第十二話 住居



 正座をし、手を合わせて祈る。


 ざん、と波が打ち寄せる音に心が凪ぐ。


(やっぱり、海神の間はホッとするなあ)


 そんなことを思いながら、ククルは祭壇を見上げる。


 海神が祖先だからなのか。それとも、半神であったティンを思い出すからなのか。


 取り戻した記憶のかけらを、思い起こす。はっきりと顔が見えたわけではないが、海神は少しティンに似ていた気がする。実母のクム似かと思っていたが、父親にも似ていたのか。


 海神の間での参拝を終え、ククルは続いて空の間に向かう。


 空の神の間は、先ほどと違っていつも緊張する。


 性質的には、海神も空の神も同じぐらい苛烈な面を持っている。だが、空の神に対してこれほど緊張するのは、馴染んでいた力とは“異質”だからだろう。


 先ほどと同じく手順通りに祈りを済ませ、ククルは外に出る。


 生ぬるい風に、白い着物があおられる。


「……もう、三月かあ」


 そろそろ、ユルが帰ってくるはずだ。そうしたら、ククルを大和に連れていってくれる。


 夏以来、ククルは必死に勉強した。予備校のレベルについていけるか不明だったが、ユルの上司・羽前伽耶がククルが入れそうなところをもう見つけてくれているらしく、予備校に入れないという心配はなかった。


 だからといって、漫然と勉強するわけにもいかない。


 ククルは、一年で受からなかったら琉球に帰ると決めていた。


(ミエさんに、無理させちゃうものね)


 五年、という年数でさえ、かなりのわがままだと自覚している。だからこその、決断だった。


「ユル、元気かな」


 彼とは冬に会ったきりだ。相変わらず連絡無精だが、連絡がないのはいい便りとも言うし、とククルは鷹揚に構えていた。


 大和にもつながっているはずの、澄んだ海を眺めながらククルは手を合わせた。




 そしてとうとう、ユルの帰ってくる日になった。


 その日は御獄うたき掃除にも自然と気合いが入り、空の神の間では差し込む陽光に目を細めた。いつもよりいっそう、空が鮮やかな気がする。


(きっと、神様も嬉しいんだね)


