第二十五話 切望 4
ククルの傍に座りながら、少しうたたねをしてしまった。
ユルはふと、いつかの記憶を夢に見た。
かつての自分が、神々に告げる。
「オレが子供を作れない体にしてくれ。神の血が呼ぶ悲劇は、もうたくさんだ」
『いいだろう。そっちの娘はどうする』
空の神は頷いて、ククルに水を向けた。
「わ、私もお願いします。ニライカナイの子供たちは、私たちで最後にしたいから」
『よかろう。お前たちから、子供を為す能力と子供を産む能力を取り去ってやろう。後悔するなよ』
空の神が腕をかざす。
特に体に変化があったとはわからなかったが、ユルは安堵して息をついた。
「夜」
呼びかけられて、目を覚ます。
振り仰ぐと、弓削が立っていた。
「弓削? どうしてここに、いるんだ」
「お見舞いに来たんだよ。所長から、様子を見てきてと言われてね。どうだい、ククルちゃん」
「相変わらず、眠ったままだ。内側で戦っているのかもしれないけどな」
「そうか……」
弓削は、病室の隅に置いてあった椅子を取ってきて、ユルの隣に椅子を置いて座った。
「君も、疲れているんじゃないか。毎日、見舞いに来てるんだろう?」
「別に。見舞いぐらい、そんな負担じゃねえし。……もう、一ヶ月になるんだな。ククルが眠ってから」
「そうだね」
「段々と、ニライカナイの記憶を取り戻してきたんだ。やっぱり、ククルの使命は琉球の神の島で神々を祀ることだった。そのときは、オレもククルも深く考えていなかった。オレたちは昔の人間だ。こんなに外に出やすい世界になっているだなんて、想像もできなかった。ククルの使命は、酷だ。ククルは一生、琉球から長く離れていられない」
ユルが唇を噛みしめると、なだめるように弓削が肩に手を置いた。
「琉球以外には、住めないってことだね。旅行ぐらいはできるんだろう?」
「ああ。でも、長くて二週間ぐらいだろうな。それも一年に一回できるかできないか。そうしないと、均衡が崩れる」
ユルも大和で
「随分、条件が厳しいね」
「仕方がない。神々の干渉を止めさせるんだ。代償が必要だった。ただ、その代償が思ったより大きかった――特にククルにとっては」
「それに、ひるがえって言えば、君たちは一緒に暮らせないということだろう?」
「――ああ」
ユルは大和で魔物を狩る。ククルは琉球で祈る。
使命を果たす以上、ふたりは一緒にいられない運命だった。
「どうするんだい、夜。ククルちゃんが目覚めたら」
「……それは今、考えている」
正直に答えると、弓削は大きなため息をついていた。
弓削は用事があるからといって、日帰りでトウキョウに帰ってしまった。
居候させてもらっている新垣家に戻って、夕食のあと、あてがわれている部屋でぼんやりする。
ククルが、一向に目覚めない。
壁にかかった、カレンダーを見る。
無論、もうククルの試験の日は過ぎている。あんなに勉強していたのに、無駄になってしまったのだ。
そもそも、使命を考えればククルは大和の大学に通うことはできなかったのだが。
あのままククルが気づかず、大和での生活を続けていたら、どうなったのだろう。
ユルは、影に霊力を全て取られて死んでしまっていたかもしれない。
――ごめんね。
ククルは血まみれになりながらも、ユルに詫びていた。
自分のせいだと、思っていたのだろう。
いきなり電話が鳴って、ユルは慌てて携帯を取った。
「はい」
『ああ、ユルくん。元気かな』
高良だった。
『ククルちゃんの様子、どうかなと思ってね。あれから一ヶ月だろう?』
「相変わらず、目覚めません」
『そうかい……。本当に、気の毒なことだ』
高良には、魔物に襲われて怪我をしたと説明してあった。
さすがに、自分の影が襲ったとは言えなかった。
『居心地はどうだい? 新垣には、よく言ってあるけどね』
「新垣さんには、よくしてもらっています」
『それならよかった。もしククルちゃんに何か、少しでも動きがあったら、すぐに連絡してくれ。家内もミエさんも心配しているからね』
もちろんです、と言ってユルは通話を終える。
(少しでも動きがあったら――か)
悪くなっても良くなっても知らせてほしい、と伝えたかったのだろう。
(これ以上、悪くなることはあるのか?)
病室のユタは「帰ってこようとしている」と言っていた。だが、ククルが諦めてしまったら、肉体にも死がやってくるだろう。
ふと、足に走った痛みを思い出す。
ククルを抱えて、どこまでも続く浅瀬を歩いたことを、少しだけ思い出す。
「ああ……そうか。試練があったんだ」
とんでもない激痛だったはずだ。今、ククルはあの試練を受けているのかもしれない。
ククルが戻ってきても、受けるはずだった試験は終わっている。琉球に縛りつけられる。
それでも、戻ってきてくれと願わずにはいられない。
身勝手でわがままな願いだと、わかっていても。
また、派手に転んでしまった。
今度は胸と腹にガラスが突き刺さり、呻いてククルは起き上がる。
まだ、水平線が見えている。
あんなに歩いたのに、まだ現世に戻れない。
再び、海神が近くに降り立つ。
『もう、いいかげんになさい。次の世では、ティンも生まれ変われるだろう。近くに生まれ変わるように配慮してやる。どうだ、最大の譲歩だろう?』
「……魅力的なお誘いだけど、だめなの」
海神は、ククルが諦めるのを待っている。
ククルが諦めれば、契約は破棄されて神々は現世への干渉をまた始める。
神の血を引く子供がまた生まれて、ユルやティンのように過酷な運命に巻き込まれるだろう。
(そんなこと、させない)
そのために、ニライカナイに渡ったのだから。
ククルは何度も、転びながら、激痛に泣きながら、足を止めなかった。
時折、温かい力が流れ込んで痛みが薄らぐことがある。
きっとユルが待ってくれているのだと思えば、なんとか頑張ることができた。
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