第十一話 治癒 4
弓削春貴は、
せっかく来たのだし、このまま何も見ずに帰るというのも勿体ない、と思ったのだ。まだ店も開いているし、少しだけならいいだろうと。
ふと、
「いらっしゃいー。うちは、弾くのは無料だよ」
いきなり店主に三線を渡されて弓削は眉をひそめかけたが、人のよさそうな顔を目にしては、とても断れなかった。
「三線なんて、弾いたこともないんだけどな」
「まあまあ兄さん、ここに座って」
示された椅子に座って、三線を困ったように見下ろす。構え方すらわからない……と思いきや、いきなり頭がぼうっとして、弓削の手は無意識に動き始めていた。
「へえ!? 兄さん、大和の人かと思ったら琉球人かい!?」
「いや……大和人なんだが」
「そうなのかい!? でも、今弾いたのは、この諸島に伝わる古い民謡だよ?」
「古い、民謡?」
明るい音階で紡がれる、三線の音は耳に心地よい。自分が弾いているという事実さえなければ、聞き惚れただろうに。
気味が悪くなって、弓削は三線から手を話して店主に返した。
「申し訳ない、勝手に弾いて」
「いや、薦めたのは俺だから……。おい、待ってよ兄さん! もっと他にも弾けたりしないのかい?」
「無理無理。今のはたまたま、だから」
弓削はやんわりかわして、店を出た。灼熱の太陽を見上げて、弓削は首をひねる。
「霊にでも取り憑かれたのか……?」
念のため、懐の護符を取りだして呪を唱えたが、特に何も変わりないようだった。
(それか、琉球の妖怪にでも化かされたんだろうな)
そう思い込み、弓削はまた歩き始めた。
翌朝、ククルは朝の祈りを終えた後、着がえて支度をした。
「おばさん。私、出かけてきます」
「はーい」
居間で、テレビを見ている高良夫人に声をかける。そこに、ユルの姿はなかった。
「ユル、まだ起きてきてないんですか?」
「ええ。疲れてるんでしょうね。起こさずにいようと思うの。ユルくんも一緒に行くの?」
「いえ。これは、私の用事なので」
ただ、起きてこないユルが心配だっただけだ。昨夜、ユルはあのまま眠り込んでしまい、夕食の時間だと起こしにいったのだが、「いらない」と言い捨てて眠り続けたのだ。
(浄化が上手くいったから、心配ないと思うけど)
ずっとケガレに侵されていた体が、急激に休息を求めているのかもしれない。
「大丈夫ですよ、ククル様」
高良夫人の傍に座っていたミエが、ククルに頷きかける。
(そうだ、ここにはミエさんもいる。大丈夫だよね)
ククルは拳を握って、「それでは、いってきます」と告げて家を出た。
連絡船で
(今思えば、信覚島をゆっくり歩くのって久しぶりかも)
高校卒業以来、ククルは神の島からほとんど出ていなかった。
こんなにも便利になったのに、不思議な話だ。昨日まで大和にいたなんて、信じられない。
八重山の中では一番の都会とはいえ、信覚島にはトウキョウよりも数段ゆったりした空気が流れている。
考えごとをしている内に、目的のカフェに着いた。学生時代は、お洒落すぎて気後れしていたカフェだというのに、大和で数段上のお洒落なカフェを経験した今となってはどこか野暮ったく見えるから不思議だ。だが、ククルにはその野暮ったささえ心地いい。
既に、薫は席に着いていた。
「ククルちゃーん!」
「薫ちゃん!」
ククルは小走りで、薫の元に向かった。
「ここのモーニング、食べたくなってさ。すみませーん」
ククルが席に着くなり、薫は声をあげて店員を呼んだ。
「モーニングセット二つ! 私はアイスコーヒー。……ククルちゃんは?」
「私は、オレンジのジュースで」
注文を終えて、二人はホッと一息をつく。
「ええとね、これトウキョウイチゴ」
「ありがとう! これ、ナハのマンゴーケーキね。信覚島でも買えるから、有り難みないかもしれないけど」
「そんなことないよ。ありがとう」
お土産を交換し合って、ククルと薫は微笑み合った。
すぐに、モーニングセットが運ばれてくる。パンケーキにフルーツという、女子の好きそうなものが一皿に載っていた。
「ククルちゃん、大和は初めてだったんでしょ?」
「う、うん」
「どこに観光に行ったの!?」
「観光…………」
ショッピングモールと、ユルの大学にしか行っていない。
ククルは大きなため息をついた。
「えっ。私、悪いこと聞いちゃった?」
「ううん、違うの。でも、今回行ったのは、ユルの具合が悪いって聞いたからなの。だから観光はできなかった」
多少の嘘を交えて説明すると、薫は眉をひそめた。
「そうなんだ。ごめんね、はしゃいじゃって。雨見くん、大丈夫?」
「気にしないで。しばらく静養すれば、平気だと思う」
「そっか……」
「薫ちゃんは、どう? ナハでの生活」
「んー、楽しいよ。漫画や絵のこと学べるって、すごくいい。それに、ナハはここに比べると都会だけど、大都会すぎないのがいいよね。私もトウキョウ行ったことあるけど、あそこに住めるとは思えないもの」
「そうだよねえ」
ククルも、あの人混みを思い出すとゾッとしてくるのだった。
その後、朝食を食べながら色々なことを話した。そして話題が途絶えたところで、ククルは思い切って話をすることにした。
「ねえ、薫ちゃん」
「ん?」
「これはー、えっと、私の知り合いの経験談なんだけどね。相手の合意なしに口づけする、ってダメだよねえ……?」
「へ? それはまたいきなりだね。でも、うーん。二次元ならオッケーかな」
「二次元なら?」
「漫画や小説なら、ってこと。映画でも、いいか。まあフィクションの――虚構の世界なら、〝萌え!〟だし、いいと思うよ」
薫の説明を受け、ククルは首を傾げた。
「じゃあ、現実世界では?」
「それは、痴漢になるね」
即答されて、ククルは凍りついた。
(痴漢!)
「そ、それをしたのは女の人だったんだけど……」
「じゃあ痴女だね」
(痴女!)
ククルが固まっていると、薫は「どうかしたの?」と不思議そうな顔をしていた。
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