第二十六話 契約



 ククルは翌日に検査をして、明後日に退院ということに決まった。


 


 医師や看護師に挨拶をして、外で待っていてくれたユルに走り寄る。


 ふたりはこれから、八重山に戻ることになっていた。


 大和にあるククルの荷物は、ユルが宅配便で送ってくれるそうだ。




 伽耶が手配してくれた航空券を使って、ナハから飛び立つ。


 信覚島しがきじまを経て神の島に帰ると、途方もない安堵感がククルを包んだ。


 高良家に帰ると、高良夫人とミエが大歓迎してくれて、豪華な昼食を振る舞われた。


「ククル、話がある。外に行こう」


 昼食のあとに促されて、ククルは頷いた。


(話って、何だろ)


 戸惑いながらも、ユルと並んで白い道を歩く。


 海へと続く道を、こうしてふたりで歩くのはいつぶりだろうか。


 浜辺に着くと、どちらからともなく足を止めた。


(もう、ユルには会えないのかもしれないなあ……)


 ユルは大和で生活が完結してしまうのだから。


 そんなことを考えると、泣けてきてしまって。ククルは目をしばたたかせて、ごまかした。


 寄せては返す波を見ながら、ユルは口を開いた。


「なあ、ククル。オレたちは契約したよな。兄妹になる契約を」


「……うん」


「その契約を、破棄したい」


 ユルはククルの前に立って、告げた。


 頭の中が、真っ白になる。


「…………」


 そんなのは、嫌だ。もう、兄妹神じゃなくても。力は分離しても。絆があると、思っていたかったのに――。


「そして、お前がいいなら――新しい契約をしよう」


 ユルはポケットから、つややかな布を取り出した。その布を開くと、青い宝石のはまった指輪が顔を覗かせた。


「指輪……って」


「新しい契約は、結婚だ」


「結婚!?」


 ククルは大声を出して、差し出されている指輪を手に取った。


「でも、ユルは私のことなんとも思ってないって言ったよね?」


「あれは……あのときはオレが短命だと思い込んでいたからだ。先立つのに、お前の未練になるわけにはいかねえだろ」


「じゃあ……ユルは、私のことどう思ってるの?」


「指輪渡した時点で、わかれよ!」


「言ってくれないと、嫌だよっ!」


 あのときの記憶を、上書きしてくれないと、ククルは前に進めない。


 強く見すえると、ユルは気まずそうに目をそらしたが――布をポケットにしまって、ククルを強く見つめてきた。


 黒々とした目に、初めて会ったときのことを思い出す。


 夜空の、目。


「お前のことが、好きだ――ククル。お前のことがかなしい」


 告白されて、ククルは泣き崩れそうになりながらも、なんとか言葉を紡ぐ。


「私……私も、だよ。ありがとう……両想いだったんだね……」


 どうしてか、涙が溢れる。そんなククルを、ユルはそっと抱きしめた。


「で、返事は?」


「……返事?」


「さっき、求婚しただろ」


 そういえば、そうだった。


「もちろん、その……私も好き! だから、お願いしますっ!」


 ククルの返事がおかしかったのかユルは声を立てて笑って、ククルに口づけた。


 口移しの意味を持たない、純粋な――初めての口づけだった。








 ユルはトウキョウの家に帰ってすぐ、祥子に怒鳴られた。


『ユルくんの馬鹿ーっ! ずっと心配してたのよ! 連絡ぐらいしなさいよ!』


「お前は地縛霊なんだから、連絡なんかできないだろ」


 実はすっかり忘れていたのだが、そうは言えなかった。


『あの弓削さんとかに、伝言頼めばよかったじゃない!』


「それもそうだったな。……許せ、祥子。色々ありすぎたんだ」


『つーん。まあ、いいわ。何があったかじっくり聞かせてくれる?』


「はいはい……」


 ユルはリビングに座り込んで、詳しいことを祥子に語った。


『うっうっうっ……ククルちゃん、助かってよかった。ユルくんも短命じゃなくてよかった』


 祥子は涙をぼろぼろ零していた。


「ああ……。呪をかけた件については、悪かった。できるだけ早く、弓削に頼んで解いてもらう」


『ううん、もういいのよユルくん』


「もういい、ってどういうことだ?」


『私、もう天国に行こうかと思って』


 祥子のあっけらかんとした報告に、ユルは仰天する。


「どうして、急に」


『実はねー、ククルちゃんのおかげで未練は解消されていたの。どうしても読みたかった漫画の続きも読めたし、アニメの新作も追えたし。もういっか……と思ってたけど、今度はあなたたちの行く末が気になってね』


「オレたちが、新しい未練になっていたってことか」


『簡単に言えば、そうね。でも、こうしてハッピーエンドになったと聞けたから、満足したのよ。不肖祥子! これにて、この世を去りたいと思います!』


 芝居がかった様子で、祥子は敬礼していた。


「最後に、ククルに会わないでいいのか?」


『ええ。ククルちゃんって、ここには一年に一回来られるか来られないか……ぐらいなんでしょ?』


「まあ、そうだな」


『それに、またククルちゃんに会ったら新しい未練が生まれちゃいそう。だからね、ユルくん。ククルちゃんに伝えておいてね。友達になれて楽しかった、ありがとう――って』


「ああ、伝えるよ」


『生まれ変わったらよろしく! と言いたいところだけれど、私はイケメンだらけの異世界に生まれ変わるつもりだから、会えないかもしれないわね』


「笑えない冗談だな」


『冗談じゃなくて本気で言ってるもの。ちなみに、仲良くしているイケメン同士を眺める壁に生まれ変わるのが第一希望!』


 無機物に生まれ変われるわけないだろ、とツッコミを入れかけてユルはやめておいた。


『最後に素晴らしい物語をありがとう、ユルくん。ヒーロー、頑張ったじゃない。離れていても、ククルちゃんと幸せにね』


 そんな言葉を残して、祥子の姿は消えてしまった。


「……ありがとな、祥子」


 その声が、彼女に届いたかはわからない。




 祥子が消えてすぐ、ユルはククルに電話して祥子が消えたこと、語ったことを伝えた。


 ククルは電話の向こうで泣いていたが、しっかりと彼女の消失を受け入れていた。


『淋しいけど、祥子さんが満足したならよかった』


 そうだな、と応じてユルは目を閉じ、消えてしまった明るい自爆霊をまなうらに思い浮かべた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る