第八話 逡巡 4
「あー、この時代に来る前だけどな。オレが人魚の島に落ち延びたことは、知ってるよな」
「うん」
ユルは本島から逃げて、八重山に来た。そこにあった島の一つが、人魚の島だ。ユルはしばらく、そこで倫と暮らしていたはずだ。
「しばらくは、お前も会った夫妻の家に厄介になってたんだが……一月後ぐらいに、空き家に移り住むことにしたんだ。そこで二人暮らしだったから、倫先生はオレに料理教えてくれたんだよ」
「……倫先生、料理もできたの?」
ククルは思わず、箸を落としそうになってしまった。
大陸の皇帝にも見えたことがあり、琉球の王があらゆる手段を使って、王子のために招いた才人――それが倫だ。そんな偉人だというのに、料理もできたとは――。
「料理は頭を使うんだって言ってた。それが面白い、ともな。……まあ、それでオレにコツを教えてくれたわけ。料理は、ほとんどオレ担当だったな。倫先生は島人から教えを請われたりして、忙しかったから」
「……」
それでなのか、とククルは納得した。家事がきっちりできるのも、その暮らしがあったからこそ、なのだろう。
「今と昔じゃ勝手が違うけどな――今のが楽だし。まあ、オレは昔習ったことを応用してるだけ」
短く答えて、ユルはお茶を口に含んでいた。
「ユルって、倫先生のこと本当に好きだったんだね」
思わず、言葉が零れ落ちた。ユルは不審そうに、ククルを見る。
「何だよ、いきなり」
「……倫先生のこと話す時、表情が和らぐもの」
「……」
ユルは返事をせず、ごはんに箸を着けていた。
ユルの中には今も、二人の人物がいる。倫先生と、清夜王子だ。倫先生はユルにあらゆることを教えた。清夜王子はユルに名前と存在価値を与えた。
二人を失った時の哀しみは、いかばかりか――想像するだけで、胸が痛んだ。
(私は、ユルの何にもなれない……)
ククルはユルが切り捨ててしまえるぐらいの存在なんだろう、と実感してしまう。
ユルはきっと、ククルみたいに離れたことを淋しくも思わなかったのだろう。自分ひとりで生活して、新しい世界を作って、違う人と関係を築いて。ユルの世界はどこまでも、ククルなしで完結してしまう。
淋しい、哀しい、切ない。そんな気持ちが渦巻く。
「どうした?」
声をかけられ、ククルは意識を戻した。
「ううん、何でもない」
ククルは首を振り、和え物に箸をつけた。
「魔物退治は、明後日するんだよね?」
「ああ。……あ、そうだ。明日、オレ大学行くから」
「大学? 勉強しに行くの?」
「いや、休みに入る前に、サークルの最後の集まりがあるんだ」
「さーくる?」
ククルはきょとんとして、首を傾げた。
「部活みたいなもんだな」
「へー。何に入ったの?」
「古書研究会と留学生交流会」
「へえー」
なんだか真面目なものに入っていて、驚いた。
「そっか、ユルも留学生かあ」
「一応な。ほぼ大和人扱いだけど」
「明日は、どっちの集まりなの?」
「古書の方。……お前、明日はどうする?」
問われ、ククルは視線を彷徨わせた。
「付いて行って、いい?」
「いいけど」
「えっ、いいの!」
許可されると思っていなかったので、思わず身を乗り出してしまった。
「一人にしとくと、要らないことしそうだし」
「しないし! 失礼なこと言わないでよっ」
むっとして、ククルはすまし汁を啜った。
「……ま、とりあえず明日の予定は決まりだな」
「うん」
ククルはわくわくしていた。大学ってどんなところなのだろう。
ぼんやりしながら、テレビを見やる。遠い国の戦地の、ニュース映像が映っている。
「ユルが、テレビ買ってるとは思わなかったなあ」
「オレが買ったわけじゃねえよ。前の住人が残して行ったやつ」
「ドライヤーと一緒?」
と聞くと、ユルは頷いていた。ふうん、と相槌を打ってククルは考え込む。
前から思っていたが、ユルは嘘はあまりつかないようだ。ただ、隠し事をするのだ。たまに人が来るから食器が余分にあるというのも、嘘ではなかった。ただ、それが女性だっただけで。
ユルの口ぶりからすると、今は交際していないようだ。ただ単に、彼女が帰省しているだけかもしれないが……。
しかし、もしユルが大学に入ってから付き合ったのだとして、今別れているというのは――どうも、期間が短すぎるのではあるまいか。
(うーん、でもおかしくはないのかな……)
聞きたくてたまらなかったが、昨日の「お前には、関係ないだろ」という台詞をまた言われるかと思うと、胸がぎゅうっと痛んだ。
今日は、体調が悪いのだからユルにベッドを譲る、とククルが主張し、その提案が受け入れられることになった。
寝支度を済ませた後、ククルはユルにベッドに寝転べと促す。
「何するんだ?」
問いながら、ユルは怠そうに横たわった。昨日よりはまし、とはいえ、やはり彼は憔悴しているようだ。
「ちょっと試してみたいことがあるんだ」
電気を消し、室内に闇を満たす。
「
名を呼ぶと、手に小刀が顕現した。碧い光が、刀身から放たれる。
ククルは命薬を手にして、横たわるユルの傍で膝立ちになった。そっと刀身を、ユルの頬に当てる。
気持ちいいのか、ユルの目が細められる。頬を、首を、肩を、小刀で撫でる。すると、いつの間にかユルは眠ってしまった。
(効果、あるみたいだね)
ホッとして、しばらく命薬でユルの体を撫でていた。
命薬から溢れる碧い光は眩しすぎず、優しい。だからか、まるで水底にいるような感覚に陥る。眠気を誘われ、ククルはあくびを噛み殺した。
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