第十九話 自覚 4




 ユルが紅茶をふたり分淹れてリビングに行くと、エルザと祥子が話しているところだった。


「なんで、天国に行けないの?」


『それが私、過労死しちゃって……。でも、いっぱい未練があったの。漫画の続きとかアニメの続きとか気になって、現世に留まっちゃった』


「……ふうん」


 エルザは、露骨に眉をひそめていた。


『あなたは、日本が好きで留学したんでしょ? 日本のアニメとか漫画とかに興味、ない?』


「ないわ」


 にべもない返事だった。


『じゃ、じゃあラノベ――小説とか』


「読書は、そんなに好きじゃないわ。映画は、たまに見るけど」


『へーっ! 映画は、何が好き? アニメ……は、見ないのか。私は、ええっと……アニメ以外の映画はあんまり、見てなくて」


「映画は、ラブロマンスが好きよ」


『そうなんだーっ!」


 その後、沈黙が満ちる。


 紅茶を載せた盆をローテーブルに置いたところで、祥子が近づいてきた。


『ちょっと、ユルくん。私、あの子としばらく話していてって頼まれたんだけど……全然、共通の話題が見つからないわ。っていうか、気が合わないと思う。エルザさんって絶対、フェイスフックとかやってるひとでしょ!?』


「ああ、やってるって言ってたな。アンスタグラムも」


『やっぱりー! パリピ! 私の一番苦手な人種! もう無理っ! 不肖祥子は退散します!』


 祥子はユルにエルザに聞こえないぐらいの音量でまくしたてて、どこかに行ってしまった。


「あら、消えちゃった。あれが、住み着いてる幽霊なのね。変な幽霊ね。よくわからないわ。アニメや漫画? それの続きが見たくて、天国に行きたくない、なんてことあるのかしら」


「お前には理解できなくても、あいつはそうなんだよ」


「ふーん。お茶菓子、ないの?」


 要求されて、ユルは台所に置いてあったクッキー缶を取りにいった。


 クッキー缶をテーブルの上に置くと、エルザは首をひねった。


「ナハト、甘いもの好きじゃないのに、なんでクッキーを置いてるの?」


「ククルが、よく来るからだよ」


「あー、ククルね」


 鼻を鳴らして、エルザはクッキー缶の蓋を開けて、クッキーを一枚取り、かりかりとかじっていた。


「ねえ、ナハト。今日、ここに泊まっていい?」


 いきなりのお願いに、ユルは脱力しつつ、あぐらをかいた。


「だめに決まってるだろ」


「なんでー? ワタシがいれば、あの鬼に襲われても安心よ。こんなに広いんだから、ワタシが泊まっても何の問題もないと思うんだけど」


「いい加減にしろ。大体、この家には弓削が結界を張ってくれている。安全なんだよ」


「あっそう。安全面以外でも、あなたも得するんじゃない?」


 エルザはいきなり立ち上がって、ユルのすぐ近くに腰を下ろした。


 両腕を首に回され、ユルは眉をひそめた。


「お前なあ。酔ってるだろ」


「少しね? でも、理性はあるわ。理性があってなお、あなたに絡んでいるってわけ」


 顔が近づいてきたので、ユルはエルザの肩を押した。


「むう。なんで、ワタシに振り向いてくれないのよ? ワタシは美人でしょう? 体も自信があるわ。それこそ、あのククルとは比べものにならないぐらいね。ねえ、ナハト。大学を卒業したら、ワタシの国……独逸に来ない? あなた、あまり故郷の話をしないじゃない。あんまり、故郷が好きじゃないんでしょ?」


 故郷――琉球には辛い思い出がありすぎて、好きとは言い切れない。だからといって、嫌いと言うのも違う気がした。


 しかし、故郷から遠く離れた欧州に行くという提案は少し魅力的に思え、一瞬考えてしまった。


(いや、だめだ。オレには大和で魔物を狩る使命がある)


「あらやだ。少し、心が揺らいだ? 失礼よね。ワタシじゃなくて、国で揺らぐなんて。まあ、いいわ。ワタシは、あなたが欲しい。あなたがワタシのものになるなら、理由は何だっていいのよ」


 エルザは膝立ちになって、ユルの頬を挟むようにして両手を当てた。


 唇が近づいてきたところで、がたんっと音がした


 音のするほうを見やると、ククルが立っていた。


 


 


 


