第八話 逡巡 3



 フラペチーノを飲み終わり、ククルはぼんやりと外を眺めていた。行き交う人は、相変わらず多い。せかせかと歩く人ばかりで、みんな何をそんなに急いでいるのだろう、と不思議に思う。


「……待たせたな」


 声をかけられ、顔を上げるとユルが傍に立っていた。彼は眠そうにあくびをかまして、ククルの前に置かれた、空になった容器を見やる。


「オレも何か飲もうと思うんだけど、お前ももう一杯頼むか」


「うん」


「何がいい?」


 どうやら、頼んで来てくれる腹積もりのようだ。ククルが注文口に行くと、時間がかかるせいかもしれないが。


「あったかいの。甘いやつ」


「……もうちょっと具体的に言えよ」


「えーと、うーん」


「わかったわかった。適当に頼んで来てやる」


 面倒になったのか、ユルは話を切り上げて行ってしまった。


 しばらくして、ユルはカップを二つ持って戻って来た。


 目の前に置かれたカップを「ありがとう」と言って持ち上げ、口につける。ほろ苦さと甘みが広がり、ククルは息をつく。


「おいしい。これ何?」


「カフェモカ」


「かふぇもか……」


 なんだか響きがかわいらしい、と思いながらククルはもう一口飲んだ。冷房とさっきの冷たい飲み物で体が冷えていたため、温かさにホッとしてしまう。


「さっきね、弓削さんが奢ってくれたんだよ」


 ククルの発言に、ユルは眉をひそめた。


「弓削が?」


「そう。注文で困ってたら助けてくれて、その上、奢ってくれたの。いい人だね」


「……あいつ、愛想はいいからな」


 ユルは肩をすくめ、カップを傾けていた。


「颯爽としてて、すごいなあ……。大和の男性って、みんなあんな感じなの?」


「んなわけねえだろ」


 一蹴されてしまったが、ククルは先ほどの弓削を思い出していた。温かな笑み、洗練された動作、柔らかい声。そう、まさに――少女漫画に出て来そうな男性ではないか。いつかユルが「こんな男いないだろ」と言っていたが、ユルの方が間違えていたことになる。


「何、にやにやしてんだよ」


「えへへ」


 上機嫌なククルとは裏腹に、ユルは不機嫌になったらしい。


「お前、気を付けろよ」


「へ?」


「あいつ、ああ見えてタラシだからな」


「……たらし」


 ぱちぱち、とククルは何度も瞬きをする。そんな風には、見えなかったが……。


「ああ、でも大丈夫か」


 急に、ユルの声音に意地悪な響きが滲む。


「さすがのあいつも、子供には興味ないだろうしな」


「こ、子供じゃないっ!」


 ククルが顔を赤くして言い募ると、ユルはからから笑った。何やらツボにはまったらしく、なかなか笑い止まない。


「笑わないでよ!」


「ああ、おかしい」


 私はおかしくない、と呟いてククルは頬を膨らませる。


 話を逸らしたくて、ククルはふと口を開く。


「ねえ、ユル」


「うん?」


「私、ちゃんとユルの荒みを治す方法探るからね。少しだけ、我慢して」


「ああ……そのことか。多分、命薬ヌチグスイが鍵だよな」


 ユルは急に真剣な顔になり、ククルを見据えた。


「うん。今日はどう? ちょっとましに見えるけど」


「そういえば――今日は以前より、疲れてないな」


「そっか。実は、夜中にユルに触れたんだ。私の手が、癒しの力を持つのかもしれない。今日、色々試してみようね」


 ククルの提案に頷いたユルの表情はやはり、昨日よりは穏やかに見えた。


(私が来たこと、無駄じゃないはず。……必ず、捜すんだ)


 決意を新たに、ククルは拳を握り込んだ。




 家に帰ったククルは、急激な眠気を覚えた。今日は、ずっと気を張っていたようなものだから、疲労が襲って来たのだろう。


「……眠い。ユル、昼寝していい……?」


 玄関に上がったところでそう言うと、ユルは呆れたように肩をすくめた。


「好きにしろ」


「では、お言葉に甘えて……」


 ククルは今にも倒れ込みそうになる体に鞭打って、なんとか寝室まで辿り着いてベッドに飛び込んだ。すぐに、瞼が降りる。


 それから何時間ぐらい眠ったのか。目を覚ました時にはもう、窓の外は昏かった。


 ベッドから降りて、ふらふらと寝室の外に出る。壁時計の針は、七時を示していた。


(……よく寝た)


 帰って来たのが四時ぐらいだったから、ざっと三時間ほど眠ってしまったようだ。


 いい匂いがする、と思って台所を見やると、ユルが振り返った。


「あー、起きたか。そろそろ起こそうかと思ってた。運ぶの手伝え」


 どうやら今夜は、ユルが料理を作ってくれたらしい。


 頷き、台所に行くと、もう皿に盛られた料理が並べられていた。ククルはそれを机まで運ぶ。


 皿を並べ終えたところで、二人で卓を囲む。ユルはリモコンでテレビをつけていた。しかつめらしい男性アナウンサーが、早口でニュースを読み上げている。


 いただきます、とほぼ同時に言って二人は食べ始める。


 ククルは何気なく、ゴーヤチャンプルーを口にし、目を見開いた。


「お、おいしい」


 昨日ククルが作ったものとは、比べものにならない。何だろう、この滋味なる美味さは。


 ユルはそう得意になるでもなく、淡々と食べている。


「何でこんな、上手なの? 誰かに習ったの?」


 問うと、ユルの視線がテレビから外れた。

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