第十六話 失踪 3
ぼそぼそと話す声が聞こえて、ユルは顔をあげた。
(……オレ、どうなったんだっけ)
頭が痛い、と思ったら液体が額を伝う感触で、出血しているのだとわかった。
手首も足首も痛い。
顔を横に向けると、手首には枷がはめられていた。見下ろさなくても、わかる。足も同様に枷をはめられているのだろう。動けない。
――つまり、壁にはりつけにされているらしい。
舌打ちしたところで、ユルの前に女がひとり現れた。
「ふふふ。琉球の神の子……。みんな、いい値で競り落とすだろうね」
一目見ただけでは、
先日、小さな妖怪が広がっているため、所員総出で妖怪探しを行った。一通り退治したところで、ふと弓削とはぐれてしまったのだ。
そのとき、この鬼女はユルの前に現れた。
「時戻りの方法を探している人間というのは、お前?」
長い黒髪に、あでやかな赤い唇。赤い着物に身を包んだ美女だった。
「…………」
ユルは油断せず、天河を顕現して構えた。人間に見えたが、明らかに妖気が立ち上っていたからだ。
「ふふ。そんな物騒なもの、お仕舞いよ。時戻りなんて、人間の手に負えるものじゃない。でも、妖怪の世界でなら見聞きしたことがあるよ」
「本当に、か?」
「その代わり、代償が必要だ」
「何だよ」
「命だよ。命さえあれば、ひとりぐらい過去に飛ばしてやれる」
話を聞いて、すぐに信じたわけではなかった。
(……オレの命で、ククルが帰れるなら)
ククルはまだ、トゥチやカジが恋しそうだ。
『元の時代、帰りたいよお……』
後日否定していたが、あれは本心のように思えてならなかった。
『……かえり、たい』
去年、大和に来たときも「帰りたいか」と問うと、そう答えた。眠る前の無防備な状態で吐かれた言葉こそ、ククルの隠している願いな気がしてならなかった。
ユルはもう少しで女の肩をつかむところだったが、すんでのところでこらえた。
「……魔物は、信頼できない」
「あらそう。でも、気が変わったら、いつでもあたしのところに来なさいな。たまに、トウキョウで妖怪の町が立つ。そこに、あたしはいるからさ。あたしの名は、
そして――この前、古書店で見つけた文献に「妖怪による時戻り」について詳しく書いてあったのだ。それには、代償に誰かの命を必要とすると――。
魔物を信用するなんて、馬鹿げている。だが、そうでもしないと人間は時を遡れないのだろう。
神による時戻りの方法がないかと文献を漁ったが、神による時間操作は「神隠しにより昔の人間が、未来に現れること」ぐらいしかなかった。
おそらく神は、理に反することはできないのだろう。
時戻りは、外法に違いない。だからこそ、力のある妖怪ならできるというのは信憑性があるように思えた。
そして、ユルは昨日、この町に来て紅葉を探した。紅葉にはすぐに会えたが、家にあがって待っているように言われて、畳の上で彼女を待っていた。すると、いきなり後ろから殴りつけられたのだ。
……それから先は意識を失って覚えていないが、紅葉が嬉々としてはりつけにしたのだろう。
顕現したいのに、天河は呼びかけに応じない。枷で力が封じられてしまったのか。
「オレをどうするつもりだ」
かわいてかすれた声で問いかけると、紅葉はにやりと笑った。
「競りにかけるのさ。切り分けて売る。神の血統なんて、このご時世、貴重だからねえ。爪も一枚一枚はがして、売りつけてやる。神の子は、爪一枚でも食べれば力が出るんだ。みんな、ほしがるよ。それに、あんたは仲間を
「……時戻りの方法は、嘘だったのか」
「あはははは。そうさ。妖怪を信じるなんて、馬鹿だね。普段のあんたには、神気が強すぎて負けちゃうからね。妖怪の力が増して、神の力が弱る……この町に誘いこんでやったのさ」
紅葉は背伸びをして、ユルの頬を撫でた。
「本当に、馬鹿な方。昔から、無鉄砲なところは変わりませんね」
響いた声に、ユルは戦慄した。
……まさか。いるはずがない。彼女は、消えたはずだ。
だが、紅葉の後ろに立っていたのは、紛うことなくウイだった。蛾の化生。聞得大君の補助をしているかと思いきや、彼女を裏から操っていた、とんでもない魔物。
鮮やかな模様をあしらった白い琉装を身にまとい、彼女は艶然と微笑んでいる。
「ウイ……。嘘だろ。お前は死んだはずだ!」
