第十六話 失踪 5



 伽耶が呼んでくれたタクシーで、ククルとユルは帰宅した。


 車中でユルはずっと黙り込んでおり、ククルも何を話しかけていいかわからなかった。


 家にあがってすぐ、祥子が飛び出してくる。


『ユルくん! 無事だったのね! よかったわね、ククルちゃん……』


 祥子は、ふたりの様子がおかしいことに気づいたらしい。


『事情はあとで聞くわ。向こうに行っておくわね』


 気を利かせたのか、祥子はククルの部屋に行ってしまった。


 ユルは力なく、居間のローテーブルの前に座り込んだ。


 ククルは台所に行って、冷蔵庫からガラスポットを取り出し、二つのグラスにさんぴん茶を注いだ。


 グラスを持っていき、ユルの前に置くと「悪い」と小さな声がした。


 喉が渇いていたらしく、ユルはあっという間に飲み干してしまう。


 これでは足りなさそうだと思ったククルはガラスポットを取りに戻り、ローテーブルの上にガラスポットを置いた。


 ユルはガラスポットから、自分でさんぴん茶を注いでいた。


 少し間を開けてから、ククルは話を切り出した。


「ユル、時戻りの方法を探していたんだね……」


「……そうだ」


「私のため、だよね」


「ああ」


「ごめん。私が、帰りたいなんて言ったから……」


 とうとう、我慢していた涙が溢れてしまった。


「あの鬼と、何を話したの」


 ククルが尋ねると、ユルは全てを話してくれた。


 代償が命、と聞いたところでククルは凍りついた。


 立ち上がって、ユルのすぐ傍に腰を下ろして胸を叩く。


「どうして、どうしてユルはそんなに自分を大事にしないの!? 前も、そうだった! ユルを一番粗末にしてるのは、ユル自身だよ!」


 泣きながら、胸を叩き続ける。


 ユルは抵抗しなかった。


「私は、帰れないって知ってる。覚悟して、ここに来た。たしかに、弱音で『帰りたい』って言ってしまったから……そのことを、ユルが気にしてたの、本当に申し訳ないと思ってる。でも」


 ククルはしゃくりあげて、続けた。


「ユルを犠牲にしてまで帰りたいなんて、絶対に思ってないよ……。私は、ユルが大事だよ。ユルも、自分を大切にしてあげて」


 膝立ちになって、ユルの頭を抱きしめる。


「…………………」


 ユルは、何も言わなかった。


 それ以上、何を言っていいかわからず、ククルは体を離して「私、自分の部屋で休む」と言って自分の分のお茶を飲み干し、自室に戻った。


『あら、ククルちゃん。ユルくんとの話、終わったの』


「うん……」


 ククルはベッドに横になって、たかぶる気持ちを収めようと深呼吸した。


『一体、何が起こったのよ。あ、言いたくないならいいんだけど……』


「ううん。祥子さん、聞いて。話したら、私も落ち着くかも」


 そしてククルは、自分たちが数百年前から来たことを打ち明けた。ククルの帰りたいという願いを叶えようとして、ユルがあの町に行ってしまったことも話した。


『……び、びっくりだわ。でも、あなたたちには霊力があるものね。私もこんな身だし、信じるわ。ユルくんの気持ちも、わからなくもないんだけど……どうして、ククルちゃんだけを?』


「ユルには、もう知己がほとんどいなかったの。大事な先生やお兄さんみたいなひとを亡くして、絶望してた。だから、ユルは前の時代に執着がなかったんだと思う。でも、私には兄様の婚約者だったトゥチ姉様とその兄のカジ兄様がいて、仲良しだった。親しいとは言えなかったけど、家族も存命だった」


『なるほどね。それでククルちゃんも、実際に帰りたいって言ってしまったのね。ユルくんは、この時代に連れてきた責任を感じていた、と』


「そうなの。もっとしっかり、誤解を解いておかなかった私も、悪いの。でも、まさか――ユルが、そこまでするとは思っていなくて」


 ユルはこの時代できちんと、自分の世界を作っているのに。


 それをいともたやすく、手放そうとしたのだ。……ククルのために。


『本当に、困ったわ。思い詰める性格なのね、きっと。ククルちゃん、今は気まずいかもしれないけど会話を絶やさないで。ユルくんは今回のことでわかったけど、どこか危なっかしいわ。彼をつなぎとめられるのは、きっとあなただけよ』


 祥子の助言を受けて頷いたが、ククルは本当に自分が彼の楔になれるかどうか、わからなかった。




 ククルは河東に連絡しそこねていたことを思い出し、河東に電話をかけた。


『はい! 雨見くん、どうなった?』


 心配していたのか、河東は電話に出るなり早口で尋ねてきた。


「河東さん、ありがとう。無事に見つかったよ。お騒がせしました」


『ふーっ、よかったー。結局、どこにいたんだい?』


「ええと……終電間際に電車乗り過ごして、知らない町で迷子になってたんだって。携帯の電池が切れてたみたい」


 適当な嘘をでっち上げると、河東は『お騒がせだなあ』と呆れて笑っていた。


『まあ、見つかってよかったよ。和田津さんもお疲れ様』


「うん、ありがとう。またね、河東さん」


 電話を切り、ホッと一息をつく。


 お腹が空いた、と思って携帯の時刻を見たらもう十二時を回っていた。


(朝早くに出て、あの町に入ったのも早い時間だったはずなのに)


 意外に時間が経つのが早い。


(……というか、あの町は異界だったから時間の流れ方が違ったのかも)


 そう考えると、納得できる気がした。


 自室を出て台所に向かう。


 料理を作る気力が湧いてこなかったので、いくつか買っておいたカップ麺を食べることにした。


(予備校休んじゃった……。午後から行く気力もないなあ)


 生気をユルに注いだせいで、体も精神も疲れている。こんな状態で予備校に行っても集中できないだろうし今日は休みにしよう、と決めた。


 ポットでお湯を沸かしているところに、ユルが出てきた。


「あ、ユル。ユルも、何か食べる? 私は、疲れたからカップ麺にしようと思うんだけど」


「いい。オレ、事務所に行ってくるから、外で何か食べる」


「え? 事務所に? 何で?」


「病院では消耗しすぎて何も言えなかったけど、ちゃんと報告しないといけないだろ。オレは、お前だけでなく弓削やエルザも巻き込んだし、所長にも迷惑かけたんだから」


 ユルはまだ少し青い顔で、ため息をついていた。


「待って。それなら、私も行く」


「お前、予備校は」


「今日は休みにしたの。何と言われようと、ついていくからね!」


 宣言して、ククルは途中でポットの電源を切った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る