの家族だから。諦めがつかないみたいなんだ」


 老婆は囁くように、ククルに語りかけた。


「ばあちゃん。でも、こんな辺鄙へんぴなところまで来たのに……」


「仕方ないじゃないか。そもそも、この子が本当に万病を治せる巫女さんなら、休む暇もないさね。それより、ここでゆっくりしていこう。海も空も、とってもきれいだ。きっといい思い出になるさ」


「わかったよ、ばあちゃん。……すみませんでした」


 青年が謝ると、ようやくユルは腕を放した。


「あんたには気の毒だが、彼女の力は効かなくもない、ぐらいのプラシーボ効果程度だ。それが、大げさに広まってるんだよ。……ま、せっかく来たんだから観光していったらどうだ。ここはたしかに辺鄙だが、信覚島を拠点に離島周りしたら、それなりに楽しめるはずだ」


 ユルが薦めると、老婆が「それはいいね」と飛びついていた。


 青年の顔も、少し和らぐ。


 礼を言って、青年は車椅子を押して行ってしまった。


「――大丈夫か?」


 ユルに問われて、ククルは何度も頷く。


「うん。ユル、ありがとね。あれ? 明日帰ってくるって、言ってたのに……どうして?」


「仕事が早く片づいたんだ。それで航空券も取れたから、今日帰るって――今朝、お前にメールしたけど」


「あ、見てないや。ごめん。今日、朝から依頼がいっぱいで忙しかったんだよね」


「まあ、いいけど」


 ユルが肩をすくめたところで、気づく。


 彼が、たくさん荒みのようなものをまとっていることを。


「随分、大物を倒してきたんだね」


「わかるのか?」


「なんとなくね。ほら、早く浄化しよう! 荷物、家に置いてきて!」




 ククルはユルの手を引いて、桟橋へと走った。


 この桟橋からなら、深い海に潜れる。


 ユルは白い浴衣に着替えていた。


 ククルは「いくよ! えいっ!」と言ってユルを押して、一緒に海に沈んだ。


 ふたりで水底に落ちながら、ククルは命薬を召喚する。


 くるりと回って、ふたりは水底に立つような姿勢を取る。


 ククルがユルに短刀を刺すと、祈りが届いて彼を浄化していった。




 海面に顔を出し、ユルが先に桟橋に上がり、ククルの手をつかんで引っ張り上げてくれる。


 勢いあまって、ユルを押し倒すような姿勢になってしまい、ふたりで笑い合った。


「あ、そうだ。言い忘れてた」


 起き上がって、ククルはユルの手を引く。


 ユルは身を起こしながら、首を傾げた。


「何を?」


「――おかえり」


 ククルがにっこり笑うと、ユルはどうしてか少し照れくさそうに呟いた。


「……ただいま」




 ニライカナイの最後の子供たちは、こうして今も琉球を守っている。


 彼らの静かな奮闘を知るひとは、ほとんどいない。


 それでも、彼らは互いに支え合って、これからも美しい海と空に囲まれた琉球こきょうを守っていくのだった。




 ――これは、限られた者たちだけが知る、最後のニライカナイの子どもたちが紡いだ物語――最後の神話である。




(了)





あとがき


最後まで読んでくださって――長い物語にお付き合いいただき、ありがとうございました!

後日談や番外編などのネタはたくさんあるので、また少し経ったら不定期に更新していこうかと考えています。そのときは、よろしくお願いします。

ともあれ、本編はここで完結です。

ご感想・星やレビューなどいただけると、今後の励みになります。よろしければ、お願いします。


ありがとうございました!



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