第二十四話 対決 2



 ユルが病院に入ると、入り口付近で待機していたらしい弓削がすぐに見つけてくれた。


「夜! 血まみれじゃないか! 大丈夫か?」


「大丈夫だ。傷は治っている」


「え? 君に、そんな力あったっけ?」


「ククルが、くれたんだよ……。あの、馬鹿……」


 自分が傷ついて弱っているのに、ユルに渡したのだ。生命力が落ちたはずだ。


 だが、ククルが力をくれなかったら、あいつは倒せなかった。


 ユルは死んでいただろう。


(でも――お前が死んだら、意味がないだろ。ククル……)


「夜、とにかく手術室のところに行こう。僕らにできるのは、祈ることだけだけど……」


「ああ」


 ふたりは、手術室の前に向かった。


 手術中という赤いランプを見ながら、ユルは廊下に設えられた黒い椅子に座る。


 その隣に、弓削が座る。


「夜。これ、さっき買ったやつ。飲んで。傷が治っても失血してるんだから、水分を取っておかないと」


 弓削にペットボトルのお茶を渡され、ユルは「悪い」と礼を述べて、半分ほど一気飲みした。


「こんなときだけど、事情を聞いてもいいかい?」


 不思議そうな弓削に問われて、ユルはあれの正体から語った。


「なるほど。あれは、夜の影か……。琉球にはマブイを落とすという現象があるだろう? あれとはまた違うのかい?」


「違うと思う。オレは以前、魂を落としたことがある。あのときとは違っていた。それに、その状態になったらククルが真っ先に気づくはずだ。おそらく、オレの憎しみや恨みが、どうしてか凝って……魔物に近い存在になってしまったんだと思う。そして、あれはオレの霊力を吸い取り始めた。オレの霊力が削れたのは、そのせいだ」


「妙な現象もあるものだね。君が神の血統だからこそ、起こったことなのかな」


 弓削は難しい表情をして、腕を組んでいた。


「ククルは、おそらく自分が使命を果たしていないせいだと言っていた。完全に思い出していなかったようだが、何か感づいていたようだな」


「使命って、何なんだい?」


 問われ、ユルはニライカナイで神々と取引を交わしたことを語った。


「君が大和で魔物を狩り、琉球を守ると――。それに対応する使命が、あったんだね。そして、ククルちゃんは思い出せなくて使命を果たしていなかった」


「ああ……。ククルはオレを癒やし、浄化するのが使命だとオレたちは思っていた。だが、違っていたんだな。影が初めて現れたのが、去年の初夏。大きく変わったことは、ククルがトウキョウに来たことだ」


「つまり――」


「ククルは、琉球から離れてはいけなかったんだ。おそらく、ククルの使命は琉球で神々を祀ることだ。オレは大和で魔物を狩り、琉球に影響を及ぼさないように動く。オレも、見落としていた。ククルは神女ノロだ……。ノロの一番大切な役目は、祭祀に決まってる」


 ユルは大きなため息をついて、頬杖をついた。


「ククルちゃんが大和に来たせいで均衡が崩れて歪みが生まれ、君の憎しみが魔物化した――か。なんとなく、納得したよ。酷な言い方だけど……ククルちゃんは、大和に来るべきではなかったんだね」


「推測だけどな。でも、オレもあいつが来ることに賛成してしまった。忘れていたとはいえ、失態だった」


 後悔しても、しきれない。


 だが、あのときのククルに「来るな」なんて言えなかった。


 そのまま、ふたりは黙り込んで座っていた。


 どのぐらい、経っただろう。ふと、弓削が呟いた。


「ランプが消えた。夜、手術が終わったみたいだよ」


 弓削が立ち上がり、ユルも彼にならう。


 手術室から、手術服に身を包んだ医師が出てくる。


「ご家族のかたですか」


 問われ、ユルは「そうです」と頷いた。


「手術は成功しました。命は助かりました」


 そう聞いて、心にどっと安堵が溢れる。


「よかった……!」


 弓削は目を潤ませていた。


「ありがとうございます」


 ユルが頭を下げると、医師は「いやいや」と照れくさそうにしていた。


「ところで、あなたも血まみれですが……大丈夫ですか?」


「ああ……これは抱き起こしたときについた血なので」


 嘘をつくと、医師は疑った様子もなく「それならよかった」と納得していた。


 


