第二十二話 民話 3



 おじいさんに丁寧にお礼を言ってから、仲田家をあとにして白い道を歩く。


(あの話が嘘か誠か、わからない。でも、もし本当にあったのだとしたら……神様に聞いてみたら答えてくれるかもしれない)


 でも、とククルは不思議に思う。


 そんな血が濃い子供が生まれて、死んだとして。


 それなら、ティンとククルを結婚させて、神に等しい存在を現そうと考えるものだろうか。


 ククルは考え込んだが、さっぱりわからなくて答えは出なかった。


 


 昼食まで時間があったので、ククルは御獄うたきの海神の間で一心不乱に祈った。


 命薬ヌチグスイを握りこんで、手を合わせて祝詞を唱える。


(お願い、神様。私と話をして――)




 気がつけば、ククルは大海原に立っていた。


 海は驚くほど浅く、ククルの足首が浸かるぐらいの水量しかない。


 ここはどこだろう、と呟きかけたとき、正面から青年が歩いてきてククルから少し離れたところで止まった。


 長い茶髪は、ククルやティンの髪の色とよく似ていた。


 青年の顔は、どうしてかよく見えない。逆光になっているせいだろうか。


 それでも、どこかティンに似ている気がした。


「……神様?」


『そうだ』


「来て、くれたんですか」


『違う。お前が、こっちに来たんだ。今日がニライカナイが現世に近づく日で、よかったな』


 海神は唇の片端をつり上げた。


「あの、神様。聞きたいことがたくさんあるんです。ユルが弱っている理由が、わからなくて。私、何かを忘れてるんでしょうか」


 ククルの質問に、海神はため息をついていた。


『全ての質問には答えられない。お前たちは神々に挑んだのだから、忘れてしまったからといって助けを求めることは許されない』


 悔しいが、海神の言うことももっともだった。


『だが、そうだな……。空の神の息子が弱っている理由は、お前にならわかるはずだ』


「私になら、わかる?」


 曖昧な言い回しだった。


「――あと、もう一つ質問です。こういう民話があるんですけど……」


 ククルは簡単に民話の筋を語り、「ここに出てくる神様は、あなたですか?」と尋ねる。


 海神は、呵々大笑した。


『違う。私ではない。私より力のない神だった。名誉のために、どの神かは言わないでおこう』


「そうなんですか……。その神様の子供がどうなったか、知りませんか?」


『それなら知っている。死んだ。だから、その後は言い伝えられていないんだ。当たり前の話だろう。人間同士でも、親子で交わることは禁忌だし、弊害も出る。ましてや、神の血など劇薬だ』


「でも――あなたは、それに近いことをしようとしたでしょう」


『先祖返りと半神は違う。それでも、劇薬だから母親はただでは済まなかっただろう。それでもいいと受け入れたのが、お前の祖母だ』


「ばば様が……」


『人間は強欲だ。本当にお前を守りたかったのなら、神の血を独占せずにティンに別の女性をあてがい、新しい神の血を伝える家としてその家を奉ればよかった。だが、実質的な八重山の支配者だったお前の家は、特権を手放せなかった』


「それは、そうですけど――あなたも、望んだことでしょう?」


『先祖返りと半神の間に生まれた子は、現世を神の世界に近づけてくれる存在だと信じていたのだ。そう、睨むな。私の計画は失敗したのだから』


 そのとき、急に神の声が遠ざかった。


 神が遠のいているのではなく、ククルの体が勝手に後ろに飛んでいるのだった。


「待って、神様! あとひとつだけ! ユルは、霊力の強い聞得大君きこえのおおきみと空の神様の間に生まれた子だった! ユルも、あの民話の子みたいに早くに死んじゃうの!?」


『それは、誰にもわからない。ああいった例は初めてだ。だが、あの女は子供を産んで死ななかった』


 その声を聞きながら、ククルは意識を失った。


 


 ハッとして目を覚ますと、ユルが顔を覗き込んでいた。


「大丈夫か?」


「ユル……ここは?」


 ユルはククルの背中を抱き起こしてくれていた。


「御獄の中だ。帰ってこないから、仲田さんの家に迎えにいったんだが、もう帰ったって言われて――。入れ違いになってないかどうか確かめるために、念のために家を見てから御獄に立ち寄ったんだよ。そしたら、お前が倒れてて……驚かすなよ」


 一気に説明されて、ククルは「ごめんね」と謝った。


 体調の悪いユルを駆け回らせてしまったらしい。


「別に、いいけど。大丈夫なのか? オレが見つけたとき、お前の顔、真っ白だったぞ。まるで……」


「死人みたいだった?」


 推測して付け加えると、ユルは虚を突かれたようだった。


「……ああ。何があったんだ?」


「少しだけ、ニライカナイに行っていたの」


「ニライカナイに? でも――」


「うん。多分、マブイだけの状態で。神様に聞きたいことがあったから、必死にお祈りしたの。そしたら、たまたま今日がニライカナイと近い日だったみたいで、飛べたの」


 ククルは身を起こして、立ち上がった。ユルも、遅れて立ち上がる。


「聞きたいことって、何だったんだ?」


「うん……。あのね、ユル。ごめん。ナハのホテルで、ユルの荷物を運ぶときに床に落としちゃったの。そのときに、民話の写しを見つけて読んじゃった。私、ユルが自分とあの民話の神の子を重ねてるんじゃないかって思ったんだけど……違う?」