 微笑んで、ククルは正座をして旅路の無事を祈った。


 飛行機の時間は半ば無理矢理聞き出しておいたので、ククルは三時頃、信覚島へと向かった。


 観光客に紛れて、空港でそわそわしてユルを待つ。


 十分ほど待っただろうか。見覚えのある姿が目に入って、ククルは飛び跳ねた。


「ユル! おかえりー! ここだよー!」


 手を振ると、彼は思いきり顔をしかめながらも、こちらに近づいてきた。


「迎えにこなくていいって言ったのに」


「迎えにくるって言ったから、いいの」


 言い返してみせると、ユルは虚を突かれたようだった。


「……元気そうだな」


「うん!」


「そんなに、大和行きが嬉しいか」


「……うん」


 本当は、ユルと離れなくていいのが嬉しい……というのが本音だ。だが、そんなことは照れくさくて言えなかった。


「さあ、行こうよ! 高良のおじさんおばさんも、ミエさんも待ってるよ!」


 促して歩き出すと、ユルは「はいはい」とおざなりな返事をしていた。




「新居を探す?」


 皆で豪華な夕食を取った後、ククルとユルは縁側に座って話をしていた。というのも、ユルに話があると言って呼び出されたからだ。


 思わず聞き返したククルの顔が面白かったのか、ユルはクッと笑う。


「あそこじゃ、ふたりだと手狭だろ」


「……そうだね」


 なお、ククルはふたりで住むというのが前提だということに一切違和感を覚えていなかった。


「一応、物件は見つくろってある。三月いっぱいであの部屋の契約は切れるから、それまでに引っ越せばいい」


 ククルは、そうなんだ、としか言えなかった。


 このあたりは、ユルに任せておけばいいのだろう。




 そうしてしばし島で過ごした後、ククルはユルと共に大和へと旅立つことになった。




 ナハで乗り継ぎすべく空港内を歩いていると、ククルはふと思い出した。


「ユル、本を探さなくていいの?」


 彼は古書研究会だ。いつかも、同じサークルの河東に琉球で貴重な本があれば買ってきてほしいと言われていた。


「ああ……。今日は乗り継ぎ時間があまりないから、いい」


「そう。あのさ、ユル。探してた本、見つかった? 河東さんが言ってた……。それって、何の本なの?」


 ずっと気になっていたことを、つい尋ねてしまった。


 質問を受けて、ユルは表情を強張らせる。


「……まだだ。何の本かは、お前には関係ない」


「…………」


 拒絶されてククルが立ち止まっている間に、ユルは歩いていってしまう。


 いつ、と唇が言葉を吐く。


 一体、いつになれば距離がいつかのように縮まるのだろう。


 悔しい思いを抱きながら、ククルはうつむきかけたが……


「あ――!」


「何だよ、騒々しい」


 ユルが迷惑そうに振り返る。


「弓削さんに、お土産買わなきゃ! 所長にも!」


 土産屋を通りがかって、思い出した。去年大和に行ったときには、弓削にも羽前所長にも世話になった。お土産のひとつやふたつ、持っていくべきだろう。


「土産? いらねえだろ」


「いるのー! ユルがお世話になってます、って言わないと」


 ククルの気遣いに、ユルは気を悪くしたらしい。鼻を鳴らして、顎でしゃくった。


「めんどくさいやつ。さっさと買ってこいよ」


「うん!」


 ククルは慌てて土産物屋で、めぼしいものを探した。


「弓削さんって、甘いもの好きかなあ……。所長には、みんなで分けられるようなものがいいよね」


 確認したが、ユルは店に入ってきてすらおらず、佇んでぼうっとしていた。


「んもー。ユルの知り合いへのお土産なんだから、教えてくれたっていいのに……」


 結局好みがわからず、マンゴープリンセットと小分けのパインケーキを買う。


 店から出ると、ユルが「そろそろ搭乗時間だぞ」と脅してきたので、ククルは荷物を抱えてばたばたと走ったのだった。


 


 トウキョウに着いて、ふたりはユルの家へと向かった。家探しは明日かららしい。


 相変わらず、トウキョウのひとの多さには驚く。ククルはびくびくして、ユルの後を追った。


(でも、しばらくここで住むんだから、慣れなくちゃね。最長で五年? 私、そんなに琉球から離れられるかなあ……)


 早くも弱気になってしまう。それほど、人混みはククルにとって毒に等しかった。


 家に着いてホッとして、倒れ込みそうになる。


「座ってろ」


 ククルの疲労を察したのか、ユルに促されてククルはちょこんと低いテーブルの傍に座った。


 ここに来るまでに買った、ジャスミンティーのペットボトルを目の前に置かれて、ククルはキャップを外してごくごくと飲み始めた。


 以前ここに来たのは、夏だった。今は春だから過ごしやすいはずなのに、それでもこれほど疲れるのか……とククルは自分にがっかりする。


 適応、できるだろうか。


「さすがに疲れたな」


 荷物を置いた後、ユルもククルの正面に座った。彼は緑茶のキャップを開けていた。


 なんだか急に照れてしまって、ククルはにこっと笑った。


「何だよ?」


「う、ううん。こうしてここに座るの、久しぶりだなあって思って」


「ああ……。お前が来たのは七月だったな。大体八ヶ月ぶりぐらいか」


「うん。時が戻ったみたい。弓削さんや所長さんとも、すごく久しぶり」


 明日は、午前に退魔事務所に寄ることになっており、午後から物件を見る予定だ。


 弓削や伽耶に会えるのが、楽しみだった。


(あ、弓削さんといえば……)


 気になることがあったのだ。


「ユルって、弓削さんのこと嫌いなの?」


「はあ? 急になんなんだよ」


「なんとなく、口調からして……。タラシだから気をつけろとか言うし」


「……苦手なタイプでは、あるな」


 その口ぶりからして、やはり懐いているとは言えないようだ。


(でも、ティン兄様ほど嫌っている感じはしない)


 彼には、ティンと近いものを感じるのだが、ククルの気のせいなのだろうか。


 生まれ変わりにしては早いし、転生した姿とは考えられない。だが、神の血が先祖返りしたククルが「なんとなく」懐かしさを覚えるのもおかしい。何か、理由があるはずだ。


(兄様じゃなくて、ご先祖様? でも、それならどうして大和生まれなんだろ。琉球は初めてだって言ってたし)


 考えれば考えるほど、わからなくなってくる。


「何を、ぼーっとしてるんだよ」


 ユルに呆れた声をかけられて、ククルはムッとする。


「考え事してたの!」


「どんな?」


「あ……」


 兄と弓削の共通点、と言いかけたところでククルは口をつぐんだ。


 ユルのティン嫌いは変わっていないだろう。なら、話題に出すだけで不機嫌になってしまう。それは避けたかった。


「あ、明日のこと。どう挨拶しようかなって」


「そんなの、適当でいいだろ」


「よくないのーっ」


「くれぐれも、オレが世話になってますとか言うなよ」


 じろりと睨まれて、ククルは身をすくませる。


「そんなに怒らなくていいじゃない」


「いや怒る。お前はオレの保護者じゃないんだからな。むしろ反対だろ。オレのが兄扱いされてたんだから」


「それは……でも同い年だし……」


「誕生日はオレのが早い」


 それを言われると痛い。ユルは七月、ククルは三月生まれだ。


「わかったよ。あのときはありがとうございました、って渡す」


「そうしろ」


 偉そうに言い捨てて、ユルは緑茶を飲み干していた。


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