「死んだように見えていただけでは? あれから数百年経つのです。私が復活していても、何の問題もないでしょう」
「畜生っ!」
全身の血が煮えたぎりそうだ。早く天河で、あの魔物を斬りつけて消滅させないと気が済まない。
「ちょっと。競りはまだだよ。勝手に商品と話さないでよ」
紅葉がウイを振り返り、注意した。
「これはこれは……失礼いたしました。若様、助けてほしいですか?」
問われて、ユルは唇を噛む。
「助ける気なんて、ないだろ」
「あれ、わかってしまいましたか? 嘘は得意なんです。競りは見物させてもらいますよ、若様」
ウイが去ると、紅葉が舌打ちした。
「あんたの縁者かい」
「縁者じゃない。かたきだ」
「……ふうん。琉球の妖怪がここに来るのは、珍しい。あんたに惹かれてきたのかね」
紅葉がいぶかしむのも不思議ではなかった。なぜ、ウイが大和にいるのだろう。
「さあ、早く競りを開いちまわないとね」
紅葉は明るく言って、ユルの頭から伝う血を指で拭い、その指を口に含んだ。
「ああ、うまい。これが半神の血か。つまみ食いしちまわないよう、気をつけないと」
その笑顔は美しくもおぞましく、ユルは目をそらした。
初めは弓削が先頭を行っていたのだが、彼は式神などの助けなしではユルの気配を辿れなかった。
そのため、ククルが「なんとなく、ユルの気配を感じるから私が先導します」と宣言し、先頭を歩くことになった。
「ナハトはどこなの。随分、奥まで来たわよ」
エルザが小さくも鋭い声で、ククルに問う。
たしかに、ここまでかなり歩いている。ククルも不安になってきたところだった。
「……もうすぐだと、思う」
握り込んだ海の宝玉から、力が流れ込んでくる。片割れのユルの位置を、勘が告げる。
「ここ」
ククルが足を止めたのは、昔ながらの大和家屋だった。何かの店らしく、のれんがかかっている。キョウトで見た和風カフェに、外観が似ていた。
三人は顔を見合わせたあと、そこに踏み入った。そして、同時に言葉をなくす。
ユルがはりつけられており、その傍に女が佇んでいた。
彼女は、こちらには気がついていないようだった。
ユルは目を閉じている。眠っているのだろうか。
「ククルちゃん。一旦、出よう」
弓削に手を引かれて、ククルは青ざめながらも外に出た。
例の建物から少し離れたところに行って、弓削は口を開いた。
「感知の力なら、ククルちゃんが一番だね。あの女は、厄介そうかい?」
「……はい。多分、とても長く生きている大物で……大和の鬼……みたいです。角は隠していたけど、うっすらと見えました」
「なるほど。さすがだ。……正面から戦わない方がいいね?」
「はい」
あの鬼を倒したとしても、ここには他の魔物がたくさんいる。戦いは、避けるべきだろう。
「了解。式神を放って鬼女をかく乱して、その間に夜を救う。あの枷は、おそらく特殊なものだろう。エルザ、君の炎で焼き切れるか」
「できると思うわ。でも、式神のかく乱だけじゃ時間が足りないと思うわ。ククル、あなたが
「囮って……。ククルちゃんが捕まってしまったら、どうするんだ」
「ナハトさえ解放できれば、あの霊剣が使える。ククルは、入り口に向かって走ればいい。ハルキ。式神を使って、ククルを追うように仕向けるのよ。それがベスト。いい?」
エルザの提案に弓削は逡巡していたが、ククルは頷いた。
「私、エルザさんの案がいいと思う。ユルを解放したら、最悪――私が捕まっても何とかなる」
「……ククルちゃん」
「大丈夫だよ、弓削さん。もしも、の話だから。それに、私はこの左手を放せば、海神の宝石が神気を放つから……。囮役には、もってこいでしょ」
強気に笑ってみせると、弓削は泣き笑いのような表情になって、ククルの右手を握った。
「君を追わせないようにしたいけど……そうも、いかないみたいだ。ごめんね。式神を使って、あいつを外に出す。そしたらすぐに、走って。他の妖怪も追ってくるだろうから、気をつけて。僕がなるべく、妨害するけど」
「うん、任せて」
しっかりと手を握り直すと、弓削はようやく心を決めたように表情を引き締めていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます