第十六話 失踪 4



 熱い、と思ったらエルザが近くにいて両手に炎を現し、ユルの手の枷を焼いていた。


 口を開こうとしたところで、睨まれる。


「黙ってて」


 紅葉はどうしたんだ、と首を巡らすと、武者姿の少年少女に斬りつけられ、悲鳴をあげて逃げ回っていた。


 耐えかねたのか、彼女は腕を振り回しながら、外に走り出す。


「やっと出たわね。あとは、ククルとハルキに任せるしかないわ」


「……弓削はともかく。なぜ、ククルなんだ」


「彼女にはおとり役を頼んだわ」


「嘘だろ!」


「じっとしてなさい、ナハト! 動けば、あなたの枷が外れるのが遅れて、助けにいく時間も遅れるわよ!」


 エルザに叱りつけられ、ユルは歯を食いしばって焦燥感と熱気に耐えるしかなかった。


 


 




 鬼女が出てきて、ククルは身をすくませる。


 弓削の式神は善戦していたが、外に出た途端、紅葉は式神たちを長い爪で切り裂いてしまった。


 彼女が中に戻る前に、ククルは握り込んでいた宝石を解放する。


「……あら。また、異国……琉球の神気を感じるわ。ああ、そう。助けに来たのかい? 残念だったね。あんたも、競りにかけてやるよ!」


 鬼女が走り出した途端に、ククルも背を向けて走り出す。


 他の家屋からも妖怪が出てきて、彼らもククルを追う。


 追う気配が増えて、ぞっとする。


 たまに悲鳴が響くのは、弓削が式神を放ってくれているからだろう。


 後ろを向く余裕はなかった。


 転びそうになりながらも、必死に走る。早く、早く、入り口が見えてくれないだろうか――。


 がっ、と頭をつかまれて引き倒され、ククルは悲鳴をあげた。爪が額に食い込み、痛む。


 見下ろしているのは、あの鬼女だった。


「つーかまえた。観念しな……」


 長い爪が振り下ろされ、ククルは目をつむったが……


「ぎゃああああ!」


 絶叫と共に、ククルから手が離れる。ククルが立ち上がって振り向くと、ユルが天河ティンガーラを片手に立っていた。


 鬼女の背から、血が溢れている。


「夜! 深追いは無用だ! エルザ! ククルちゃんを頼む!」


 弓削が、ユルの手を引く。ユルは肩で息をし、足下もおぼつかなかった。相当、消耗していたところに、天河を振るったからだろう。


「ラジャー!」


 エルザはククルを横抱きにして、入り口めがけて走り出す。


 さっき必死に走って疲れていたので、運んでもらえるのはありがたかった。


 そして四人は、町から脱出した。


 


 出るなり、ユルは膝をついて倒れ込んでしまった。


 今まで、気力で持っていたのだろう。


 エルザはククルを放るようにして、下ろす。


「……救急車、呼ぼうか。夜は頭を怪我しているし」


 弓削はすぐに携帯を取り出し、救急車を呼んでいた。


 ククルはユルの傍にひざまずき、仰向けにさせる。


「ユル、大丈夫?」


 ハンカチで額の血を拭ってやる。気絶しているとわかっていて、声をかけずにはいられない。気を抜けば、泣いてしまいそうだった。


「ワタシは、カヤに報告の電話をかけておくわ」


 伽耶のことを思い出したらしいエルザは宣言してから、電話をかけていた。


 


 ユルは救急車で運ばれ、ククルと弓削も同行した。エルザには事務所に戻ってもらうことにした。


 幸い、出血の割に頭の傷は大したことはなかったらしく、ユルは頭に包帯を巻かれて眠っていた。


 病室は大部屋だったが、他に入院客がいないらしく、他のベッドは全部空っぽだった。


 ずっと、ククルはユルの傍についていた。弓削は、飲み物を買いにいってくると言って離席した。


 ユルの手を握って、ククルは「ごめんね」と呟く。


(あんなこと、言わなければよかった――)


