第十四話 古都 4



 その夜は、豪華な懐石料理が振る舞われた。


 薄味ながら美味だったが、ククルは緊張していて味に集中することができなかった。


 いつ、弓削の母から「息子の彼女」への質問が飛んでくるかと構えていたのだ。


 しかし、彼女は一切そんな質問をせずに淡々と食事を進めていた。弓削の父親は用事があるらしく、この場にはいなかった。


 すっかりククルが安心したところで、弓削の母が口を開いた。


「ところで。結婚は、いつ頃?」


 思わず、口に含んだばかりの温かい緑茶を噴き出しそうになる。


「嫌やなあ、母さん。和田津さんとは、付き合い始めたばかりや。それに、彼女はまだ予備校生やし。結婚するとしても、彼女が大学卒業してからになる」


 弓削は動じた様子もなく、応じていた。


 ククルは、機械的にこくこく頷くだけにしておいた。




「あああ、緊張したっ」


 まさか、結婚について聞かれるとは。


 夕食後、ククルはあてがわれた部屋に戻って、畳に寝転んだ。


 そのまま寝入ってしまいそうになったところで、「ククル」と襖越しにユルの声が響く。


「ユル? どうしたの?」


「ちょっと話がある。入るぞ」


 どうぞ、と言う前にユルは入ってきてしまった。


「話って?」


「弓削のことだよ。なんか、引っかかってさ。あいつを八重山に呼んでまで、思い出させる意義ってあるのか?」


 ユルはククルの近くにあぐらをかいて座り、膝のあたりに頬杖をついた。


「意義があるかは、わからないけど……。弓削さんも、もやもやしてるのが晴れるの嬉しいって言ってたからいいじゃない。ユルは、反対なの? 弓削さんがティン兄様だったら、嫌なの?」


「そんなこと言ってないだろ」


「……だって。ユル、気が乗らないみたいだもの」


「前世の運命を、今世に持ち込むのが反対ってだけだ。それに、ティンは――」


「魂が削れて、まだ生まれ変われない、でしょ。何度も聞いたよ。私、それに関しては少し変だなって思ってるの」


 ククルは起き上がって、ユルに顔を近づけた。


「どうして、ユルがそんなこと知ってるの? それ言い出したの、ユルだったよね。私も、ティン兄様が無理したのは知ってるから、納得してたけど……」


「そういや、そうだな。多分、オレは聞いたんだと思う」


「どこで?」


「ニライカナイで」


 ユルの答えに驚いたものの、ククルはすぐに腑に落ちる心地がした。


「そっか……。私が、ティン兄様のこと聞かないはずないもんね」


「ああ。そこで聞いて、記憶の片隅に残ってたんだろ」


「どうして、ユルの方が記憶を取り戻すのが早いんだろ……」


 ククルなど、去年の夏にようやく断片を思い出したぐらいなのに。


「知らねえよ。でも、それなら納得だろ?」


「うん。……ユルは反対みたいだけど、弓削さんとティン兄様の関係は私、知りたい。何でもなかったら、それでいいし。もし弓削さんがティン兄様でも、兄様として見ない。弓削さんとして見る」


 きっぱり告げると、ユルは納得したようだった。


「わかった。オレ、もう行くから」


「うん。おやすみ」


 ユルは振り返ることなく、出ていってしまった。




 翌日は、キョウトを観光して回った。有名な寺社仏閣を巡ったり、古い街並みを歩いたりした。


 キョウトの大和らしい町並みは、どこか懐かしかった。


(琉球の昔の町並みとは、やっぱり違うけど)


 途中で入った和風カフェでククルは抹茶パフェを頼んだのだが、ククルの顔三つ分の高さがあって三人は仰天した。


「ど、道理でなんか値段高いなって思ったら……!」


「まあまあ、ククルちゃん。頑張って食べて。僕も夜も甘党じゃないから、手伝えないよ」


 弓削に励まされ、ククルは必死で抹茶パフェを食べていく。食べているそばから抹茶アイスが溶けるものだから、ククルは喋りもせずに必死にパフェを攻略する羽目になった。


「そういえば、弓削。お前の母親、ククルのことあんまり聞かないな」


 焦るククルを尻目に、ユルはホットコーヒーを飲みつつ、弓削に尋ねていた。


「そうだね。母も気づいているのかも。僕が見合い話を断るために連れてきた子、ってのは。ちょっとククルちゃんじゃ、幼すぎたかな」


(弓削さん、それってどういう意味!)