 思わず飛び出してしまい、ククルは血の気が引くのを覚えた。


「あ……私、少し前に遊びにきてて。それで、エルザさんの声がしたから――」


 言い訳を口にする前に、立ち上がって駆け寄ってきたエルザに、頬を平手打ちされた。


「それで、覗き見? いい趣味してるじゃない!」


 怒っているのか、エルザがククルの胸ぐらをつかむ。


 身長差があるせいで、足が床を離れそうになるほど辛い姿勢になる。


「やめろ!」


 ユルが急いで、駆け寄ってエルザを引き離す。


「もう帰れよ、エルザ」


「…………帰るわよ」


 エルザはククルを睨みつけたあと、床に置いていた鞄をひっつかんで、早足で出ていってしまった。


「大丈夫か?」


 その場にへたりこんだククルはユルに声をかけられて、我に返る。


「う、うん。ごめん。隠れてたんだけど……」


 どうして、出てきてしまったのだろう。


 あのまま、やり過ごしておけばよかったのに。


 自分でもわからなくて、ククルはうつむいた。


 どこかに行っていた祥子がひらりと、近くに舞い降りる。


『ククルちゃん、ごめんね。私、話を弾ませられなくて』


「ううん、祥子さんのせいじゃないし。私が、出てきたせいだし。ユル……」


 エルザさんに謝っておいて、と言いかけてククルは口をつぐんだ。


 エルザの連絡先は知っているのだから、直接謝るべきだろう。


「なんでもないや。私、部屋に戻るね」


「ああ……」


 どこか心配そうなユルを残して、ククルは自室に戻った。


 


 しばらくベッドに寝転んでぼんやりしていたが、意を決して携帯をつかむ。


 エルザのライソに『さっきは、ごめんね』というメッセージを打って送信した。


 すぐに“既読”の表示がついたが、返信はいつまで経っても来なかった。


「私、ますますエルザさんに嫌われちゃったかなあ」


 ククルが呟くと、傍で浮遊していた祥子が心配そうに顔を覗き込んできた。


『まあ、邪魔しちゃったのは申し訳ないと思うけど、ククルちゃんはあの子がユルくんとどうこうするのが嫌だったわけでしょ?』


「どうこう――って」


 脳裏に先ほどの光景を思い浮かべると、胸がちくちく浮かんだ。


「そうなのかな」


『そうだと思うわよ。だからね、ククルちゃん。あなたも動かないと。ライバルがいるなら、なおさらよ』


「でも、私が読んだ女の子向けの漫画では、大体男の人が告白してたよ。私の時代でも、女性から求婚って聞いたことなかったし」


 親が決める形式がほとんどだったが、好き合って結婚する例もあったはずだ。


 それこそ、ティンやトゥチのように。


『じゃあ、ククルちゃんはユルくんが告白してくれるのを待つの?』


「そもそも、ユルは私のこと別になんとも思ってないんじゃないかな。私、美人じゃないし。それにユルってね、今はどうか知らないけど女嫌いだったんだよ。もしユルが私のこと好きなら、もっと早くに言ってくれるはずじゃない?」


『ぐっ。たしかに――。でもね、多分……ユルくんって、ククルちゃんがユルくんのこと家族としてしか見てないって、気づいているのよ。それで、関係を壊したくなくて動けないとか?』


 ――多分、雨見くんもそれを察しているんだ。君が一歩進まない以上、関係は変わらないよ。


 河東に言われたことを、思い出す。


(私が一歩進まないと、いけないの?)


 ククルは、返信の来ない画面を眺めたあと、電話帳を開いた。


『誰に電話してるの? さっきの子?』


「ううん、琉球の友達」


『なるほど。私、退室しておくわね』


 祥子はふよふよと、壁をすり抜けて出ていってしまった。


『はーい。ククルちゃん? どうかしたの?』


「薫ちゃん、いきなり電話してごめんね」


『ううん、大歓迎だよー。ククルちゃん、試験近いって言ってたから、なかなか連絡しにくかったし。何か、あったの?』


「実はねえ、えーっと……近所のお姉さんに、私がユルのこと好きなんじゃないかって指摘されたの。薫ちゃんって、少女漫画に詳しいし、自分でも描くでしょ? こういうことに詳しいかな、って」


 祥子は地縛霊ではなく、近所のお姉さんということにしておいた。


『ええ? 二次元と三次元は違うと思うけど……少女漫画なら、一万冊――は言い過ぎか、千冊ぐらいは読んだはずだからね! 大船に乗ったつもりで相談してね! ……とか大口叩いておいてなんだけど……。ククルちゃんと雨見くんって、一緒に住んでるんだよね? 大和に行く前、会ったときにそう言ってたもんね?』


「うん、そうだけど」


『だから、私はてっきりもう同棲するほど仲が進んだって勘違いしてたよ。ククルちゃんの鈍感力を舐めていた! ううん、雨見くんの保護者力を舐めていたって言うべき!?』


 薫は、混乱しているようだった。


「うん? 薫ちゃん、何を言ってるの?」


『ずばり言わせてもらうよ! ククルちゃんと雨見くんは相思相愛だと思うよ!』


 相思相愛、の言葉の衝撃が大きくて、ククルはもう少しで携帯を落としてしまうところであった。


「で、でもでも、ユルは何も言ったことないし……」


『ククルちゃんが鈍感だから、気づくの待ってたんじゃない? それか、受験が終わるまでと思っていたとか』


「それは薫ちゃんの推測でしょう?」


『いやあ、第三者の目から見てわかることだって、たくさんあるんだよ。私には、雨見くんがククルちゃんを大切にしているって、よくわかったしね。ねえねえ、一度聞いてみなよ。自分のことをどう思ってるのか、って。そしたら、言ってくれるかもよ!』


 薫に後押しされるようにして、ククルは「そうしてみる」と返事をして電話を切った。


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