 後悔しても、もう遅いとはわかっていた。


「ククルちゃん。はい。君も何か飲んで。喉、渇いてるでしょ」


 弓削が、ペットボトルのウーロン茶を渡してくれたので、有り難く受け取って、飲み始める。あんなに走ったのだ。喉が渇いていて、当たり前だった。


 気がつけば、半分も飲み干してしまっていた。


 弓削はククルの隣に座り、ペットボトルの緑茶を勢いよく飲んでいた。


 しばらくユルの寝顔を見守っていると、病室の戸が開いた。


 入ってきたのは、伽耶とエルザだった。


「雨見くん、どうだった?」


「怪我は心配ないそうです。ただ、ずっと眠っているのが心配で」


 弓削は立ち上がり、伽耶に報告した。


「……ふうん。悪いわね……弓削くん、エルザ。ちょっと、出ていてくれる? ククルさんと話があるの」


 伽耶の指示に、弓削とエルザはいぶかしみながらも、外に出ていった。


「さて、と。ククルさんなら、わかる? 今の雨見くんの状況」


 伽耶は、さっきまで弓削が座っていた椅子に腰かけた。


「何でしょう……すごく、気配が薄くなってるように見えて……」


「ま、そんなところよ。今の状態は、生気が薄れている状態。生きる力と書いて、生気。エルザの話によれば、枷ではりつけにされていたそうね? その枷が力を押さえ、生気を吸った可能性もあるけど……鬼に生気を吸われていたのかもしれない。どちらにせよ、今の雨見くんは生気が枯渇しているの。この状態は、心配しなくても数日も経てば治るわ。でも、その間は眠りっぱなし」


「そうなんですか……」


「ええ。でも、手っ取り早く起こす方法もある。誰かの生気を分けてあげるのよ」


「私の生気をあげます! 私の責任だもの……」


 ククルが主張すると、伽耶はわかっていたことだと言わんばかりに微笑んだ。


「そうね、あなたが一番いいわ。生気は、口移しで吹き込むのが手っ取り早いの」


「く、口移し……」


「嫌? 嫌なら、エルザに頼んでもいいけど」


「嫌じゃないですっ」


 エルザがユルに口移しする光景を思い浮かべてしまい、ククルは勢いよく首を横に振った。


「あなたもシャーマンなら、やり方はなんとなくわかるでしょう? ……じゃあ、私も出ておくわ。見られていたら、やりにくいでしょうし」


「はい……。あの、所長さん。意識のないユルに口移しするのって、私が痴女になりませんか?」


「痴女? 何言ってるの、あなた。なるわけないでしょ。人工呼吸みたいなものよ」


 伽耶は呆れたように笑って、手を振って行ってしまった。


 戸が閉まったのを確認して、ククルは立ち上がってユルに顔を近づけた。


(……ごめんね!)


 思い切って、意識のないユルの唇に唇を重ねる。そしてククルは、「生気」なるものを吹き込んだ。


 どのぐらい、続けただろう。段々と、ユルの頬に赤みが差してきた。


 ククルは疲れ切って、椅子に座った。


(こ、これが限界みたい……)


 しばらく、動けそうになかった。


 ククルがぼんやりしていると、ユルのまつげが震えた。


 ゆっくりと目が開かれ、ククルは立ち上がる。


 みんなを呼びにいかなくちゃ、と思ったところで後ろの戸が開く。


 ユルが起き上がったのと、伽耶たちが入ってきたのは、ほぼ同時だった。


「雨見くん、気がついたのね」


 伽耶がククルの隣に立ち、ユルを見下ろした。


「あなた、何をしたかわかってる?」


「…………」


「私の忠告を無視して、知性のある妖怪に接触を続け、挙げ句の果てに妖怪の町で捕らわれた。ククルさんも弓削くんもエルザも、危険にさらしたのよ。あなたを助けるためにね」


「…………申し訳ありません」


 ユルが頭を下げると、伽耶は肩をすくめた。


「あなたが探していたものについて、ククルさんに聞いたわ。そんなものは存在しないから、諦めなさい。あとはククルさんと話し合いなさい。……もっとお説教したいところだけど、今日は疲れているでしょう。ククルさんと家に帰りなさい。車を呼んであげるわ」


「はい」


 ユルは殊勝しゅしょうに頷いていた。

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