第九話 学問
ククルとユルは朝食を済ませた後、大学に向かった。
「ふわあ……大きい」
夏休みということもあってか、大学内は閑散としている。建造物の大きさ、敷地の広さに驚いて、ククルはきょろきょろしてしまった。
木陰が多いので、少し涼しい。蝉時雨を意識しながら、ククルはユルに付いて歩いて行った。
広い廊下を歩き、ユルは一室の前で足を止めた。からり、戸を開く。
中には誰もいなかったが、机の上に荷物が置かれていた。今ここにいないものの、先客がいるようだ。
「わー、本いっぱい」
本棚に、所狭しと本が並んでいた。
「古書研究会って、何するの?」
「古い書籍を読み解いたり、研究したり……って名目だが、各々勝手に読んでるのが実態だ。ゆるい集まりなんだよ」
ユルは本棚から一冊取り出した。和綴じ本のそれの題目は、古い琉球語だった。
「あ、琉球語!」
「それでも読んで待ってろ。オレ、飲み物買いに行って来る。お前もいる?」
頷くと、何がいい、と問われたのでククルは「さんぴん茶!」と元気に答えた。
「さんぴん茶……あったっけな……」
呟き、ユルは部室を出て行ってしまった。
ククルは、ぱらぱらと本をめくった。いつの時代の本だろう。
椅子に座ったところで、戸の開く音がした。もうユルが帰って来たのかと思ったが、そこに立っていたのは見知らぬ青年だった。
でっぷりした体形に、丸眼鏡。暑いのか、しきりにタオルで額を拭いている。
「……んん? 君、誰?」
問われ、ククルは慌てた。
「あ、あの。私、ユルの、その、親戚で……」
「んー? ああ、雨見くんが連れて来たのか」
彼はククルを、まじまじと見つめる。
「素朴な妹系か……。ちぇ、これだからイケメンはずるい」
妹系、とはどういう意味なのだろう。ククルは戸惑いながらも、立ち上がった。
「金髪美女と付き合うわ、妹系を連れて来るわ――全くイケメンってやつは」
彼は笑いながら、机の上にあった鞄に手を伸ばした。
「金髪美女?」
ククルが問うと、彼は動きを止めた。
「あれ、知らないの?」
「う、うん」
「えーっと、僕の口から言うのはアレかな」
ククルは、じーっと彼を見つめた。教えてほしい、との念をこめて。
「ちょ、そんな子犬みたいな目で見ないでほしいなあ。……君、故郷から来た幼馴染兼恋人とかじゃないよね?」
「……違う。親戚」
その答えを聞いて、彼は「うーん」と唸った。
「まあいいか、内緒にしろって言われてないし。雨見くんは、最近まで
「ど、どいつ……」
西欧の国だっけ、とククルは必死に考える。
「どうして、独逸の人と?」
「えー、留学生交流会で知り合ったはずだよ。僕も詳しくは知らないけどね。まあ、安心しなよ。もう別れたはずだから」
「どうして別れたか、知ってる?」
おずおずと聞いてみると、彼は肩をすくめた。
「彼女の方が、事情があって母国に戻らないといけなくなったんだとさ。それで別れることになったんだろう」
「……へえ。どんな人だった?」
「何度か見たぐらいだけど、悔しいぐらいの美人だったなあ。あ、そうだ。エリカに似てたな」
「えりか?」
「えーと、待って。これこれ」
首を傾げたククルの前に、彼は携帯の画面を突き付けた。
アニメ絵の、金髪美少女だった。やたら目が大きく、豊かな胸が強調されている。
「……そうなんだ」
いまいち把握できなかったが、とりあえずかなりの美女なのだろう。
ククルが目をぱちぱちさせている間に、彼は携帯をポケットに仕舞っていた。
「ていうか、肝心の雨見くんはどこに行ってるんだい?」
噂をすれば影、という具合に、彼が口にした途端に戸が開いてユルが入って来た。
「……あれ、
河東、というのが、この青年の名前らしい。
「どうも、雨見くん。いやあ、びっくりしたよ。部室に戻ったら、いきなり女の子がいてさ。もしかして、僕の幼馴染――いないけど――が、僕を追って来たのか!? それとも義理の妹か!? すわギャルゲーの始まりか!? ……って興奮したら、君の知り合いなんだもんなあ。君のギャルゲーかよ」
河東がまくしたてると、ユルは呆れたようにため息をついてククルの傍に歩み寄って来た。
「さんぴん茶はなかったから、緑茶にしたぞ」
「うん、ありがとう」
「返事しろっ!」
河東がじたばたすると、ようやくユルが振り返った。
「暑いのに元気だな。……まあ、紹介しとく。こいつはオレの親戚。ククルっていう」
「ええと、和田津ククルです」
今更ながら、ククルは名乗って頭を下げた。
「ども、河東です。雨見くんの親戚ってことは、琉球の子だよね。君も、こっちに住んでるの?」
問われて、ククルは首を横に振った。
「ううん、普段は琉球にいます」
「ええっ。ってことは、大和には観光に来たのかい」
「……はい」
本当はユルを迎えに来たのだが、そういうことにしておいた方がよさそうだと判断し、ククルは頷いた。
「それで大学にも見学に来た感じ? この後の集まりにも出る? 結構専門的な話するから、つまらないかもしれないけど」
河東は意地悪ではなく、純粋に心配で言ってくれているような口調だった。この後他の部員が来るのだろうし、人見知りなククルは一旦出ておいた方が気楽だと考えた。
「じゃあ、ユルが部活出てる間は私、大学を見て回ろうかな。いい?」
ククルが首を傾げると、ユルは小さく頷いた。
「そんなに、時間かからないと思う。終わったら電話する」
「うん。それじゃ、お邪魔しました」
河東に一礼して、ククルは部室を出た。
さっき聞いた話が消化しきれていないこともあり、一人で考える時間がほしかった。
しんとした廊下を歩き、ククルは適当に大学内をうろつくことにした。
広々とした空間に、人はまばらで。考え事にはもってこいだった。
(別れた、のは確定なんだよね)
しかし、まさか外国の……しかも西欧の人と付き合っていたとは、予想外だった。
どうして、もやもやするのだろう。
あれ、とククルは気付いて足を止めてしまった。
もしかして、これが――
(独占欲――)
首を振り、ククルはうつむいた。
(兄様とトゥチ姉様のことを祝えたように、いつか祝えるのかな)
子供じみた独占欲はきっと、いつか消えてくれるだろう。将来、ユルが誰を選ぼうと祝福しなくては。姉妹として……。
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