第十八話 欠片 3



 弓削は諸島を巡ったりと、観光を楽しんでいた。


 ククルとユルは舞の練習で時間を取られ、彼に付き合う暇はなかった。


 何せ、随分長いこと稽古をしていないのだ。基礎がしっかりできているユルはともかく、ククルは元々たいしたことのない腕前がなまって、舞の先生が呆れる始末だった。


 夕方、ククルが高良家の一室を借りて自主練習していると、それまで出かけていた弓削が顔を覗かせた。


「ククルちゃん、お疲れ。アイス買ってきたよ。休憩しない?」


「わあ、ありがとうございます!」


 袋を掲げた弓削に、ククルは舞を中断して駆け寄る。


「あれ、夜は?」


 ふたりでアイスを食べていると、ふと弓削が問うてきた。


「ユルは、仲田のおじいさんのところに行くって言ってました」


「へえ。何しに?」


「古い書物を読みに。仲田のおじいさんは、漢文学者なんです。ユルは、昔の書物を読めるから……」


「そうなんだ。君みたいに、自主練習はしなくていいのかな」


「ユルは、私よりずっと上手いから……。昔、一流の先生に習ってたみたいです」


「数百年前の生まれなのに、夜は随分と教養があるんだな。漢文は読めるし舞はできるし」


 弓削が首を傾げたところで、ククルは説明するかどうか迷った。


(でも、ユルの生まれを勝手に言うのはだめだよね)


 ユルの生まれは複雑だし、色々な事情が絡んでいる。本人は言いたがらないだろう。


「そ、そうですね……」


「琉球の貴族って、士族しぞくっていうんだっけ? その生まれだったのかな」


「えーとまあ、そんなところですね……。ごめんなさい、私が勝手に言っちゃだめだと思うので。弓削さんを信頼してないわけじゃないんですけど」


 しどろもどろで言いつくろうと、弓削は声を立てて笑っていた。


「ごめんごめん。そうだね、あいつは自分のことを自分がいないところで話されるのは嫌がりそうだ。ところで、ククルちゃんのお兄さんは舞はできたのかな?」


 弓削はアイスを食べ終わり、袋にアイスの棒と包み紙を入れる。


「はい。兄様は上手でしたよ」


 ククルと同様に、ティンも舞を教養として習わされていた。かなり上手かったので、神への奉納として、行事で舞うこともあった。


「それなら、三線と同じで僕も舞えるかな? 舞えたら、ククルちゃんに教えられるのにね」


「……えっ。ど、どうでしょう。試してみます?」


 ククルは、CDプレイヤーをいじって、八重山に伝わる女踊りの舞踊曲をかけてみた。


 弓削は立ち上がってじっとしていたが、ほどなくして腕を組んで首を傾げた。


「うーん。三線みたいに、スイッチが入らないな。舞は無理みたいだね」


「……残念」


「じゃあ、素直に君の舞の練習を見学することにしよう。さあさあ、続けて」


「は、はい」


 ククルは食べ終わったアイスの棒と包み紙を、弓削に差し出された袋に入れた。


「これ、捨ててくるね。練習を続けて」


 ゴミの入った袋を持って、弓削は行ってしまった。


 音楽をかけ直して、ククルはゆっくりと舞う。


(今思ったら、兄様って本当に何でもできたんだなあ……。性格もよかったし、完璧なひとだったな)


 ティンを思えば、また恋しくなる。


 だけど、前ほど淋しくはなかった。意識はなくとも、ティンは弓削のなかにいて、傍にいてくれるのだから。


 舞っていると、弓削が帰ってきた。


 そのまま座って、ククルの舞を見物している。


「ねえ、ククルちゃん。舞いながらでいいから、答えてくれる?」


「……はい」


「君のお兄さんはどうして、故郷からここに連れてこられたんだい? ……もちろん、言いたくないならいいんだけどさ」


 弓削が抱いて当然の疑問だった。


「複雑な事情が絡んでいて……」


 舞いながら質問に答えるということができず、結局ククルは動きを止めてしまった。


「兄様は元々、血の薄まった私の家を復興させるために、生まれたようなものでした。私の祖母が祈り、海神が兄様を信覚島しがきじまの女性に授けたんです。その後、私が先祖返りとして生まれました。本来は、兄様と私を結婚させるつもりだったみたいなんです」


