第二十五話 切望 5
三月もあと二週で終わる。ククルはまだ目覚めない。
今日も見舞いに来て、椅子に座る。
少し希望が持てるのは、ククルの首飾りにまた海の色が満ちていることだ。
気がつけば、ユルの首飾りの宝石から海の色は消えていた。
(おそらく、霊力は完全に返せた)
ふとククルの左腕にはまった腕輪を見て、それに触れる。
クリスマスのとき、慌てて買ったのを覚えている。
デパートのアクセサリー売り場で見つくろっていると、店員が声をかけてきたのだ。
『どのようなものをお探しですか?』
『何か……お守りに、なりそうなものを。……腕輪がいいんですけど』
首飾りは付けているし、指輪だと重すぎるだろう。だから、腕輪にしようと思った。
ユルの答えを聞いて、店員は『これなど、いかがでしょう。お守りにもなるんですよ。神聖な花と波をモチーフにした文様が刻まれています。波は、永遠の愛も示しています』
波。海はククルの力の根源だ。
南国にある異国の島の海は、ユルも写真で見たことがあった。どこか、琉球の海に似ていた。
そうして、薦められるがままにそれを購入した。
あのときはもう、自分に時間がないと思っていた。
まさか、こうして病室に横たわり、死にかけているのがククルになるとは、想像もできなかった。
ふと気づいた。今日は同室の老婆がいない。検査だろうか。
今のうちに、とユルは立ち上がり、ククルに口づけて生気を注いだ。
痛い。辛い。もう、止めたい。
泣き言なら、いくらでも出てくる。
ククルが倒れる度に、海神が近づいて諦めろと囁く。
また倒れて、激痛にあえいでククルは手をついて起き上がった。
もう、現世に戻れないのかもしれない――と涙を流したとき、ふわりと左腕に何かが巻きついた。
「これは……」
ユルのくれた、腕輪だ。
少し、痛みが引いている。今の間に、とククルは立ち上がって走る。
まだ、水平線が見えていた。
三月があと一週に迫ったとき、ユルはどうするか迷った。
大学は休学するしかないだろう。とりあえず半年。それでもククルが目覚めなければ、一年。
(だが……オレにも使命がある。ずっと琉球にはいられない)
高校生のときはまだ、使命を果たすまでに猶予があった。だから、ユルは琉球にいられた。
ユルが使命を果たさなかったら、どうなるのだろう。
しかし、そもそもククルが死んでしまったら使命は意味がなくなるのではないだろうか。
嫌なことを考えてしまって、ユルは思わずため息をついた。
「ナハト。憂鬱そうね」
近くにエルザが立っていて、ユルは思わず目をむく。
「何よ。ちゃんと昨日、明日琉球に行くからって連絡したでしょ。ねー、ハルキ」
「ははは……。夜がまだ琉球にいるっていうから焦れて、急に僕のお見舞いについてくるって言い出したんじゃないか」
「連絡しただけ、偉いでしょ。で、ククルはまだ目覚めないのね。この子、大丈夫なの?」
「あんまり、大丈夫じゃない。エルザも、こいつに力を貸してやってくれ。お前は元気の塊だから、手を握るだけでも、ククルに力を貸してやれるかも」
ユルの言い分に眉をひそめつつも、エルザはククルの手を取った。
「早く、帰ってきなさいよ。ナハトにこんな顔させられるの、きっとあなただけよ」
エルザの発言にぎょっとして、弓削を見やる。彼は苦笑していた。
「自分ではわからないだろうね」
一体、どんな顔をしているというのか。
気まずくて、ユルはエルザと弓削から目をそらした。
「帰ってきて、ちゃんとワタシに引っぱたかれなさいよ」
エルザの不穏な台詞にユルは思わず眉をひそめたが、エルザはにっこり笑ってウィンクした。
「ワタシ、ククルと約束してたことがあるのよ。――さあて、元気は送り込んだつもりよ。ちょっと琉球観光してくるわ。ハルキ、案内頼むわよ」
「はいはい……。じゃあね、ククルちゃん。僕からも、気を送っておくから。君の――お兄さんの魂もきっと、君を励ましているよ」
弓削はククルの左手をつかんで、ククルに囁いていた。
「さっ、行くわよ。ハルキ。ワタシ、お城を見たいわ」
「わかったわかった。それじゃあね、ユル。何かあったら、いつでも連絡してくれ」
「アウフ・ヴィーダーゼーエン(さようなら)、ナハトにククル。ワタシ、観光してから帰るわ!」
エルザと弓削は、賑やかに出ていった。
ため息をついてククルに向き直ったとき、少しククルが笑っているように見えた。
エルザと弓削の声が聞こえた気がした。
足の痛みが、また少しマシになる。
ククルは、ふらつきながら歩いていく。海底のガラスは相変わらず、ククルの足の裏を引き裂き続ける。
痛みに慣れる、ということがない。
ククルは、前方を見て口を両手で覆った。
遠くに、海岸が見える。
(現世だ……)
ふと、左手を意識する。手が、温かい。
(ずっと、握っててくれたんだね。頑張れって、祈ってくれていたんだね)
ククルは走り出した。痛さに涙が出る。
ようやく、足が砂浜に触れて、光が溢れた。
ククルが目を開けると、うつむいているユルが見えた。
眠っているのだろうか。
「ユル……」
声を出すと、ひどくかすれていた。
ユルが顔を上げて、こちらを見る。
「ククル! 目が覚めたのか!」
ユルはククルを抱き起こし、抱きしめた。
「苦しいよ……」
まだ、うまく喋れない。
背中を叩いても、ユルは返事をしない。
「ごめんね……。待っててくれて、ありがとう」
礼を言うと、ますます固く抱きしめられた。
ようやくククルを解放したあと、ユルは医師を呼びにいった。
それから色々な検査をされて、面会時間が終わってしまった。
「また明日、来るから。何か欲しいもん、あるか?」
ユルに問われて、ククルは「アイス」と答えた。
なぜだかすごく、アイスクリームが食べたくて仕方がなかった。
「わかった。色々話もあるが、明日な」
意外にけろっとした顔で、ユルは病室を出ていってしまう。
暮れゆく太陽を眺めながら、ククルは「帰ってきたんだ」と実感して呟く。
もちろん、もう足の裏はもう痛くなかった。
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