第九話 学問 3

 かくして、二人は昼食の内容を決め、大学にほど近い蕎麦屋に入った。


 ククルもユルも、天ざる蕎麦を頼んだ。


「おいしい……」


 ククルは、しゃくしゃくと、しその天ぷらを齧る。しみた天つゆが、何ともいえない滋味を出している。蕎麦の方は喉越しがよく、今日のような暑い日にはぴったりだった。


「いらっしゃいませー」


 店に入って来たのは、小奇麗な恰好をした女子二人組だった。大学生だろうか。


(みんな、ばっちり化粧してるな……)


 ククルはまだ、日焼け止めを塗っているぐらいである。そろそろ化粧をしなくては、と今日実感してしまった。


 頬に触れると、その動作が気になったのか、ユルが目をすがめた。


「どうかしたのか?」


「……私も、お化粧した方がいいかなって」


「はあ? 何だよ、いきなり」


「なんとなく……。すれ違った女の人、みんな綺麗にお化粧してたから」


 ククルの理由を聞いて、ユルは肩をすくめた。


「好きにすりゃ、いいんじゃねえの」


「うん……」


 相槌を打ちながら、考えてしまう。ユルの、別れた独逸人の彼女は、どのぐらい美人だったのかと。聞けば嫌な顔をされそうだから、聞かないけれども。


「そういや、この後どうする? 観光してもいいけど。お前、修学旅行行けなかっただろ」


 突然の提案に、ククルはちゅるっと蕎麦を啜って目線を上げた。


 ユルはとっくに食べ終わったらしく、頬杖を付いてこちらを見ている。


「私ね……ミッチーランドに行きたいの」


「え。あそこは、今からじゃ厳しいな」


 ユルは難しい顔をして、腕を組んだ。


「他のところは諦めてもいいんだけど、あそこだけは諦めきれなくて」


「行くとしたら、明々後日になるな……」


「そっか、明日は魔物退治だものね」


「ああ。朝方まで、かかるかもしれないからな。明々後日でもいいなら、付き合ってやるけど」


「いいの!? やった!」


 ククルは思わず万歳をしてしまった。斜め前に座っていた一人客の会社員男性に、ぎょっとして見られたが、構やしない。


「今日はもう、いいのか?」


「うん。疲れちゃった」


 ククルはため息をつき、蕎麦をつゆに浸す。ただ大学に来て、うろついていただけなのに、妙に疲労していた。


 明日は魔物退治なのだから、ユルも休んでおいた方がいいだろう。ククルは正面のユルを、じっと見つめる。荒みは、大分ましなようだ。しかし、完全に取れたわけでもない。何か間違っているのだろうか。


「ねえ、ユル」


「うん?」


「ユルは、契約を思い出したんだよね。それって、私に関することは思い出してないの?」


「……ああ、そのことか。オレが思い出したのは、大和で魔物を狩ることが使命ってところだけ。天河ティンガーラが魔物を引き寄せるってことは、思い出したんじゃなく気付いただけだし……本当に、一部しか思い出してない。お前に関することは、さっぱり」


「そっか……」


 ちゅるん、と蕎麦を啜り終えて、ククルは蕎麦湯を啜った。


「私たちの記憶って、わざと神様が消したってことはないよね?」


「それはないだろ。多分、ニライカナイから帰還する時に負担がかかったせいだ。帰りは、二人とも行きより力がなくなっていたはずだからな――。だが、敢えて神々がオレたちを思い出させることはないだろう。契約なんだからな。オレたちが使命を果たさなければ、神々がまた干渉するだけの話だ」


 ククルはユルの説明を聞いて、真剣な顔で口をつぐんだ。


 神々の干渉。またティンやユルや、ククルのように神々に振り回される人間が出てきてしまうかもしれない。――これは一種の、神々との駆け引きなのだ。


「ユルは、どうやって思い出したの?」


「……どうやって、だったかな」


 ユルが考え込んだ時、女性店員が空になった湯呑に冷たいお茶を注ぎ直してくれた。どうも、と礼を言ってユルは茶を一口飲んでから、話を続ける。


「ある日、ふっと思い出したんだよ。……ああ、オレ大和に行かなくちゃいけないんだって――。進路考えてた時だったか」


 ――魔物が溢れれば、災いも溢れる。災いは海を通して琉球に流れ来る。災いを防ぐため、魔物の溜まる都市トウキョウに行き、魔物を狩ること――。


 そんな声を思い出したのだと、ユルは語った。


「なるほどね……」


 ふと、ククルは窓の外を見やる。トウキョウは今日も、人で溢れている。人が多ければ、負の感情はそれだけたくさん溜まる。魔物はそれから生まれることもあり、負を栄養に育つこともある。育った魔物は災いを引き起こし、人に負の感情を与える――。


「でも、すぐにはトウキョウに行かなかったよね。それでも大丈夫だったのかな」


 ニライカナイから帰って来て、ざっと二年半は琉球に留まっていたことになる。


「多分、猶予があったんだろ。オレたちの力が目覚めたのは、帰って来て一年後だし。すぐに行かないといけない、ってわけでもなかったんだろう」


「うーん、なるほど。神様も、待ってくれたのかな」


「待ってる、というよりもあっちの方が時間過ぎるの遅いから悠長なんだろ」


 ユルは相変わらず、遠慮なくものを言う。もっとも、ユルは自分の親という感覚があるからかもしれないが。ククルにとって、海の神は祖先でもどこか遠い存在だ。ティンを殺したことは許せないが、それは祖母が神に願ったせいもある。海神だけが悪い、というわけでもない。


 それに、神々に善悪があるとは思わなかった。人間と感覚が違いすぎるだけで。その“ずれ”が、あの悲劇を引き起こしたとも言えるのだが。


「そろそろ行くか」


 ユルが伝票を持って立ち上がったので、ククルもゆっくりと腰を上げた。


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