第十一話 治癒 8



 ミエに提案されてからも、ククルはユルに相談することはなかった。ミエも、黙っていた。本人たちに任せようと思っているのだろう。


 今年の祭りは、魔物が現れることもなく、無事に終わった。


 相変わらずユルの二才ニセー踊りは見事で、観客を湧かせた。トウキョウで稽古できていたとは思えないが、基礎がしっかりしているからだろう。


 ククルの女踊りも、昨年ほどの悲壮さを出すことはできなかったが、後で「どこか淋しげなのが合っていた」と褒められた。


 その後の宴会で、大人たちが酔っ払う中、ククルはジュースをちびちび飲んでいた。


「……なあ」


 いきなり隣に座っていたユルが声を出したので、ククルは驚いてユルに目線をやる。


「お前、オレを避けてるか?」


「…………そんなことないよ。忙しかっただけ」


「なら、いいけどさ。……もう、行くか」


 腰を上げたユルに促されて、ククルは頷いて立ち上がった。


 近くにいた高良に声をかけ、二人は会場を出ていった。




 外に出て、示し合わせたわけでもないのに、海への道を辿っていた。


 浜辺に出て、二人は黙って暗い海を見つめ続けた。


「何か、言いたいことないのか」


 静かに問われて、ククルはユルを仰ぐ。


「……ミエさんに、提案されたの」


 そうして、ククルはミエの提案を語った。


「お前は、そうしたいのか?」


「……わからない。でも、ミエさんがノロを務められるのはあと数年。この機会を逃したら、ずっと私はここから出られない。昔は、それでいいと思っていた。でも、たまに思い出すの。大変だったけど、高校通うの楽しかったな、とか。私が大学で勉強しても、別にどうにもならないとはわかってるけど」


 ククルは彼の視線に耐えきれなくなって、うつむいた。


「なら、来たらいいんじゃないか」


 ユルの答えが信じられなくて、ククルはハッとして彼を見上げる。


「嘘? ほんとに? 大和だよ?」


「もしナハでも、ここから出るのなら同じだ。それなら、オレの傍にいた方が安全だろ」


 それに、とユルは付け加えた。


「お前の言う通り、一旦出たいならここを出ればいいんだ。もう、昔みたいな時代じゃない。もちろん、大学を卒業したらここに帰らないといけない。それでもいいんだな?」


「うん。でも、私が勉強しても」


「――倫先生が言ってた。無駄な学問はないって。いつか役に立つし、たとえ役に立たなくても心を豊かにすれば、それは学問としての役割を果たしているんだと。だから、もし学問に迷う人がいればそう言ってやりなさい……ってさ」


 倫先生の言葉を引用してまで励ましてくれたことが嬉しくて、ククルは口元を綻ばせた。


「だからお前が少しでも勉強したいっていうなら、オレは止めない。自分で決めろ」


 突き放すような口調だったが、拒まれないことが嬉しかった。


「…………私は」


 高校でも、勉強なんてわからなくて。現代大和語を覚えるだけで必死で。


 楽しかった、とはとても言えない。


 だけど…………


「やって、みたい」


 なぜか、ふつふつと熱が湧いてきた。


 それは原始的な、ただの欲求かもしれない。ずっと、ここに居続けるのが嫌なだけかもしれない。


「そっか。なら、来年になるな。春に、トウキョウの予備校に入ればいい。来るまで勉強しとけよ」


「うん――」


 ククルは嬉しくて、何度も何度も頷いた。


(私は来年、トウキョウに行くんだ)


 じんわりと温かくなった胸を押さえた時、ごおっと風が吹いた。ただの海風ではない、攻撃的な風だった。


「何だ……?」


 ユルも不審に思ったのか、暗い海の向こうを睨みつける。


「神様の、警告?」


「何の、警告だよ。代理でミエさんが御獄を祀ってくれるんだろ? オレたちが帰ってくる前と同じだから、怒ることないだろ!」


 ユルの、それこそ怒った声が響くと風が徐々に止んでいった。


 すっかり風が絶えて、二人は顔を見合わせる。


「何だったんだろな」


「さあ…………」


 でも、とククルは思う。神々は、ククルがここから出ていくのは面白く思わないだろう。ミエも立派なノロだが、海神の血を引くわけではない。


 正当な後継者は、あくまでククルだ。最後の兄妹神の片割れ。海神の血を伝える者。


 この役割から、逃げてもいいのだろうか。


 不安になって、ククルはぎゅっと拳を握った。


 ククルの不安が伝わったのか、ユルはククルの頭にぽんと手を置いた。


「あんまり気にするな。お前の使命は、オレの浄化と治療なんだろ? それなら、一緒に来た方が役割果たせるじゃねえか。それに、お前だって別にこの島を出ていいんだ。どこに行ったって、いいはずだろ」


「……うん」


 慰めてくれるのが、おかしくて。思わずふふっと笑うと、ユルも少しだけ笑ってくれた。




 それから三日後、ユルは琉球を発つことになった。


 ククルはまた、信覚島の空港まで見送りに来ていた。


 数ヶ月前のように、ククルは泣いたりしなかった。


「じゃあな、ククル。魔物には気をつけろよ」


 ユルはちっとも名残惜しそうなんかではなく、荷物を持ってさっさと行ってしまう。


「うん! 着いたら、電話してねっ!」


 ククルは群衆に紛れていくユルに大声で呼びかけて、手を振った。


 前に見送った時のような、絶望感はない。


(だって私も、来年ユルの傍に行くんだもの)


 手を下ろし、ククルは目をつむる。こんなに騒がしいところでも、心が凪いでいれば祈りはできる。


 だからククルは手を組み、兄弟エケリの無事を祈った。

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