第二十五話 切望
ククルは手術で一命は取り留めたものの、意識が戻らない状態が続いていた。
病室に入る。この病室は六人部屋だったが、今は二人しかいない。ククルと、前に冷蔵庫のことを教えてくれた老婆だ。
他の患者は、退院していったらしい。
老婆は軽いいびきを立てて眠っており、ククルは静かに目を閉じている。
ユルはククルの枕元に近付き、椅子に腰かけた。
ただでさえ色の白い彼女の顔は、怪我のせいか一層青白くなっていた。その死者に近い色を見ていると、このまま亡くなってしまいそうだと思ってしまって、不安になる。思わず、手を握った。
ユルの
「ニライカナイに、いるのか……?」
問うても、答えはない。わかっているのに。
気がついたら、海に足を浸して立っていた。
眼前にいるのは、海神だ。
「神様……。あれ? ここってニライカナイ?」
『その通りだ。お前は無茶をしすぎた。魂が先にニライカナイに来てしまったようだな。このままここにいれば、お前の肉体も死んでしまうだろう』
海神の言葉に驚いて、ククルは慌てた。
「そんな! 前の状態とは、違うの?」
『以前は、ニライカナイが近づいた日だったというせいもあって、お前の魂が一時的に飛んできただけだ。今は、違う。お前の状態は、限りなく死者に近い』
「生き返る方法は?」
『簡単だ。帰ればいい。いつかのように』
「じゃ、じゃあ帰る!」
ククルは後ろを向いて、走り出したが――裸足の足の裏に激痛が走って叫んだ。
「これは……何?」
目をこらして、下を見る。海底には、きらきらしたガラスのようなものが無数に並べられていた。
『元来、逆戻りするのは世の理に反することだ。だから、このように試練が課される』
「じゃあ……前の私たちは、これを踏んで現世に帰ったの?」
『……そうだな。ククルよ。お前は、死にかけている。激痛に耐えて帰るより、もう命を手放したほうが楽になるのではないか』
海神は親切で言ってくれているらしい。
「でも、それだと――あっ! 私の、使命――思い出した」
ニライカナイに来たからだろうか。記憶が、急にふわりと浮かんできたのだ。
――空の神の息子は、大和で
それがユルに課された使命。そして……
――海神の末裔の娘は琉球の神の島にて神々を祀り、祈りを捧げること。このふたつの使命を果たせば、我々は人の世界に干渉しない。これらの使命を果たさなければ均衡が崩れるだろう。
(私は、琉球から離れちゃいけなかったんだ。だから、均衡が崩れて……歪んでユルの影が生まれてしまった)
ククルは泣きそうになるのをぐっとこらえて、後ろを向く。
「私が死んだら、使命が果たされない。神様は干渉を再開するよね?」
『霊力の強い
暗に、新しい神の子が必要だと海神は匂わせている。
(だめ)
ククルは拳を握りしめた。
(神の子は、私たちで終わりにしなくちゃいけないんだから。……それに)
ククルは海神に、微笑みかけた。
「ありがとう、神様。あなたは、本心から親切で言ってくれてるんだよね。でも、私は――帰るよ」
(だって、私が死んだらユルがひとりになってしまう)
なんとも思っていないと言われた。もしかしたらユルは、エルザと遠くに行ってしまうかもしれない。それでもいい。ククルが生きて帰らなければ、ユルはきっと自分を責めてしまう。
ククルを斬ったのは、ユルの影――もうひとりのユルだったから。
(それにね。ユル、嘘をついてたんだね)
なんとも思っていないというのは、嘘だ。
ユルの影は、『オレが一番憎いのは、オレだ。だから、一番大切にしているものを殺してやりたかったんだ』と言った。彼が言っていたのは、嘘ではないだろう。
ククルと同じ気持ちではなくても。ユルは、ククルを大切に想ってくれていたのだ。
(だからね、きっと)
一歩、踏み出す。
どこまで、歩けばいいのだろう。水平線が見えていて、果てしない。
(私は、帰るよ)
泣き叫びそうな痛みに耐えながら、ククルはもう一歩、進んだ。
今日も、朝からユルはククルの見舞いに訪れていた。
相変わらず、ククルは死んだように眠っている。
どれぐらい彼女の寝顔を見つめていたことだろう。ふと思いついて、ユルは立ち上がって病室を出た。
外に出て、携帯で電話をかける。伽耶には、すぐにつながった。
『あら、雨見くん。電話してくる頃だと思ったわ。事情は弓削くんから聞いているわよ。ククルさんはどう?』
さすが千里眼、と歯噛みしてユルは口を開く。
「それが……ククルが目覚めないんだ。医者も、原因がわからないって。どうすればいいか、知らないか」
『さすがに千里眼といえど、彼女が目覚める方法はわからないわ。でも、話によるとあなたの影に斬られた後に、あなたに自分の霊力を渡したのよね?』
「ああ……」
ユルは胸元から、首飾りを取り出した。今、宝石は対極図のような形で夜空のような色が半分、海の色が半分、となっている。
ククルの癒しの力を、今はユルが使えるようになっている。
『生命力の弱った状態でそんなことをしたら、相当な負担でしょうね……。あなたから見て、彼女の状態はどうなの』
「
『琉球には、マブイを落とすという概念があるわよね。それとは違う?』
「……違うな」
魂を落とす、といっても一部の魂を落とすことだ。ククルのように、全くない状態になるには時間がかかるはず。
「ニライカナイに、行ってしまっている気がする」
『なるほど。琉球の、神の国であり死者の国……ね。あなたが感じるなら、そうなんでしょう。今、ククルさんの力を得てあなたは常時より見抜く力が付いているはず』
それでわかったのか、とユルは目を伏せる。
『ニライカナイに行ってるとは、厄介ね。ともかく、彼女は帰ってこようとしても力が足りないのかもしれないわ。あなたが生気を注いでやれば、助けになるかもしれない』
「生気を注ぐ? どうやってやるんだ?」
『あら、野暮なこと聞くのね。なんとなくわかるでしょ?』
野暮なこと――と言うなら……口移しか、と納得する。
『あなたから生気と霊力を注いであげなさい。彼女に、力を貸して、更に霊力を返すために』
「……わかった。ありがとう、所長」
『いいえ。帰って来たらこき使うから、よろしくね?』
そこで通話を終え、ユルはため息をついた。
病室に戻り、ユルは早速実践することにした。
きょろきょろと、あたりを見渡す。老婆は相変わらず、よく眠っている。
覚悟を決めて、ユルはククルに顔を近づけた。柄にもなく、鼓動が早くなる。
ベッドに手を付き、唇を重ね合わせる。
どうやればいいかは、なんとなくわかった。意識して、彼女に内側から湧いて来るものを注ぎ込む。
どくん、心臓の音が聞こえる。これは自分の心臓の音なのか、それともククルのものなのか。
しばらく目を閉じて、力を注ぎ込んでいた。力が抜け出るために疲労感を覚えたが、
突如、ばさっ、という物音が聞こえてユルは思わずククルから離れた。顔を上げると、戸のところで看護師があんぐり口を開けていた。足元に、カルテが落ちている。物音の正体は、あの落ちたカルテだろう。
さすがに、これは気恥ずかしい。ユルは思わず目を逸らした。
「……ご、ごめんね。えーっと、ちょっと用があって」
看護師は何やら言っていたが、それを聞き流してユルは一旦病室を出た。
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