第十八話 欠片 2



 


 これは、誰の視点だろう。溺れて、沈んでいく少年をやるせなさそうに見守っている。


 ――何とか、できないのか。


 ティンの声だ、と認識する。次に響いたのは、とどろくような声。ひとにあらざる者――神の声だった。


 ――無理だ。あの少年はマブイの一部を魔物マジムンに食われた。魂が欠けた状態では、どうせ生きられまい。


 海神の答えを聞いて、傍にいたティンは提案する。


 ――僕が、彼の欠けた部分を埋められないだろうか。今は彼らが戻る時代と、近いのだろう?


 ――正気か。お前の意識は残らないぞ。あのふたりとも、せいぜい運命が引き合う程度だ。


 ――ああ、それで十分だ。彼が死ぬときに、また魂は分離するのだろう? なら、私に損はない。


 ――そうだ。それに彼が寿命を全うするときには、彼の魂も回復することだろう。お前がそう望むのならば、埋めてやろう。


 そして視界が暗転した。


 


 


 


 目を開いたとき、弓削が苦しそうに首を振った。


 息が続かないのだろう。それはククルも同じだった。ふたりは同時に、海面にあがった。


「ぶはっ……。ククルちゃん、何か見えた? 僕は何もわからなかったんだけど……。えっ、どうして泣いてるの」


「ごめんなさい、弓削さん。一旦、帰りましょう」


「ああ……」


 戸惑う弓削をよそに、ククルはぐるぐると考えながら泳いでいった。泳ぎついたところで、ユルが迎えてくれる。


「何か、わかったのか」


「うん……。でも、少し整理させてほしいの」


「……わかった」


 ユルが短く答えると同時に、弓削が砂浜にあがっていた。




 ククルたちは伊波家でシャワーを借り、着替えた。伊波夫人に少し休憩していったら、と言われたので、お言葉に甘えて客間を借りることにした。


 出された冷たいさんぴん茶を一口飲んで、ククルはようやく口を開いた。


「結論から言うと……弓削さんは、私の兄様だったひとに欠けた魂を埋めてもらっている状況です」


「……え?」


 ククルの説明が信じられなかったのか、すぐには飲み込めなかったのか、弓削はしばらく沈黙していた。


 代わりのように、ユルが問う。


「欠けた魂って、どういうことだ?」


「弓削さんは、海の魔物に魂を食べられてしまったみたいなの。そのままだったら、死ぬはずだった。でも、兄様が海神に頼んで欠けた部分を兄様の魂で埋めてもらった」


「ふたりの魂は、融合してるってことか」


「そういうこと。でも、兄様はあくまで欠片を埋めたかたちだから、意志はないみたい。でも、私たちと運命が引き合うことはあるだろう……って海神が」


 そこまで話して、ククルは弓削の様子をうかがった。


 彼はすっかり、青ざめている。


「君たちと僕が出逢ったのも、偶然ではないんだね。僕の内にいる君の兄の魂が、引き合わせたと?」


「おそらく」


「――あー、なるほど。それで、僕の霊力が上がったのか。ククルちゃんのお兄さんなら、海神の血統だよね」


「はい。しかも、兄様は半神です。詳しく言うとややこしいんですけど、兄様と私は本当の兄妹じゃなかったんです。でも、どちらも海神の血を引きます。私は先祖返りで神の血が濃く出て、兄様は半神だから当然神の血が濃かったんです」


 ククルが説明を付け足すと、弓削は「そうか……」と呟いてさんぴん茶をすすっていた。


「納得だな。削られていたティンの魂の状態でも、他人の魂を埋めることはできたってわけか」


 ユルは深く頷いて、隣の弓削をまじまじと見ていた。


「しかし、思ったより早く真実がわかったな。……ま、どうせだし、お祭りを堪能していこうかな。ふたり共、舞うんだよね。楽しみだな」


 もっと衝撃を受けるかと思っていたが、弓削は案外早く立ち直っていた。


 


 弓削は、高良家の一室を借りて滞在することになっていた。


 その夜は近所のひとたちも集まり、宴会のような夕食になった。


「……すごい歓迎ぶり。楽しいね」


 弓削は少し酔ったらしく、上機嫌で笑っていた。


 島人に請われて、ユルが三線サンシンを構える。彼の弾く三線に合わせて、女が歌った。


「民謡も……なんだか懐かしい。聞いたことないのに。僕の中の、彼が反応しているのかな」


 ひとりごとのように言って、弓削は三線を弾くユルを見ていた。


「弓削さんも、弾けるんですよね? 試してみます?」


 ククルが近くにいた三線を持った男に声をかけると、彼は快く貸してくれた。


 弓削が、三線を構える。ユルの演奏が終わったあと、弓削が弾き始めた。


 八重山に伝わる、古い民謡だった。


「ええ!? 兄ちゃん、弾けるのかい!? しかも、とんでもなく上手だ!」


 酔っ払ったおじさんが、驚きの声をあげる。


 ククルは目を閉じる。からりと晴れた空のような、音色。


(本当に、兄様だ)


