第十六話 失踪 2



 とにかく中へ、と促されて事務所の会議室に通された。


 伽耶は、道中で買ったらしいコーヒーを皆に配ってくれた。


 ククルはミルクと砂糖を入れて、マドラーでコーヒーをかき混ぜながら伽耶の発言を待った。


「カヤ。見えない、ってどういうことなの?」


 我慢できずに、エルザが息せき切って尋ねた。


「文字通りの意味よ。私は千里眼。誰かの居場所を見ようと思えば、普通は見られる。弓削くんから電話をもらってすぐ、試したわ。見えない、というのは見えない状態になっているということよ」


「どういう、意味ですか」


 青ざめて、ククルは伽耶を見据えた。


「最悪のケースは、この世にいない……ね」


「ナハトが死ぬわけない!」


 エルザが机を叩いて、立ち上がった。


「落ち着きなさい、エルザ。座って。これは最悪のケースよ。もうひとつの可能性の方が、高いと思っているわ。ククルさん。雨見くんのサークル仲間は『用事がある』と雨見くんが言った、と話していたわね」


「はい」


 先ほど、事務所に入る前にククルが河東の証言を話しておいたのだ。


「おそらく、その用事がらみで見えなくなってるんだわ。異界に行くと、私にも見えなくなるから」


「異界……? たとえば、ニライカナイみたいな?」


 ククルの質問に、伽耶は頷いた。


「でも、ニライカナイじゃないと思うわ。大和からは行けないでしょう。他の異界に、心当たりがある。妖怪の世界よ」


魔物マジムン……妖怪の世界って、あるんですか……」


「あるわ。力のある妖怪は異界を作れるの。トウキョウでも、たまに妖怪の町が立つことがある。見てみたら、いつからか立っているみたい。このあたりよ」


 伽耶は鞄からタブレットを取り出し、しばらく操作したあと、みんなに見えるように机に置いた。


 ククルは未だに土地勘がなく、地図の見方もよくわかっているとは言いがたかったので、曖昧に頷く。エルザも同様だったらしく、深く頷いた弓削に向かって「ハルキ、連れていってね」と頼んでいた。


「そもそも、夜はなぜ異界になんて行ってしまったんでしょう?」


 弓削の最もな問いに、伽耶は腕を組んだ。


「そこ、なのよね……。以前、雨見くんが知性のある妖怪に接触した光景が漠然と見えたことがあったの。あのときに、何か話したみたいね。でも、普通は妖怪に用事なんてないでしょう? だから、あれきりだと思っていたんだけど」


 エルザと初めて組んだときのことだろう。ユルはひとり合流が遅れ、伽耶に忠告されていた。


「何か、探しているのかしら?」


 伽耶の言葉で、ククルはふと思い当たった。


「……ユル、何か本を探していたみたいなんです。ユルの入っているサークル――古書研究会の河東さんが電話でそのこと言ってて……。去年のことですけど。何を探してるの、って聞いても答えてくれなかったんです」


 ククルが説明すると、三人は同時に眉をひそめていた。


「何を探していたか、カトウなら知ってるでしょう。聞いてみて。手がかりになるかもしれない」


「う、うん」


 エルザに促され、ククルは鞄から携帯を取り出した。


 震える指で操作し、どうにか河東に電話をかける。


『はい! 雨見くん、見つかった?』


 電話は、すぐにつながった。


「ううん、まだなの。河東さん。ちょっと、聞きたいことがあって。ユル、何か本を探してたんだよね? それ、何か教えてもらえる……?」


『え? ああ、うん。それが、何か必要なの?』


「……手がかりになるかも」


『手がかりに? 怪しいと思うけどな。だって、時戻りの方法だよ? 雨見くん、何でそんなの探してるのかって不思議だったんだよね』


 それを聞いて、血の気が引いた。もう少しで、携帯を落とすところだった。


『和田津さん?』


「ごめん、河東さん……。時を戻る方法が書いてある文献……なんだね」


 みんなに聞こえるように大きめの声で確認すると、河東は『そうだよ』と相づちを打つ。


「ありがとう。一旦、切るね」


『うん。また何かあったら、教えて。僕も協力するし。じゃあ、気をつけて』


 通話を終えて、ククルは泣き出しそうになるのをこらえて、携帯を仕舞った。


「時を戻る方法……。その様子だとククルさん、心当たりがあるのね」


「わ、私……一度、帰りたいって言ったことがあって……それを、ユルはずっと気にしてたんだと思います」


 一昨年、祭りのあとにユルは『……時を遡る方法があるかもしれない。大和に行って、捜してみる。何とかして、お前を帰してやるよ』と言っていた。すぐに、ククルはちゃんと否定して謝った。……だけれども。気にし続けて、いたのだろう。


 更に、去年大和に来たときにユルが聞いてきたのだ。『……ククル。まだ、帰りたいか?』と。ククルは「琉球に帰りたいか」かどうかを聞いていると思って、「帰りたい」と答えてしまった。


 大和に来てからずっと、ユルは探していたのだ。ククルを帰す方法を。


 ククルがとうとう泣き出してしまうと、隣席の弓削が背中をさすってくれた。


 伽耶は難しい表情で、うつむいている。


 ふたりには、ユルが何をしたいかわかったのだろう。


 だが、ククルとユルの事情を知らないエルザはきょとんとしていた。


「よく、わからないんだけど」


「エルザ。今は、あなたに説明する暇はない。ククルさんも、悪いと思うなら泣くのはあとにして。弓削くん、ふたりを先導してここに行けるわね? 私は、ここで待機しておくわ。戦力にはならないし。雨見くんが先に異界から抜け出したら、連絡を取ってくるかもしれない。入れ違いになるのは、避けたいわよね」


 伽耶がぴしゃりと言って、指示を出す。


「はい、所長。行く前に、準備します」


 弓削は立ち上がり、ククルとエルザに札を飛ばした。


 飛んだ札は、ククルとエルザの胸元に貼りついた。


「ハルキ。これ何?」


 エルザが不快そうに顔をしかめる。


「妖怪に気配を近づける、お札だよ」


 説明して、弓削は自分にも札を貼っていた。


「ククルちゃん。そのペンダントは神気を放っているから、札を貼っていても気取られる。宝石部分を手で握り込んでおいてね」


「は、はい」


「まだ、しなくていいよ。異界に入る前でいいから。さあ、異界の発生している場所に向かおう」


 弓削が声を張り上げたところで、ククルとエルザは真剣な面持ちで立ち上がった。




 弓削の先導に従い、ククルとエルザはトウキョウの町を駆けた。


 異界は、電車を使うまでもないぐらいの近いところにあった。


 一見、何の変哲もない空き地だが……注意して見れば、空間が歪んでいた。


 ククルは首飾りの宝石を左手で握って隠し、それを確認してから弓削が「行こう」と言って踏み入っていった。ククルとエルザも、すぐに続く。


 入った瞬間、ククルはきょろきょろとあたりを見渡した。


 キョウトで見たような、昔ながらの大和家屋が並んでいる。


 三人は、一列になるようにして歩いていった。


 道ばたで話しているのは人間、かと思いきや一つ目だったり三つの尻尾が生えていたりしていた。


(本当に、魔物の町なんだ)


 恐ろしくなって、ククルは宝石を握る手に益々力をこめた。


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