第二十五話 切望 3



 ククルの携帯は、ユルが管理することにしていた。ククルの目覚めが、いつになるかわからないせいだ。重要なメールや電話には、ユルから返事しよう、と思っての措置だった。


 ククルの荷物に、ユルへの手紙があり、それに『勝手な行動してごめんね。もしものことがあったときのために、手紙を残しておきます。私が考えての行動だから、もし私に何かあってもユルは自分を責めないでね。あと、大丈夫だと思うんだけど……もし私が死んじゃったら、私の友達――あんまりいないけど――に、知らせてください。携帯のパスワードは****です』と書いてあったのだ。


 河東やエルザや弓削はユルの友人でもあるので、ククルの携帯からしか連絡できないのは比嘉薫ぐらいだった。


 もちろん、過去のメールやライソ、着信履歴などは見ないように気を付けた。


 あくまで向こうから連絡が来たらユルが応対する、という形だ。


 三月に入ったある日、比嘉薫から『ククルちゃん! 私、春休みに八重山に帰るよ。ククルちゃんも八重山に帰ってくる? それとも、まだ大和? ククルちゃんが八重山にいるなら、都合がよければ会おうよ』というメールが届いたので、ユルは返信を打った。


(そうか、比嘉はナハにいるんだったな)


 ククルが事故による怪我で入院し、意識不明だという旨を伝える。


 すると、薫はお見舞いに行きたいが問題ないかと、メールで聞いてきた。


 都合のいい時にいつでも来てほしい、と返信すると、『それじゃあ、明後日に行きます』というメールが来た。




 そして今、昼下がりにやって来た薫は、眠るククルを見下ろし、涙をこらえていた。


「ククルちゃん……」


 耐え切れなくなったのか、薫は鞄からハンドタオルを取り出し、目元に当てていた。


「雨見くん、ククルちゃんってどうして目覚めないの?」


「……わからない。体はもう、大丈夫らしいんだが」


「そうなの――。精神的なものなのかな」


「多分な。よかったら、呼びかけてやってくれ」


 薫の声を聞けば、ククルも嬉しがるだろう。


 頼むと、薫は「うん」と頷いた。


「ククルちゃん、また一緒に遊びに行こうね。漫画、また新しいの描いたんだよ。今度、読んでね。ククルちゃんの話、聞かせてね。トウキョウの話、聞きたいよ」


 とりとめのない、まるで明日の約束をするような呼びかけ。だけど、それが涙まじりの声で言われるものだから、こちらまでもらい泣きしそうになってしまう。


 薫は一通り言い終えたのか、口をつぐんでククルの肩をぽんぽんと叩いていた。


「ちょっと、ジュースでも買って来ようかな」


「喫茶スペースがある。案内する」


 ユルは薫を、病院内のカフェに案内した。


 なんとなしに二人用テーブルに座り、向き合う。薫は気恥ずかしそうに、ユルから目を逸らしてしまった。


「ちょ、私、男前と向き合うことに慣れてないので――ごめんっ」


「……」


 どういう反応を示せばいいかわからなくて、ユルはため息をついてホットコーヒーのカップを口に付けた。


「もうちょっと早く知ってたらなあ……。来週、八重山に帰る予定にしちゃったから。それまでに、頻繁にお見舞いに来てもいい?」


「ああ。あいつも喜ぶだろ」


 しばし、ふたりの間に沈黙が落ちた。


「……ねえ、雨見くん」


「何だ」


「ふたりって、付き合ってはいないんだよね?」


「それは、恋人関係かどうか、って質問か」


「そう」


「違うな」


 素っ気なく答えて、ユルはコーヒーを口に含む。値段相応の薄いコーヒーだと思いつつ、もう一口飲む。


「でも、ふたりとも好き合ってるよ……ね?」


「……」


 思わず、睨んでしまったらしい。薫は「ごめんなさい!」と身を縮めていた。


「……あのね、私はふたりが両想いだと思ったから、ククルちゃんに雨見くんにどう想ってるか聞いてみなよ、って言ったことあるの。もしかして、何か聞かれたりした?」


「ああ……。そのときは、なんとも思っていない――と返した」


「ひ、ひどい!」


 薫は立ち上がりかけたが、すぐに萎縮していた。


「ごめん。ふたりの問題だよね。でも……違うよね? 雨見くん。どうして、そんな答えを?」


「あのときは、余裕がなかったんだよ。詳しいことは言えないが、オレはもうすぐ死ぬかもしれないと思っていた。そんな状態のときに、ククルとどうこうなるわけにはいかないだろ。オレは、ククルの未練になりたくなかった」


「そうなんだ……。その問題は、解消されたの?」


「一応な」


「そしたら、今度はちゃんと伝えてあげてね。あ、ごめん。これは私の希望に過ぎないんだけど。だから、あんまり見ないでください。男前は苦手なんです。はい」


 妙な頼まれごとをしたので、ユルは敢えて薫から視線を外した。




 薫を見送り、ユルは病室に戻った。もう、西日が差し込んでいる。


 夕焼けの光がククルを照らし、茶色い髪が金色に見えた。


 綺麗な色だ、と素直に思う。屈みこんで、その髪を撫でる。


 相変わらず、ククルは静かに眠っている。嫌になるほど、頬が冷たい。


 不安になって、その胸に耳を押し当てる。弱々しい鼓動が、微かに伝わる。


 こんなに弱ったのは、ユルのせいだ。何もかも。


 どうしてこうなったのか。ユルが何度突き放しても、ククルはいつもユルに追いつこうとする。


 馬鹿なククル、と一人ごちる。


 ……もし、彼女が戻って来なかったら、自分はどうなるのだろう。果てのない絶望に呑まれ、今度こそ魔物マジムンになってしまうような気がした。


 絶望を思い描いて心が暗くなったが、彼女の鼓動を聞いていると、不思議と落ち着いて来た。


 大丈夫だよ、と声が聞こえるような……。あの、能天気な声が。


 かえるからね、と聞こえたような気がしてユルは身を起こし、ククルの顔を覗き込んだ。


 だけどククルは相変わらず、眠ったままだった。








 痛い。とうとう倒れてしまって、両手両膝をついた。


 傷が走って、血が噴き出す。


 近くに、海神が浮かんでいた。


『愚かな娘よ。いいかげん、諦めるんだ。見ていられない。特別に、お前の転生先の希望を聞いてやる。だから、もう止めろ』


「……諦めない。私が死んだら、ユルをひとりにしてしまう」


『仕方がないことだろう』


「仕方がなく、ない! 私だけは、ユルを置いていったりしない。そう、誓ったの」


 ゆらりと立ち上がると、膝から血が流れて水面に落ちる。


 ふらふらしながら、歩き続ける。


 痛い。楽になりたい。


 でも、止まりたくない。


 涙と血を流しながら、ククルは進み続けた。


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