第二十二話 民話 2
ククルがホテルの部屋に帰っても、ユルはまだ眠ったままだった。
ため息をついて、ククルは椅子に置かれていた二人分の荷物を荷物置き場に移動させる。
ユルの手鞄もそこに置いておこうと思って、枕元に置かれた鞄に手を伸ばし、持ち上げる。
つい逆さまにしてしまい、更に鞄が閉まっていなかったので、中身が床にぶちまけられる。
「わーっ! ごめんね!」
眠っているユルに謝って、ククルは中身を拾って入れていく。
あとでちゃんと謝らないと、と思いながらユルの携帯の表面に傷がないことを確認し、ホッとする。
折りたたまれた紙を見つけて、ククルはそれを拾って迷った結果――鞄を机に置いたあと、その紙を開いてみた。
本の写しのようだ。
琉球の昔の言葉で書かれている。
「琉球の、民話だ……。あれ、これってカジ兄様が言ってたやつ?」
カジが語っていた。神の血を引いていた巫女が父である神と交わり、腹を食い破られて死んだ話を。
(どうして、ユルがこれを写してまで持っているの?)
そこでククルは、ハッとして気づく。
(ユルは、この民話と自分を重ね合わせている?)
ユルの母親であった
ある意味、血族婚だ。
(でも、この民話と重ね合わせてどうするんだろう?)
ククルが戸惑っていると、ユルはうめき声と共に目を覚まし、身を起こした。
慌てて、ククルはその写しをユルの鞄に入れる。
「今、何時だ?」
「もう夕方だよ。ユル、何か飲んだら? コンビニで、おにぎりとかも買ってきたよ」
「ああ……」
ククルは冷蔵庫からペットボトルのお茶を二本取り出して、一本をユルに渡した。
お茶を飲んで、どれだけ喉が渇いていたかを実感する。
(あれだけ走ったから、喉が渇いて当然だよね)
なんて思いながら、ククルは袋からおにぎりやサンドイッチを取り出す。
「お前、どこかに行ってたのか?」
「え? うん。知ってるの?」
「さっき、うっすらと目が覚めたんだ。お前がいないな、と思って――起きようとしたんだが起きられなくて、眠り込んでしまったらしい。どこに行ってたんだ?」
ユルはお茶をゆっくり飲みながら、ククルに尋ねてきた。
「ウイを捜しにいってたの。見つけたよ」
「見つけて、どうしたんだ」
「逃げられちゃった」
「おいおい……オレが一緒に行けば、退治できたかもしれないのに」
「うーん。あのね、ユル。あのウイは、前のウイと何かが違うの。それが何かわからないと、退治はできないんじゃないかな」
ククルの説明に、ユルは露骨に顔をしかめていた。
「わけがわからん」
「私も……うまく言えないんだけどね……。でも、あのウイは変だよ」
「変って何が変なんだよ」
「前のウイと違うんだもの」
「別の存在ってことか? でも、外側はウイで間違いないだろ」
「そうなんだよね。だから、多分――何かが擬態しているんだよ。ウイはね、私の持ってる刀を癒しの刀だと言ったの。どうしてウイが、そんなこと知ってるの?」
「そりゃ、
「魔物だからって、力の本質を見抜くかな? ユルの
ククルは一気に言ってしまってから、命薬を召喚した。
「じゃあ、どういうことだ。その刀の機能を知っているやつが、ウイに化けているってことか?」
「多分ね」
「
ユルの推理も一理あったが、いまいちしっくり来なかった。
「よくわからないけど、あのウイもどきの本質を見抜かないと倒せないと思う。たとえ、天河でも」
「……七面倒くせえな。なら、またあいつを追っても無駄ってことか」
「そうだね。ユル、とりあえず夕ご飯にしようよ」
「ああ、わかった」
ユルは先ほどより顔色がよくなっていた。
ウイが近くにいたせい、というよりも場の空気に当てられたのかもしれない。
あそこはユルが生まれ育ったところで、大切なひとを亡くしたところでもあるのだから。
ナハに一泊して、翌日はすぐに空港に向かって、信覚島へと飛んだ。
神の島へと向かう連絡船に乗った途端、どっと安堵が溢れる。
窓から八重山の海を見ると、心が凪いだ。
(やっぱり、大和はもちろん本島より八重山が一番落ち着くなあ)
それはやはり、ククルが昔の人間だからなのだろうか。
ククルのときは、本島なんて遠すぎて異国のように思えたものだ。
高良家に帰ると、高良夫妻やミエに大歓迎された。