 ククルは病室に運び込まれた。


 ユルと弓削は彼女の傍にずっとついていたが、ククルは目を覚まさなかった。


「そろそろ面会時間が終わりますよ」


 と看護師に注意され、ユルたちは病院から追い出されてしまった。


 外はもう、とっぷりと暗い。


「弓削。お前は、トウキョウに帰っても大丈夫だ。所長への報告も頼んだ。ククルはしばらく入院することになるだろうけど、オレがずっとついておくから。もう、大学も春休みだしな」


「そうか。じゃあ、まあ今日は一泊して帰るかな。所長に頼んで、ホテルを手配してもらうよ。夜は、どうするんだい?」


「オレは――」


 そういえば、高良家の親戚がナハにいると言っていた。


 ククルは大きな荷物を持っていなかった。ロッカーに預けたのかもしれないが、もしかしたら高良家の親戚の家に先に行って荷物を預けたのではあるまいか。


「ちょっと、知り合いに電話してみる」


 ククルが全治何週間ぐらいになるか、わからない。


 ナハで長期滞在になるなら、高良の親戚の家に身を寄せさせてもらったほうがいいだろう。


 ユルは、高良家に電話した。


『ああ、ユルくん? ククルちゃんは、ナハに無事着いたのかしら。あなたも、ナハに来たの?』


 高良夫人が出た。やはり、ククルは高良家に電話していたらしい。


「……そうなんです。ククルが行った家の場所、教えてくれますか。ククルは事故に遭って、入院する羽目になったんです」


『なんですって? ククルちゃん、大丈夫なの?』


「命に別状はありません。ですが、おそらく長期入院になるかと。大学もちょうど春休みになったので、オレもナハに滞在にしようかと」


『ええ、ええ。それは、そうよね。親戚の家は、新垣って言うの。住所をメールで送るわ。こちらから、新垣さんに、簡単に事情を伝えて頼んでおくわね』


「ありがとうございます。お願いします」


 高良夫人に礼を言って、ユルは電話を切った。


「どう? 泊めてもらえそう?」


 弓削が、顔を覗き込んでくる。


「ああ。今日から、知り合いの親戚の家に泊めてもらおうと思う」


 着替えなどはろくに持ってきていないが、買えばいい。


「そうかい。なら、僕の分だけ頼んでおくよ」


 弓削は伽耶に電話をかけていた。


 簡単にことのあらましも語り終えて、弓削が電話を切ったところで「さて」と弓削はユルに向き直る。


「ここで、一旦さよならかな?」


「ああ。世話になったな」


 ユルひとりでは、とても対応できなかっただろう。弓削に同行を命じてくれた伽耶にも、感謝しなくてはならない。


「どういたしまして。ククルちゃんの意識が戻ったら、連絡してくれ。じゃあ」


「またな」


 弓削に背を向け、ユルは教えてもらった住所の家に向かうべく、歩を進めた。




 既に事情の説明はされていたらしいが、新垣夫人はユルの格好を見てたいそう驚いていた。


(途中で着替えてくりゃ、よかったな)


 などと思いつつ、ユルは一室に案内されてすぐ、食事も取らずに泥のように眠り込んでしまった。




 目が覚めたのは、昼前だった。


 朝の便で、弓削は大和に帰ったらしい。メールが来ていた。


 着替えて顔を出すと、新垣夫人が昼食を作ってくれた。


 昨日の昼から、何も食べていない。


 ユルはがっつきそうになるのをこらえながら、食事を平らげた。


 昼過ぎに、ククルの預けていた荷物を持って、ユルは病院に向かった。


 少し遠いが、病院までは徒歩で行ける距離だった。




 大部屋だったので、病室に入ると他の入院者がじろじろと見てきた。


 ククルは眠っていた。


 道中でゼリーを買ってきたのだが、どうしようかと思案していると、入院者である老婆が「病室の隅にある、共同の冷蔵庫に入れておきなよ」と言ってくれたので、ユルはその通りにした。


「あの……こいつ、起きてました?」


 ユルが老婆に問いかけると、彼女は


「いんや。一回も、起きてないよ」


 と答えた。


 血の気が引いて、ユルはククルを見つめる。


 ククルの病院服から、首飾りが覗いていた。


 宝石にあの海の輝きはなく、真っ白になっていた。


 ククルの顔は、生者とは思えぬほど青白い。


「ククル」


 椅子に座って、手を握って呼びかけてみる。


 ククルは頑なに目をつむったまま、目覚めなかった。


 夜になって面会時間が終わりに近づいても、ククルのまつげが震えることすらなかった。




 怪我をした日から、三日。


 ユルは毎日、病院に通った。


 ククルは一度も、目を覚まさなかった。


 担当医師に質問すると、医師は「脳に異常もない。目を覚まさない理由がわからない」とユルに説明した。


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