第九話 学問 2
「いいなあ、妹系。水臭いなあ、いいなあ、あんな親戚」
河東は扇子で自分を扇ぎながら、ひたすら羨ましがっている。
うるせえな、と毒づいてユルは本を広げた。
「なんか、純朴そうでいかにも萌えーって感じだよね」
「いい加減やめないと、はっ倒すぞ」
雨見くん怖ーい、と河東は体を震わせていた。
「つーか、怒らないので言いなさい。あの子、昔の彼女とか?」
「……ちげえよ。ただの親戚。妹みたいなもん」
頬杖を付いて答えると、河東は納得するどころか悔しそうに身をよじらせていた。
「正に妹系! イケメンはやっぱり有罪!」
ひとしきり騒いだ後、河東は、はたと動きを止めた。
「ん? あの子、君より年下ってこと?」
「いや、同い年だ」
「ってことは、大学生?」
「違う。あいつは、故郷でノロやってんだよ」
「ノロって……ああ、琉球の――巫女さんみたいなものだっけ」
河東は思い至ったらしく、「へー」と感心していたが……
「い、妹系で巫女さんって! やっぱりギャルゲーじゃないか! ずるすぎる! ……ああでも、ギャルゲーの巫女さんにしては胸が足りな……」
「殺すぞ」
「ごめんなさい」
河東は速攻で謝っていた。
「雨見くん、いつも以上に怖いんだけど? 止めてよ? やっぱり、妹系には甘いんだねー」
からかうように言われて憤然とした時、部室の戸が開いて女子学生が二人、男子学生が一人入って来た。
「ちわっすー。部長は忘れものしたから遅れるそうですよー」
伝言を口にしながら、男子学生が先に入って来る。
「部長、ルーズだなあ」
河東は笑ってから、ユルに向き直った。
「じゃ、部長抜きで先に始めちゃうか。……ああ、そうそう。雨見くん。君の捜してた本、見つけて来たよ。後で渡す」
「悪いな」
「うん。しかし、君って結構オカルトな趣味があるんだねえ」
まあな、と答えてユルはいにしえの書物に目を落とした。
学内を一通り見て回ったククルは、校舎の外に出た。声が聞こえる方向に足を進めると、テニスコートがあった。
(大学生といえば、テニス……な気がする)
というか、あまり知識がなかったククルは大学の部活と聞いて、ユルはテニスサークルに入ったと思ったものだ。
ユルがテニスなんて似合わないか、と若干失礼なことを思いつつ、フェンスの向こうで楽しそうに打ち合う女子を見やる。
なんとなしに、高校を思い出してしまった。高校生活は、学校というものに慣れていないククルには大変だったし、緊張してばかりだった。だが、今思い出せば不思議と懐かしい。
友達もできたし、新鮮な体験ができた。ユルも、なんだかすごく優しかったような……。今が優しくない、というわけではない。ただ、あの時はずっと傍にいて、気遣ってくれていたように思う。
そういえば、とククルはふと思う。
もしかしてユルは、高校の時にも彼女がいたのだろうか?
ククルは考え事をしながら、白っぽい服のテニスウェアに身を包んだ女性を見つめる。
まさか、と一蹴しそうになる。でも、ユルは隠し事をするから――その可能性だって、ゼロじゃなかったのだ。
特に、三年生になってからは、少し気まずい関係が続いた。あの時、一緒にいた時間は少ない。
(ユル、妙にもててたしなあ)
ククルはため息をついて、その場から離れることにした。
別に、ユルの交際関係を把握する必要なんてないのだ。それこそお節介、だろう。婚約者だよ、とククルにトゥチを紹介してくれたティンと、ユルは違うのだし――。
――関係、ないだろ。
あの硬質な一言は、ククルに予想以上の衝撃を与えていたのだった。
その時、電話の音が鳴り響いた。ククルは手提げ鞄から、携帯を取り出し、受ける。
「はい」
『今、終わったから。お前今、どこにいる?』
ユルの声だった。まあ、他にかけて来る人もほとんどいないので、ユルだと思って受けたのだが。
「外にいるよ。テニスコートの前」
『そうか。じゃあ、外で待ち合わせた方が早いな。門のところに行っといてくれ』
「わかった」
承諾し、電話を切って鞄に仕舞う。
さあ門に向かおうと、ククルは歩き始めた。考え事をしながら、ぼんやりふらふら歩いていると、突如どんっと誰かにぶつかってしまって、ククルは尻もちをついた。
見上げると、背の高い茶髪の男性が大げさに嘆いた。
「あー、いったあ。骨折れちゃったじゃん。どうしてくれんの」
彼の台詞を聞いて、連れの男性が大笑いしていた。
「……ご、ごめんなさい」
「あっはは、この子信じてるよ!」
彼は声をたてて笑う。明らかに嘲りを含んだ笑い声に、ククルは唇を噛みしめる。
「合コン中止になって凹んでるのに、ぶつかられて俺カワイソー。君が、慰めてくれる?」
彼は屈んで、ククルの顔を覗き込んだ。
「あれ。君、化粧もしてないの? こりゃ、微妙なの引っかけちゃったか」
「……」
一体どう答えればいいかわからないが、とにかく馬鹿にされていることはわかった。
「……こいつに、何か用か」
声が響いて、いつの間にかユルがククルの前に、庇うように立っていた。
「え? いやあ、この子にぶつかられたから謝罪を求めているだけ」
「悪かったな。オレから謝っといてやろう。これで満足か?」
ユルの睨みに気圧されたのか、青年たちはにやにや笑いながら行ってしまった。
ユルは黙って、ククルに手を伸ばす。有難く、その手を取って立ち上がる。怪我は、と端的に問われて「大丈夫」と答えた。
「あ、ありがと。ぼーっとしてたら、ぶつかっちゃって。気を付けないとね」
わざと明るく言ってみせたが、無理しているのが伝わったのだろう。ユルは首を傾げた。
「何か言われたのか?」
「……ううん。大丈夫だったよ」
「なら、いいけど。――何か食って帰るか」
ユルはあくびをかみ殺しながら、歩き出した。ククルは彼の後を追う。
「何食べるのー?」
「……そういや、お前、まだ大和らしいもん食ってないんじゃねえか」
「それもそうだね」
昨日のお昼はパスタだったし、夕食は琉球料理だった。しかし、大和らしい料理とは何だろう。
「大和っぽい料理って何……?」
ククルが尋ねると、ユルは顎に手を当てて考え込んだ。
「うーん……昼飯で大和の料理といえば……そばとか、うどんとか?」
「なるほど! トウキョウは、どっちのがおいしいの?」
「トウキョウなら、そばだろ」
「じゃあ、おそば食べよう」
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