ご馳走が並んだ夕食のあとすぐに、ユルは疲れたから休むと言って二階に行ってしまった。
「大丈夫なのかい、ユルくん。聞いてたとおり、調子悪そうだったね。お酒も飲まなかったし」
高良がビールをあおりながら、首を傾げる。
ユルの調子があまりよくない、ということは帰省する前に伝えておいたのだ。
「神の子だから、
ククルが無難な嘘をつくと、高良は「そんなもんかね」と呟いていた。
「あ、おじさん。聞きたいことがあるんですけど」
「なんだい?」
「あの、こんな民話を知ってますか?」
ククルは写しで見た民話のあらすじを簡単に語った。
「あー、それか。聞いたことあるな」
「この民話で語られた――産まれた神の子って、どうなったんでしょう?」
「さあ……。そういえば、その子がどうなったかは聞いたことがないな」
高良は不思議そうな顔をしていた。
「でも、民話ってそんなもんだからね。本当にあったことかどうかも、怪しい」
「そうなんですけど……なんだか、気になって」
実際に、気にしているのはククルよりユルなのかもしれないが。
「民話について詳しく知りたいのなら、仲田のおじいに聞いてみるといいよ」
「仲田さん? でも、漢文学者だから民話は専門外なんじゃ?」
「専門ってわけじゃないだろうけど、琉球の話についても詳しいよ。本島で教えていたときの知り合いもいるだろうから、とりあえず仲田さんに聞いたら何かわかるんじゃないかな」
「なるほど! ありがとう、おじさん! 明日、訪ねてみます!」
ククルが深々と頭を下げると、高良は赤い顔で「いやいや」と朗らかに笑った。
翌朝、朝食の席にユルは現れなかった。
起きるまで寝かせてあげようということになって、ククルは朝食を取ったあと、ひとりで仲田家を訪れた。
インターホンを押すと、仲田夫人が出た。
「高良家にいる、和田津ククルです。おじいさんに聞きたいことがあるんですけど、会わせてもらえませんか」
とお願いすると、すぐに中に通してくれた。
書斎に案内される。
仲田のおじいさんは、本棚に囲まれた空間にある机に向かい、何か書き物をしていた。
「これはこれは、兄妹神のククル様」
「そ、そんなにかしこまらないでください」
ククルが慌てると仲田のおじいさんは笑って、椅子を勧めてくれた。
背もたれの柔らかい椅子に座ると、仲田のおじいさんは「それで、聞きたいこととは?」と尋ねてきた。
「ええと、こういう民話があるんですけど……」
昨日のように、簡単に民話の筋を語ると、彼はすぐにわかったように頷いた。
「この地方では有名な民話ですな」
「地方……? じゃあ、八重山の民話なんですか?」
「そうですよ。琉球は、大まかに分けると
説明を聞いて、ふんふんとククルは何度も頷く。
「――あ、それで。その民話の子供がどうなったか、知りたいんです」
肝心なことを言い忘れていたので、慌てて付け加えると仲田のおじいさんは眉をひそめた。
「この神の子は他の民話には登場していません。だとすると、考えられる可能性は二つ。すぐに死んだか、この話が嘘である場合ですよ。民話は必ずしも真実を語っているとは限りません。大和の昔話や外国の童話でもそうですが、とても真実とは思えない話が多いでしょう? 教訓を含んだ話が多いですけどね。この話もおそらく、教訓ですよ」
「この話に含まれた教訓って何なのでしょう……?」
「ふむ。少しあけすけな話になって申し上げにくいのですが――近親相姦の戒め。または、神の血を濃くすることへの戒め、でしょうな。神と交わることの危険性についても説いているのかも」
「なるほど……。あと、この民話に出てくる神様って何の神様かわかりませんよね」
ふと浮かんだ疑問を口にすると、仲田のおじいさんは顎に手を当てた。
「そうですね。推測はできますが」
「どの神様ですか?」
「この民話は、八重山に伝わっているもので、他の地方には見られない。琉球には数多の神がいますが、地域によって信仰に差があります。本島は空の神、宮古は風の神、そして八重山は海神への信仰が特にあつい。そのことを踏まえて考えると、おそらく海神でしょう。あなたのご先祖でもある、神様ですよ」
「…………」
驚きすぎて、ククルは何も言えなかった。
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