第十一話 治癒 7
すっかり忘れていた。あの時、ユルは前後不覚の状態だったので、連絡していないだろう。
ククルは走って、家まで戻った。
ちょうど朝食の支度を手伝っていたユルが、息を切らせたククルを見て眉をひそめる。
「どうしたんだ?」
「ユル、弓削さんに連絡した?」
「…………」
どうやら、していないらしい。
「じゃあ、私がしておくね!」
「お前、弓削の連絡先知ってるのか?」
「ちゃんと弓削さんが登録してくれたの!」
ククルは大急ぎで、階段を駆け上がった。
机の上に置いてあった携帯電話に飛びつき、ロックを外す。
「えーと、ゆ……弓削さん。これだあ」
ククルも、電話帳から誰かを捜して電話をかけられるまでには、進化していたのだ。
何度めかのコール音の後、眠そうな声が応じた。
『……はい』
「あの、私、ククルです」
『ああ、ククルちゃん! 夜の様子は、どう?」
「浄化完了しました。ごめんなさい。実は、その後ユルはずっと眠っていて、その次は私が倒れてしまったりして。連絡が遅れてしまって」
『あれあれ、大変だったんだね。でも、夜の浄化ができたとはさすがだね。どうやったの?』
弓削に問われて、あのことを思い出してしまってククルは頬に熱を覚える。
(か、神がかり状態だったから仕方ない! ユルも、〝しょうがねえ〟って言った!)
どう説明したものか、と迷った後、ククルは口を開いた。
「ユルと私、偶然海に落ちてしまったんです。でもそれが、かえって良くて。私の祖先は海の神だから、琉球の海でこそ力を発揮できたみたいで」
『ふうん。でも、本当にそれだけ?』
弓削の一言に、ククルはぎくりとした。
「いえ。私の持ってた短刀の使い方が、間違っていたんです」
ククルは、ざっと命薬のことについて語った。
『なるほどね。傷口に刺すのは思いついても、浄化のために刺すとは思えなかったと。君の気持ちはわかるよ。…………もっと話を聞きたいところだけど、そろそろ支度をしなくちゃ。所長にも報告しておくよ』
「はい、ありがとうございます!」
通話を終え、ククルは息をついて携帯電話を机の上に戻す。ふと気配に気づくと、戸口にユルが立っていた。
「か、勝手に入らないでよ」
ククルが文句を言うと、ユルは肩をすくめた。
「一応、入るぞって言ったけど?」
電話中に気づくわけがない、とククルは口を尖らせる。
「どう報告するか、興味があってな」
「別に、今ので問題なかったでしょ?」
「ああ」
と言いつつ、ユルはどこか面白くなさそうだった。
報告も終えて、ククルは日常を取り戻していった。
朝な夕なに神事をこなし、
ユルは以前のように、一日一回は仲田家に本を読みにいって、あとは二才踊りの稽古に出ていた。
(まるで、ユルがいなくなる前みたいだ)
ククルは公民館で女踊りの練習をしながら、思う。
(ずっと、そうだったらいいのに)
そんな思考が頭をかすめて、ククルは体の均衡を崩す。転びはしなかったが、ひやっとした。
「珍しいわね、ククルさん。何か、考えごとでも?」
舞の先生が、やわらかな口調で問いかける。
「……いえ」
ククルはうつむき、青くなっているであろう顔を隠す。
(私は、ユルの旅立ちをまだ祝福できていなかったの?)
いや、違う。たしかに、あの空港でククルはユルを掴んでいた手を放した。だからこそあんな喪失感に襲われて、泣いたのだ。
きっと、会いに行ったせいだ。そこで、ユルが自分の世界を作っていることに衝撃を受けたのだ。
喜ばないといけないのに。ククルは、この狭い島で変わらぬ生活をする自分と比べてしまったのか。
「気分が悪いなら、ここまでにしておきましょうか」
そう言われては、頷くしかなかった。
そろそろ祭りだからか、島はどこか浮き足だった空気に包まれている。
公民館を出て、海辺に佇む。夕刻であるせいか、観光客の姿もなかった。
今日の海は少し荒れていた。夕日を受けて赤紫色になった波が、寄せては打ち返す。
「ククル様」
呼ばれて振り返ると、高良ミエがやってきた。
「ミエさん」
「少し、話をしませんか」
「話?」
「ええ。年の功なのか、あなたの心が少しわかるのです。あなた自身も気づいていない、願いが」
ミエはつらつらと述べて、ククルに並んだ。
「願いって、何?」
ククルは眉をひそめて、海風にあおられる茶色い髪を抑えた。
「…………あなたは、ユル様の傍にいたい。違いますか」
指摘され、ククルは凍りついた。
「でも」
「まあ、聞いてください。事情は教えてくれましたね。力の分離、そしてそれぞれの使命」
ユルは大和で魔物を狩り、ククルはそんなユルを癒して浄化する。
「たしかに離れていても、ユル様がたまに帰ってあなたに浄化ないし治療をしてもらえばいい話です。ユル様の判断は、おかしくなかった。彼は浄化のことは知らなくても、それでいいと決断したのでしょう? ……ユル様は、
繰り返し問われて、ククルは暮れなずむ空を見上げた。
(本当は)
涙と共に、本音が零れた。
「私も、ユルと一緒に行きたい」
一人の世界を作らないでほしい、わけではない。自分を忘れないでほしいのだ。
ミエは全てわかったような理知的な目で、頷いた。
「ククル様。ずっとは、無理です。でも、数年ならまだ私にもノロが務まります。腰は痛いですけどね」
ミエは、くすっと笑った。そうすると、彼女が少女のように見えるから不思議だ。
「あなたはノロで、兄妹神の片割れというだけではなく、和田津ククルという一人の少女です。それを、忘れないで。もう数年、和田津ククルでいますか?」
「でも……どうやって。私は、ノロとしてしか生きられないし、これが使命で天職だって知ってる」
それ以外の生き方なんて、考えたこともなかった。ユルがククルに秘密で大学を決めている間も、ククルは迷いもしなかった。
「浪人生として、大和で勉強すればいいのです」
「ろーにんせい?」
「ええと、大学受験に備える学生とでも言えばいいでしょうかね。予備校もありますし。そのあたりは、帰って詳しく。とにかく、大学の偏差値にこだわらないのなら、トウキョウには大学がたくさんあります。どこかには、入れるようになるでしょう。そこで、四年間学生をすればいい。そしたら、五年もユル様と一緒にいられます。幸い、カジ様の残された遺産は相当なものです。素晴らしい目利きだったようで、今もなお、いえ今になって価値があがったものがいくつもあり、ククル様がトウキョウに行って暮らす資金にも困らないでしょう」
ミエの説明に、ククルは考え込んだ。
「でも、そうしたらこの島に兄妹神のどちらも欠けることになる……」
「はい。だから、あなたも海神の間に何かを置いていってください。何とか、なるでしょう」
ふっ、とミエは優しく微笑んだ。
「ククル様。淋しかったら、淋しいって言わないと。ユル様もわからないんですよ」
では、と一礼してミエは浜から遠ざかっていった。
残されたククルは着物を風にあおらせたまま、拳を握る。
(淋しい、なんて)
わがままでしかない。そんな気持ちをぶつけられても、きっとユルは困るだろう。
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