第十話 退治 5
「ううん……」
ククルは目を覚まして、身を起こした。隣のベッドで眠るユルを見て、慌てて飛び降りる。
「待って、ククルちゃん」
見れば、弓削が椅子に座って苦笑していた。
「無理しないで。君も倒れたんだから」
「私が、倒れた?」
「そう。救急車に乗り込んだ途端にね。君も妖気を吸い込んでいただろう。無事なわけがない」
「……でも、私の妖気は」
「ああ。どういう仕組みかわからないけれど、夜が吸い込んでいたね」
弓削は立ち上がって、ユルのベッドに近づいた。ククルもそおっと足を下ろして、ゆっくりと彼の元に行く。
白い布団を、弓削が引き剥がす。ユルの腕はもちろん、首も真ん中のあたりまで薄墨のような黒に染まっていた。
「ユル!」
口を覆って涙をこらえて、ククルは屈んでユルにすがりついた。
「あの妖怪があっさりやられたのは、君が妖気を吸い取っていたからだろう、ってのが所長の見解だ。すごいね、その短刀」
「……本来、ああいう風に使うものじゃないんです。ユルの傷を癒すだけの力しかないはずなのに」
「そうだろうね」
弓削の発言に、ククルは首を巡らせ、彼を見つめる。
「何か、知ってるんですか?」
「知ってる、ってわけじゃないよ。だけど、妖気を短刀を通して吸い取っても役に立つとは思えない。魔を取り込むのは危険すぎるからだ。実際、君はあの時は浄化できなかったね。なら、それは本来の使い方じゃないんだ」
「……そう、ですね」
「ああ。ただ、それは〝吸う〟力はあるんだろう。それをどう使うか、思い出さないといけない……というのも、所長の意見だね」
弓削は肩をすくめて、続けた。
「所長が、琉球行きのチケットを取ってくれた。出発は、明日だ」
「明日!? でも、こんな状態じゃ」
「所長は、それがいいと言っていた。確証もなく言うひとじゃない。千里眼で見たのかもしれない。琉球に行かないと、夜は危ないんだろう」
「そんな」
ククルは立ち上がって、改めてユルを見下ろした。
「しばらく、夜を見てて。僕は君が目覚めたことを、報告してくるよ。そうそう、冷蔵庫に水やジュースが入ってるから、自由に飲んでね」
弓削は手を振り、病室を出ていってしまった。
ククルはさっきまで弓削が座っていた椅子をユルのベッドの傍まで引きずって、座った。
「
短刀を右手に顕して、ククルはユルの腕に刀身を滑らせた。
(これを刺したら、また私に妖気が移る)
そうすればいいのではないか、と思えた。だが、それでは本末転倒だ。
(ユルと私なら、浄化できるのは私の方だ。だからユルは、妖気を移した)
ククルは刀身で腕をなでるだけにして、祝詞を唱え続けた。その甲斐あってか、ユルの青白かった顔に朱が差してきた。
(あ、起きる)
予感が当たり、ユルの目がゆっくりと開かれ、こちらに首を向けた。
「…………ククル」
「ユル。大丈夫……じゃない、よね」
「ああ…………」
「明日、琉球に帰るようにって所長さんが言ってた。でも、動ける?」
「そうか。……まあ、何とか……なるだろ」
ユルは首を元の位置に戻して、天井を見上げていた。
彼のかすれ声で、きっと喉が渇いているだろうと思い至る。
ククルは病室の片隅にあった、小さな冷蔵庫まで小走りで近寄っていった。開くと、弓削の言っていた通り缶ジュースやペットボトルの水が入っていた。
「ユル、何飲みたい? 水とオレンジジュースとマスカット……」
「水」
全て言い切る前に、一番簡素なものを指定されて、ククルはペットボトルを掴んだ。
ユルのところに戻り、キャップを開けてやる。
はい、と差しだそうとしたところで、彼は起き上がれないのだと気づく。それどころか、腕が動かせないのだ。
ばつが悪いのか、ユルは何も言わずに目をそらしている。
(ユルの性格じゃ、〝飲ませて〟なんて言えないよね)
ククルは咳払いしてから、椅子に腰かけた。
「の、飲んで」
ククルがペットボトルをぐいっと差し出すと、ユルは観念したように口を開けた。ククルは慎重に、ペットボトルの位置を調整する。その甲斐あって、水は彼の顎や胸を濡らしながらも、大半は彼の口内に収まった。
「――もういい」
そう言われて、ククルはペットボトルを放す。半分ほど、なくなっていた。
ククルは近くに置いてあったタオルで、ユルの濡れた部分を拭う。
「…………悪いな」
ユルが素っ気なくそう言うと、ククルは微笑んだ。
「ううん。このぐらい、させてよ」
その言葉が意外だったのか、ユルは目をすがめている。
「お前も病院服だけど、何でだ?」
「私も倒れたんだって。救急車に乗ってすぐに。弓削さんがさっき、教えてくれたんだよ」
「弓削? 弓削がいたのか」
「うん。少し前まで、椅子に座って私たちを見守ってくれてたの」
「……今、いなくてよかった」
ユルの呟きに、ククルは思わず首を傾げたが、すぐに彼が何を言いたいかわかった。
水を飲まされる光景を見られたら恥ずかしい、ということだろう。
思わず笑ってしまいそうになったが、ククルはユルの腕すら動かせない状況を思い出して、表情を消した。
「どうしたんだ?」
「…………腕も動かせない、って思ったら」
「安心しろよ。そろそろ、力が入ってきたから」
「本当?」
「ああ。多分な。それより――すげえ、眠い。眠らせてくれ」
「うん。私、ここにずっといるから」
ククルが必死な形相で訴えた時、ルルルル……と携帯電話の着信音が響いた。それは、ユルの枕元のテーブルに置いてあった。
ユルが動けないので、代わりにククルが携帯電話を取る。画面には『河東』と表示されていた。
「河東さん……だって。部活のひとだよね?」
「あー河東か。悪い、ククル。オレの代わりに出ておいてくれ。今にも寝そうだ……」
「う、うん!」
ククルは、通話ボタンをスライドさせる。その時にはもう、ユルは目を閉じて、寝息を立てていた。
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