 ティンは、死にいく少年を見ていられなくて、魂をもって助けた。それは、弓削のためだけじゃなかったはずだ。この時代に来るククルとユルと縁をつなげたら、と思ってくれたのだろう。


 今も昔も、ティンはどこまでも利他的だ。


『ククル』


 懐かしい声が、聞こえるようだった。


「おい、ククル」


 呼びかけられて、ハッとする。ユルが顔を覗き込んでいた。


 隣にいた弓削が、いなくなっている。どうやら、ククルは座ったまま少し眠っていたようだ。乾杯のときに飲んだ泡盛が、効いたらしい。


「……ユル。弓削さんは?」


「弓削は、三線を演奏したあと、いつの間にかいなくなっていた。次にオレが弾いていたときに、あいつの方を見たら、もういなかったんだよな。オレたちも、とりあえず引きあげるぞ。もう夜も遅いし、弓削の行方が気になる」


「うん……。弓削さん、どうしたんだろ」


「さあな。改めて、怖くなったのかもしれない。あいつは平気な顔してたけど、自分のなかに誰かがいるって受け入れにくいことだろ」


「そうだね……」


 ククルにとっては愛しい義兄でも、弓削にとっては見知らぬ昔の人物だ。


 抵抗があって、当然だろう。


 ククルが考え込んでいる間に、ユルは高良夫妻に挨拶をしにいっていた。


「抜けることは言っておいた。行くぞ」


 ユルに手を伸ばされ、ククルはその手を取って立ち上がった。




 外は、とっぷり暗くなっていた。


 満天の星を見上げながら、ククルはユルと並んで歩く。


「懐かしいなあ。トウキョウの空と、全然違うね」


 ふふっと笑うククルの手を、ユルはぐいっと引く。


「お前、何杯飲んだ? 足がふらふらだぞ」


「乾杯の一杯だけだよ。……でも、一気に飲んだから酔いが回ったかも」


「馬鹿。泡盛は強い酒なんだから、一気飲みなんかするな。お前、酒に強くないだろ」


「うん……。これから、気をつける。ユル、どこに向かってるの?」


「弓削が、海辺にいる気がするんだ」


 家を出る前に弓削にあてがわれた部屋に確かめに行ったのだが、部屋は空だった。家のなかにいないのなら、きっと外にいる。そして、神の島で見物するとしたら……御獄うたきか海辺ぐらいしか思い当たらない。夜の真っ暗な御獄に、外から来た者は怯えて入りたがらないだろう。ならば、海の近く――という推理をユルは語った。


 弓削のなかにいるティンの魂が、海に惹かれるのかもしれないが。


 ユルの予想通り、弓削は浜辺に佇んで夜の海を眺めていた。


 その背中に、遠慮しつつも声をかける。


「弓削さん」


「……やあ」


 振り向いた弓削の表情は静謐せいひつで、動揺など見られなかった。


「ごめん、宴会の途中で抜けちゃって。飲みすぎて、少し気分が悪くなってさ。外の風に当たろうと、外に出たら……いつの間にか、ここに来てた。僕のなかにいるククルちゃんのお兄さんは、海が恋しいのかな」


「海が恋しいというより、故郷が恋しいんだと思います」


 ククルは弓削の隣に並び、くらい海を指さした。


「兄様の故郷は、ここじゃなくて信覚島って言ったでしょう? だからか、兄様は小さい頃からよく海の向こうを見つめてたんです。兄様は、無理矢理私の家に連れてこられたから、お母さんと家が恋しかったんだと思います」


「……そうなのか。なんだか不思議だね」


「弓削さん、ごめんなさい。あなたを、私たちの運命に巻き込んでしまった」


 思い切って謝罪すると、弓削は破顔した。


「そうしないと、僕は死んでいたんだろう? 君たちに関わるのは楽しいし、僕は君の兄に感謝しなくちゃね」


 そう言ってもらえて、肩の荷が下りる心地がした。


「ククルちゃんのお兄さんはきっと、意識をなくしてでも……なんらかの形で君たちを助けたかったんだろうね。その意志を汲んで、僕にできることは何でもするよ」


 弓削の優しい言葉に涙が溢れて、ククルは拳で涙を拭った。


「ありがとうございます、弓削さん」


 それに、兄様。


 既に、弓削には何度も助けられている。弓削のなかのティンが引き合わせてくれたのだと考えれば、感謝してもしきれなかった。


「……そろそろ戻ろう」


 ユルの一言で、三人は海辺をあとにした。

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