「違わない。お前の推測通りだ」


 ユルはため息交じりに肯定した。


「やっぱりね。だから、私は民話に詳しいひとに話を聞こうと思って、仲田さんの家に行ったの。そこで、あの民話が八重山にだけ伝わるものだと知った。あの民話に出てくる神様がどの神様か、おじいさんに聞いてみたの。そしたら、おじいさんの推理では、八重山で特に信仰のあつかった海神じゃないかって――」


「海神って、お前の祖先で……ティンの父親か」


「うん。それで、聞いてみたんだよ。でも、違うって言ってた。どの神様かは、教えてくれなかったけどね。でもね、ユル。最後に神様は教えてくれたの。あの民話の女性のように、ユルのお母さんはユルを産んで死ななかった――って」


 それを聞いて、ユルはハッとしたような表情になっていた。


「本来は、私とティン兄様が結婚するという筋書きだった。でも、それをしたら私が死ぬのは確実だった。私は先祖返りだから。逆に言うと、ユルのお母さん――聞得大君が死ななかったのは、先祖返りじゃなかったからなの」


「そうか――。霊力は強いほうだと思っていたけど、お前みたいな先祖返りじゃなかったんだな」


「うん。血族は血族だから、全く影響がないわけでもないと思う。でも、今回ユルが弱っているのは別の理由のはず。海神は“空の神の息子が弱っている理由は、お前にならわかるはずだ”と言っていたから。多分、私にならわかる何かがあるんだよ」


 そこまで言ったところで、ククルはユルを仰いだ。


「あのね、ひとりで抱え込まないでね。私、頼りにならないかもしれないけど……。ユル、民話をどこかで見て自分と重ね合わせて、もうどうにもならないって思っちゃったんでしょ」


「……そうだ。オレは生まれつき短命なのかもしれないと思った」


「言い切れないけど、違うはずだよ。神の血のせいなら、きっと大人になるまでに影響が出るだろうから。だから、諦めないでよ。一緒に、探そうよ」


「ああ……」


 ユルは不安そうな顔になり、うつむいた。


 いきなり片腕で抱き寄せられて、ククルは驚き、どきどきする。


「悪い。ありがとな」


「うん……」


「実は、所長から言われたんだ。オレに死の影が見えるって。だから、オレは半ば諦めたんだ」


「そっか……。今のユルが危険な状態にあることは、たしかだと思う。でも、きっと何か対策を打てるよ。私も、頑張る」


「ああ」


 ふたりはしばらく、そのまま抱き合っていた。


 足音がして、ふたりはパッと離れる。


 入ってきたのは、ミエだった。


「おやおや、ククル様は見つかったのですね」


「ああ。御獄にいた」


 ユルはそれだけ言って、ククルの手を引いてミエの隣を通り抜けて御獄から出た。


「ミエさん、心配かけてごめんなさい」


「いえいえ」


 ミエに謝ると、彼女は優しい笑みを浮かべていた。








 潮騒の音で、目が覚めた。


 あくびをして、枕元に置いた携帯の画面に触れると午前二時という数字が見えた。


 ユルは身を起こして、伸びをした。


 相変わらず体はだるいが、トウキョウにいたときよりはマシな気がしている。


 大和にいたから、というよりは八重山にいるからだろう。琉球でも、ナハにいるときはトウキョウにいるときよりも気分が悪くなった。


 本島。ナハの一部になってしまった、かつての王国の首都シュリ。


 あそこに行ったとき、あれほど弱ってしまったのは、なぜなのだろう。


 ウイもどきがいたからなのか。


 かつて、あそこで起こった悲劇を知っているからなのか。


 ククルの話を聞くに、短命だから弱っている、というわけではなさそうだ。


 なら、あれほどククルをはねつける必要はなかったのではないか――と後悔がせり上がる。


(でも、オレが治る保証なんてない。このまま死ぬ可能性がなくなったわけじゃない)


 だから、まだこのままの関係を続けるべきだろう。


 昔から、自分の命に執着なんてなかった。


 なのに、思ってしまう。ククルをひとりで置いていくのは、嫌だと。


 ここに連れてきたのは、自分なのだからと。


 今でも、鮮やかに思い出せる。海に入ったユルと、そのあとを追ってきたククル。


 あの手を取って、海に――ニライカナイに進んだとき、運命が大きく変わった。


(なあ、ククル)


 心の中で、呼びかけてみる。


(もし、オレがいなくなったらごめんな)


 拳を握って、ユルは目を閉じ、また横たわった。


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