第十話 退治 3
ククルが連れていかれたのは、公園だった。猫の額、という言葉がぴったりな、かわいそうなぐらい小さな公園だ。並べてある遊具も、少し申し訳なさそうに見えてしまう。
ククルの思考を見抜いたのか、伽耶は笑った。
「おかしい? でも、こんな都市部ならこんなものよ。この公園も、頑張ってるのよ」
「…………あの、はい」
どう答えていいかわからず、妙な応答をしてしまった。
「さ、こっち。立ちっぱなしになるけど、我慢してね」
伽耶に続いて、事前に誰かが描いていたのであろう結界に入ると、背筋が伸びた。
ふと振り返ると、少し向こうがぼやけて見えた。
空を見上げる。陽の落ちた空は、紺に変わろうとしていた。
ぞわり。突如、ククルの背筋に悪寒が走った。
「…………来たわ。あなたも、感じるのね」
伽耶は空を見上げて、スマホを取りだした。ボタンを押して、ぴんと張った声を出す。
「みんな、お出ましよ。場所は北北西。優雅に、空を滑空。雨見くんの気配には気づいていないでしょう。それに、まだ遠い。この付近に現れるのは、もう少しかかる」
伽耶の指示に、次々と『了解』という返事が来る。
「ど、どういう仕組みなんです?」
思わず尋ねると、伽耶は眉をひそめた。
「ん? グループ通話よ。便利でしょう。あれ? でも、あなた琉球で女子高生やってたんでしょ? それなら、別に不思議じゃないわよね?」
「はあ……」
ククルは携帯電話を使うだけでも精一杯なのだが、なんとなくその旨は言わないことにした。
「夜になると、ここまで人気がなくなるんですか?」
話題を変えるべく、ククルは伽耶に尋ねた。
「あー、それはね……。言ったでしょ、これは政府の依頼だって。一応、あの事務所は政府の下請けだと思って。だから、こういう風な大物が来たら特別措置を取るのよ。企業は社員を早く帰し、電車もストップ。国と都が制御してるの。だから今、都民はほとんど家の中のはずよ。ホームレスの人たちもシェルターの中」
「ええっ。そんな、大々的な措置が取られるんですか」
「そう。ここは魔都市の異名を持つ都よ。過去、何度も大妖怪が降臨しては人々を蹂躙したの。本来、この都は眠らない。夜中でも、仕事や遊びで歩くひとは後を絶たない。そういうひとたちは絶好の餌になる。だから、いつからかこういう措置が取られるようになったの」
伽耶の話に、ククルは唖然としてしまった。
「どうして、そんなにトウキョウには大妖怪が?」
「さあね。ひとの集まるところには、妖怪も溜まると言うわ。そして、ここは瘴気が溜まりやすい」
だからでしょうね、と続けかけた伽耶のスマホが甲高い音で着信を告げる。
ボタンを押して、伽耶は「はい」と答える。
『所長。変です。使い魔を送っていたのですが、観測していた予定進路が…………』
知らない所員の声だった。
「ええ。ちょっとおしゃべりをしていて、見るのが遅れたわ。明らかに、ずれてるわね」
伽耶は空を睨み、舌打ちした。
「嘘でしょ。このままじゃ」
『ええ。所長のところに行きます』
その応えに、ククルは自分を抱きしめた。
しかし、たしかにさっき感じた嫌な気配はどんどん近づいてくる。ぞわぞわと、首の後ろの産毛が逆立つ。
「おかしいわ。なぜ、雨見くんに引き寄せられないの! 雨見くん!?」
『…………所長。多分、
ユルの声も、緊張感をはらんでいた。
「わかったわ。といっても、ここを抜け出すとあっちから見える。この結界は多少は妖怪の攻撃を防ぐから、出た方が危険よ」
『違いありません。動かないでください。先に式神を送ります』
今度は弓削の声が響いた。
「聞いた、ククルさん? ここで、待っていましょう。…………しまったわね。作戦ミスよ」
「所長さん。私が、ここに来なかった方がよかったんですね……」
「琉球からトウキョウに来てしまったことについては、イエス。この結界に来たことについては、ノー。雨見くんの家にいたら、もっと危なかったわ。対策が取れなかったもの」
伽耶が喋っている内に、古めかしい白い着物に身を包んだ少年が飛んできた。髪を高く結った少年は、ククルと伽耶の前に舞い降りて一礼し、空を見上げた。
「この子は…………?」
「弓削くんの送ってくれた、式神。一応の護衛、ってところね」
少年は背中に弓を背負い、腰に刀を帯びていた。武装しているというだけでも、頼もしく見える。
「結界が破られたら、この子が戦ってくれるわ。その前に、みんなが間に合ってくれることを願いましょう」
気楽な声を出しながらも、伽耶の眉間には皺が刻まれていた。
伽耶とククルは非戦闘員だ。だからか、他のペアとは離れた位置に陣取っていたのだ。安全のためだったのだろうが、今となっては裏目に出てしまった。
彼らが駆けつけるまでには、時間がかかるだろう。
ククルは、猛烈な寒気を覚えた。伽耶は、ククルを安心させるように手を握る。彼女も、顔に出さないだけで怖いのだろうか。
音もなく、それは空から弧線を描いて降りてきた。翼もないのに、空を泳ぐように滑って、ククルと伽耶と式神の目の前に巨大な姿を現したそれは、蛇の形をしていた。
叫びそうになったところで、伽耶がククルの口を手でふさぐ。
蛇の妖怪は、結界に向けて首を伸ばした。その舌が、結界に触れた瞬間に結界がびりびりと震える。
手応えを感じたのか、妖怪は首を振りかぶって結界にぶつかってきた。
結界が揺れ、びしりと光の壁にひびが入る。
「これはもう、無理ね。走るわよ!」
伽耶はククルの手を引き、走りだす。ふたりが結界から出た瞬間、結界は三度目の体当たりによって粉々に砕けてしまった。
こちらに襲いかかろうとする妖怪に、式神の少年が刀を抜き放って飛びかかる。
ククルは走りながら、その光景に釘付けになっていた。
「前を向いて、走るのよ! 式神も、そう長くは持たないわ!」
伽耶に叱咤されて、ククルは前を向き、足を動かすことに集中した。
いつの間にか、二人はビルの建ち並ぶオフィス街に出ていた。
そしてふと、ククルは気配に気づく。真上から、何かが降ってきた。
「来たわっ!!」
伽耶がつんざくような悲鳴をあげる。
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