第十話 退治 2
夜まで休んでおくといいと言われて、ククルは休憩室に通された。
ユルと弓削は細かい打ち合わせをしないといけないらしく、ここにはククル一人だけだった。
休憩室といっても、ソファと自動販売機があるだけだ。先ほど飲んだカフェモカの甘さが口に残っていたので、ククルは自動販売機でペットボトルの冷たい緑茶を買った。
ソファの端に座ってちびちび茶を飲んでいると、扉が開いた。
「どうも。お邪魔するわね」
微笑んで入ってきたのは、伽耶だった。
「いえ……その」
ここは彼女の事務所なのだから、お邪魔しているのはククルの方なのだが。
「煙草吸っていい?」
問われて、ククルは頷いた。休憩室の片隅には背の高い灰皿がいくつもある。元々、喫煙所でもあるのだろう。部屋中に、煙草のにおいが染みついていた。
「ありがと。もし煙草が苦手なら、違うところに行っても大丈夫よ。今は会議室も空いてるし、仮眠室もあるから」
「いえ、平気です」
「そう。……ね。なんだか、あなた。私が苦手みたいね」
伽耶は笑って、煙草にライターで火を灯した。
「いえ。違うんです。あなたは、私を見抜いてしまうから、怖いだけです」
「怖い?」
「私は、ユルに必要とされてない。ユルはここでしっかりと、自分の世界を作っていた。ユルが困っているんだと思って、ここに来たはいいけど…………何も、役に立てない」
ククルはうつむいて、ペットボトルを両手で握り込んだ。
「要は、淋しいのでしょう?」
伽耶は煙草の煙を吐き出した後に、問う。
「…………そうです。私だけ、淋しい」
「ま、野暮なことは言わないけどね。覚えておきなさい。雨見くんは、大切なものほど遠ざけるのよ」
「遠ざける? どうして」
「雨見くんは、自分が嫌いだから」
伽耶の一言に、ククルは虚を突かれた。
「それに、私の千里眼もまあ……大したものだと自負はしているけど。あなたの方が、すごいじゃない。私、雨見くんに初めて会った時、驚いたわ。まなうらに、青い海と空が見えた。手をつないだ、少年と少女も。今もあなたに、見えるわ。その体に流れる琉球の神の血が」
じっと見つめられて、ククルは落ち着かない気持ちになる。
「ポテンシャルは、あなたの方が高そう。ただ、使い方を知らないだけ。雨見くんを助ける方法も、まだわからないんでしょう?」
「……はい」
「急いでね」
「少し、マシにはなってると思います。でも……今日、ユルを戦わせないというのは、できませんか」
「計画が台無しになるじゃない。無理。雨見くんを要として置いた以上、変更はできないわ。私だって、普段なら調子の悪い子に無理させるような鬼じゃない。でも、先日の戦いで結構な怪我人が出ちゃってね。しかも、今度の大物はトウキョウを直撃する。取り逃がすわけにはいかない。お偉方への面子もあるのよ」
伽耶は、灰皿に灰を落として赤い唇の端を上げた。
「実はこの事務所に依頼をしているのは、大和政府よ」
「えっ!?」
「それだけ、大和には害なす妖怪が多いの。特に、トウキョウはね。琉球はそれほどでもないと聞いたわ。羨ましい」
「琉球は大和より、狭いですから。でも、
実際に、被害も出ていた。しかし、伽耶の口ぶりからすると大和に現れる魔物――妖怪は桁違いに多く、強いようだ。
「ま、それもそうね。あなたは、ずっと昔の琉球を知っているんでしょう? やっぱり、現在よりも海と空は美しかった?」
突然とも言える問いに、ククルは昔の景色を思い描こうとした。だが、上手く思いだせない。
「多分。でも、大きくは変わっていないかもしれません」
今も、琉球の海と空は美しい。たしかに、昔はもっと澄んでいた気もするけれど。
「そう。いきなり、ごめんなさいね。雨見くんや、あなた越しに見る青があまりにも美しいから」
「…………それは」
もしかすると、伽耶は自分たちを通して実際の琉球ではなく、ニライカナイを見ているのかもしれない。
そう言いかけたところで、ジュッと音を立てて伽耶が煙草を消した。
「それじゃあ、またあとで。ごゆっくり」
伽耶は手を振って、あっという間に出ていき、後には紫煙だけが残された。
ククルはその部屋で座っている内に眠くなってしまって、横になって眠り込んでしまった。
「ククル」
心地いい声と共に揺り動かされて、ククルはゆっくりと目を開ける。
「……ユル」
「大丈夫か?」
ユルは首を傾げて、ククルの顔をのぞき込んだ。
ククルは頷いて、身を起こす。
「うん。寝てただけ。もう、時間?」
「ああ」
ククルは窓から差し込む光が、橙色になっていることに気づいた。
「これから早めの夕食取って、準備だ。ほら」
ユルはククルに、弁当を差し出した。本人もここで食べるつもりだったらしく、ククルの傍に腰かけて自分の分の弁当を膝に置く。
「みんなは?」
「広い会議室で食べてる」
「ユルは行かなくていいの?」
「……別にいい」
ユルは首を振って、弁当の蓋を開けた。ククルも食欲はなかったが、弁当の蓋を開けた。煮物や野菜が中心で、肉は煮物の鶏肉ぐらいだ。
ちらりとユルの方を見る。弁当の内容は同じだった。
ククルは元々、肉をあまり食べない。だからこれで十分だが、ユルには足りないのではなかろうか。
「ユル。そんな野菜ばっかりでいいの? お弁当、みんな共通なの?」
「いや。オレがこれ頼んだだけだ。なんか、肉や揚げ物を食う気しなくてな」
ユルは淡々と答えて、箸を動かした。無理矢理詰め込んでいるような、機械的な食べ方だった。
「……具合、悪いの?」
「いや。緊張してるだけだ」
「ユルでも、緊張するんだ」
「お前、オレを何だと思ってるんだよ。大和に来てから、魔物退治はたくさんしたけど、ここまで大がかりな捕り物は初めてなんだ。それも、オレが作戦の中心だ。それに」
ユルは何かを言いかけて、口をつぐんだ。
(きっと、「本調子じゃないのに」って言いかけたんだ)
ククルは割り箸を割り、里芋を箸で掴んだ。
(私――結局、ユルを治せていない)
物理的な傷なら、治せるのに。どうして、
(私、何しに来たんだろう)
また、泣きたくなってきてしまった。
食べ終えると、ククルは誘導されるままに所長の部屋に連れていかれた。
「ありがとう、雨見くん」
「いえ。では、オレは先に行ってます」
一礼して、ユルが行ってしまう。心細くなって向き直るククルに構った様子もなく、伽耶はまた煙草を口にする。
「一本吸ってから、行くわね」
許可を取るでもなく、報告のように呟いて伽耶はまた煙草をふかす。
数分後、伽耶は灰皿に煙草を押しつけて火を消した。
「ねえ、名前で呼んでもいいかしら」
いきなり伽耶に問われて戸惑ったが、ククルは小さく頷いた。
「そう、良かった。……ちょうど、そろそろ日が暮れるわね。さあ、行きましょう。ククルさん」
促されて、ククルは伽耶と共に事務所を出た。見れば、事務所には自分たち以外のひとは、ほとんどいなくなっていた。ユルや弓削の姿は、もちろんなかった。
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