第二十六話 契約 2




 それからは、トントン拍子に進んでいった。


 ククルはユルが大学を卒業してから結婚すればいいのでは、と言ったのだが、彼は「法律年齢的にも問題ないし、待つ必要もないだろ」と主張した。


 そうかな、と思いながらもククルは了承した。


 求婚のあとすぐ、ククルの実家の跡に家を建てることになった。


 もちろん相当な金額だったので、ここでカジの残してくれた財産を使わせてもらった。


 設計などはククルが眠っている間にユルが業者とやりとりして決めていたらしく、夏には建つ予定になっていた。


 結婚式は、夏休みにユルが帰ってくるときにすることになった。




 そうして、あっという間に夏がやってきた。


 神の島の伝統的な結婚式が執り行われた。


 参列するのは、島の人だけだ。


 薫、弓削、河東、伽耶――そしてエルザも呼びたかったが、一種の秘祭に近いもので、儀式の意味合いが強かったため、みんなには結婚式に呼べない旨をククルから詫びておいた。


 夕刻、御獄の前でふたりは一礼し、兄妹神の間、海神の間、空の神の間を通って出てきて、人々に一礼する。


 ククルは黄色い生地に赤い花の踊る豪奢な琉装、ユルは紺地に銀の刺繍が施されたものを着ていた。


 いつか、ぐすくに乗り込んだときによく似た衣装だと思いながら、ククルとユルは島人が見守るなか、ミエに渡された御神酒の入った盃の中身を飲んだ。


 持っていた指輪を交換して、お互いの左手の薬指にはめる。


「これにて、兄妹神は旅立たれた。神の島に、もう兄妹神はいない」


 ミエが声を張り、ククルとユルが置いていた昔の着物を燃やした。


 そのまま、ふたりは手をつないで島中の御獄を回る。


 神々に挨拶し、婚姻を結ぶ旨を報告した。




 その後、浜辺にゴザを引いて、宴が始まる。


 三線サンシンが弾かれて、島唄が歌われた。


 ククルたちには、ひっきりなしに島人が挨拶しにきて、酒を注いでいった。


 ククルは一杯で顔が赤くなってしまったので、ククルの杯に注がれた酒もユルが飲んでくれた。


 夜も更けたとき、ミエが後ろから「お二方、そろそろ抜けてください」と促す。


「挨拶しなくていいの?」


 ククルの問いにミエは、「こういうのは、静かに行くものですよ」と言って笑っていた。


 ユルに手を引かれて、ククルはできたばかりの家に入る。


 二日前にできたばかりなので、荷物はこちらに移していたが、まだここで暮らしてはいなかった。


「先に風呂に入れ」


 ユルに促されて、ククルは頷く。


 床の間に置いていた荷物を持って、洗面所に入っていった。


 誰が用意したのか、洗面所に白い浴衣が置かれていて、風呂の湯も張られていた。


(寝間着、持ってきたけど……こっちの白いのを着ろってことだよね?)


 不思議に思いながらククルは洗面所で化粧を落としてから、風呂場に入っていった。


 


 寝室には、ひとり分の布団しか置かれていなかった。


(……あ、そっか。そ、そうだよね)


 今更ながら動揺して、ククルは汗をかく。


 枕元でしばらく正座していると、風呂上がりのユルが入ってきた。


 ユルも、白い浴衣を着ている。


「飲むか」


 ペットボトルに入った水を差し出され、ククルは頷いて水を少し口に含む。


 ユルはククルの近くに座って、水をごくごく飲んでいる。


(き、緊張する)


 体を強ばらせたところで、布団に移動しろと促されてククルは布団の上に座った。


 二本のペットボトルを近くのローテーブルに置いたあと、ユルはククルの前に来て膝立ちになり、ククルの体を押し倒した。


 ユルはククルの顔の横に手をつき、妖しげに微笑む。


 緊張のあまり、ククルはがちがちになって、目をつむってしまう。


「おい、力を抜けよ」


「……だって、怖いもん」


「優しくするから」


「本当?」


「オレが今まで、嘘ついたことあったか?」


 いっぱいある、と答えかけたところで、唇で唇を塞がれた。








 おめでとう、という言葉と共に拍手が響く。


 ティンとトゥチとカジが、ククルを取り囲んでいた。


「兄様……トゥチ姉様、カジ兄様」


 嬉しくて、ティンに抱きついてしまう。


「おめでとう、ククル。これからも、琉球を守っておくれ」


 ティンはククルから身を離して、手を振った。トゥチとカジも行ってしまう。


「ま、待って……!」


 追いつこうと、走る。足がもつれて、ククルは転びそうになって――








 目を覚まして、ククルはぱちぱちと目をしばたたかせた。


 起き上がると掛け布団がずり落ちて、自分の裸身が見える。


「わ、わわーっ!」


 誰も見ていないのに騒いでしまって、ユルがいないことに気づく。


 ククルは首を傾げて、身支度を始めた。




 普段着の琉装を着たあと、一階に下りる。


 台所では、ユルが料理をしていた。


「ユル、おはよう。早いね」


「……おう」


 ユルはちっとも照れくさそうなんかではなくて、いたって冷静だった。


 ひとりで赤くなったりしている自分が馬鹿みたいだと思いながら、ユルの手元を覗き込む。


「アーサー汁?」


「ああ。食材は、高良のおばさんが用意してくれていたみたいだな」


「いつ、目が覚めたの?」


「一時間ぐらい前だな。お前は疲れているだろうし、朝食でもこしらえてやろうと――」


「わーっ!」


 今になって、昨夜の記憶が蘇りそうになってククルは慌てる。


「何なんだよ」


 ユルはすっかり、呆れている。


 どうしてそんなに余裕なの、と文句を言いたくなってくる。


「あ、そうだ。今なら、教えてくれる?」


「何をだ?」


「ユル宛ての、カジ兄様の手紙の内容!」


「……ああ、あれか。あれにはな、苗字について書いてあった。あの時代では、大抵の庶民は苗字を持たなかった。でも、カジは予見していたらしい。いつか、みんなが苗字を持つこともあるだろうと。だから、オレたちの苗字を考えて残してくれた」


「苗字についてなら、私への手紙にも書いてたよ?」


「オレのには、続きがあったんだ。――もしオレがお前をめとるなら、苗字が一緒で兄妹扱いになれば結婚できなくなる。だから、違う苗字を残すと」


 ユルの答えに、ククルはびっくり仰天する。


「カジ兄様、私たちが結婚することわかってたの!?」


 それで、ユルはあんなに微妙な顔をしていたのか――とククルは納得する。


「さあな。まあ、そういうこともあるかもしれない、ぐらいの気持ちだったんじゃねえか」


 ユルは肩をすくめて、アーサー汁を椀によそっていた。




 朝食を取ったあと、ククルはユルに海に行こうと誘った。


 浜辺に立ち、海の向こうに手を振る。


 今日は、ニライカナイが近い気がする。


 時を超えて、声も届きそうだ。


 だからククルは、手を振って「私たち、結婚したよ」とティンとカジとトゥチに報告した。


 白金の指輪が、陽光に輝く。


 もちろん返事はなくて。波音だけが聞こえる。


 でも、それでいいと思った。


 ククルはこれで改めて、過去にさよならできたと――心から実感したのだった。


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