 詰問したいが、できないククルであった。


 


 夕方になって弓削の家に戻る。今日の夕食も豪華な和食で、ククルはすぐに満腹になった。昼に食べたパフェが尾を引いているらしい。しかし残すのは失礼だと思い、なんとか完食した。


 食後、部屋に戻ってひと心地つく。


 お風呂は、準備ができたら呼びにきてくれると弓削が言っていたので、しばし食後休憩……ということで、ククルは風呂の用意と荷物の整理をしたあと、座布団の上に座って足を伸ばした。


(明日、トウキョウに帰るんだ。なんだかんだ、あっという間だったなあ)


 修学旅行で行けなかったキョウトを観光できて、ククルは満足していた。あとはミッチーランドにさえ行けたら、思い残すことはないのだが……。


(ユルの休みが、全然ないもんなあ)


 学業に仕事にサークル活動に……と、ユルはやたら多忙なのだ。


(祥子さんは、甘えてみたらって言うけど……)


 言い出すのには、勇気がいる。


(かといって、私……トウキョウに友達いないしっ)


 唯一の友人である薫は琉球。エルザや伽耶は……友達とは言えまい。


(そうだ。弓削さんに、頼んで連れていってもらおうかな)


 図々しいだろうか。だめ元で、明日頼んでみようと決めたとき、ふと鏡台が目に入った。


 鏡の前の低い椅子に座って、首をひねってみる。


『ちょっとククルちゃんじゃ幼すぎたかな』と言われたことが、気になっていた。


「ククルちゃーん。入ってもいい?」


 いきなり弓削の声がしたので、ククルは「どうぞ!」と応じた。


「失礼します。ん? 肌のお手入れ中だった?」


「いえ……あの、弓削さん。私って、そんなに幼く見えますか?」


 ククルの問いに、弓削は目を丸くしていた。


「ああ……カフェで、僕が言ったことか。そうだね。でも、別に悪い意味じゃないよ。結婚前提の相手にしては幼く見えたかもしれない、って意味だから」


「うーん……。どうやったら、おとなっぽくなるんでしょう」


 ククルが鏡に向き直ると、弓削がその後ろに座った。


「そうだなあ……。髪型が少し、幼げかもしれないね」


「髪型?」


「ふたつくくりしてるのって、高校生以下の子が多いからね。下ろしてみたら?」


 弓削は止める間もなくククルの髪ゴムを外し、鏡台の上に置いてあった櫛でククルの髪をとかした。


「きれいな茶髪だよね。これって、染めてないよね?」


「はい、地毛ですよ」 


 トゥチのような濡れ羽色の黒髪に憧れたこともあったが、今となってはククルはこの髪の色を気に入っていた。ティンの髪と同じ色だからだ。


「更に前髪に分け目を作って、こうしてピンで留めてみたら……どうかな?」


 鏡台の引き出しにあったピンでククルの前髪を留めて、弓削は微笑む。


「うわあ。本当だ。いつもの自分じゃないみたい。女子大生ぐらいに見えます?」


「見える見える」


「わーい。今度から、この髪型にしようかな」


「いいんじゃない? ククルちゃん、おとなっぽくなりたかったの? 今日の僕の発言は別として」


「……そうなのかも」


 ふと浮かんだのは、エルザの顔だった。


 西洋人だから琉球人と違っていて当たり前だとわかっていても、エルザは本当に同じ年なのかと思うぐらいおとなびていた。


 ついでに手足はすらりと長いのに、胸はばーんと大きく……。


(どうして、エルザさんを意識するんだろう?)


 そう考えたとき、ぱんっと襖が開いた。


「…………何やってんだよ、弓削」


 ユルが厳しい声を出して、入ってきた。


「お風呂の準備ができたよ、って呼びにきただけだよ。君こそ、女の子の部屋に何の声もかけずに入ってくるとは、感心しないね」


「うるせえな。お前の話し声が聞こえたから、勝手に入ってきたんだよ。……呼びにきただけなら、なんで鏡に向かってるんだ?」


 ユルの問いに、弓削は苦笑していた。


「ククルちゃんが、おとなっぽくなりたいって言うから、髪型のアドバイスをしていただけだよ。どう? 夜。かわいいでしょ」


「…………」


 ユルは答えなかった。


(似合ってないのかな?)


 ククルは、途端に不安になる。


「わ、私……お風呂に行きます」


 沈黙が辛くてそう呟き、既に用意していたパジャマの入ったビニール製の袋を手に取り、立ち上がる。


 開いたままの襖から廊下に出て、早足になる。


「アホやなあ、夜。ああいうときは、すぐにかーいらしなあ……って言ってあげな。かわいそうやろ」


「うるせえな。なんで急にキョウト弁になるんだよ」


「あ、実家にいるとついつい。……とにかく、君はもう少し気を遣ったら?」


 後ろから弓削とユルの会話が聞こえてきたが、聞こえないふりをしてククルは風呂に急いだ。


(なんで、ユルに褒められないだけで、少し苦しいんだろう)


 ユルが女子の容姿を褒めない性格だということは、嫌になるほど知っているのに。


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