「結婚? ……でも君の祖先は海神で、君のお兄さんの父親は海神。いわば血縁になるわけだよね?」


「はい。そんな私たちが結婚して子供を産んだら、神に等しいものを産むことになって……。私は、死んでしまう運命だったらしいです。神を産むというのは、人間の体に尋常でない負担をかけるらしくて」


「……なるほど。でも、君たちは兄妹として育てられたんだろう?」


「私の家には、必ず兄と妹が生まれて、兄妹神と呼ばれていました。姉妹が祈り、オナリ神になって兄弟を守るという風習は、琉球全土にあるんですけど……私の家は、ただの風習ではなく、本当に神の力を使えたんです。妹が祈り、兄が力を振るう。妹の祈りによって兄は傷を癒し、魔物マジムンを倒す力を得ました」


 そこまで語ったところで、弓削はピンと来たようだ。


「まるで、今の……君と夜のようだね。少し違うけど」


「はい。昔の時代では、私たちもそうして兄妹神の力を使えたんです」


「夜と君は血がつながっていないのに?」


「ユルは、空の神の血を引いていたんです。だから、兄様と同じように……とはいかなくても、私が祈れば、ユルが力を振るえました」


「……ふうん。神の血統であることが、重要なわけか。そもそも、そのお兄さんはどうなったんだい?」


「兄様は、死にました。私と結婚して死なせるのも、神の子をこの世に現すのも間違いだと思ったみたいです。それで、違う女性と婚約したら海神の怒りを買って、海で溺れて亡くなった……」


 泣きそうになってしまい、ククルは途中で言葉を切った。


「兄様の死後、ユルは八重山に流れ着いたんです。ユルは、本来は本島の出身です」


「本島って……ナハ?」


「はい。正確に言えば、今はナハの一部になった……琉球王国の首都のシュリですけど」


 その説明で、弓削は眉をひそめていた。ユルの正体が、なんとなくわかったのかもしれない。


「ごめんなさい、弓削さん。ユルの事情は、私が勝手に話しちゃいけないと思うから……」


「ああ、もちろんだよ。それに、ごめんね。練習の邪魔しちゃったね。僕は、外を散歩でもしてくるよ。練習、頑張って」


 弓削は激励の言葉を残して、立ち去った。




 その日の夕食、弓削は食欲がないと言って欠席した。


「大丈夫かなあ、弓削さん……。暑気にやられたのかな。結構、歩いて回っていたみたいだもんね」


 ククルはごはんを咀嚼そしゃくして飲み込んだあと、ユルに声をかけた。


「そうだな。体感的にはトウキョウのが暑い気もするが、日差しが大違いだからな……」


「あとで、お見舞い行ってこようっと。そうだ、ユル」


「何だよ」


「弓削さん、私たちの事情が気になるみたい。それはそうだよね。あなたは、私の兄様に魂を埋められたんです――って言ったんだもの。私の事情はもう言っちゃったけど、やっぱりユルのことも気になってるみたいなんだよね。ユルから、話してあげたらどうかな? 魔物退治仕事のペアなんだし、事情を明かしておいたほうがいいかもしれないよ」


 言いにくいことだったので、早口で一気に言ってしまい、ククルはユルの様子をうかがった。


「オレの生まれも言わなくちゃいけないのか?」


「……嘘でも、いいと思う。たとえば士族の子で、父親が空の神だった……とか。それで事情があって、八重山に来たとか」


 ククルの提案に、ユルはうんともすんとも言わずに食事を進めていた。


「ユル! お願いだよ!」


「……わかった。考えとく」


 ユルはそれだけ答えて、あとは黙り込んでいた。

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