第八話 逡巡 2

 手を差し出され、ククルはおずおずと握手を返す。


「和田津ククルです」


「かわいい名前だね。……よるの連れだから、琉球の人かなと思ったんだけど、当たりだよね?」


 かわいい名前、と言われて照れながら、ククルは弓削がユルを夜と呼んだことが、気になった。ユル、ではなくヨル。大和の読みだ。


「よる?」


 ククルが首を傾げると、弓削は思い至ったらしく、苦笑した。


「ああ、本当の読みはユルなんだっけね。うーん、実はさ……彼が入って来た時、先に字の方を見たんだよね。それで、夜って漢字は大和ではヨルだからさ……。勘違いして、ずっとヨルって呼んでたわけ。あいつもなぜか、訂正しなくて」


 訂正しなかったんだ、とククルは驚いてしまう。


(ユルはあんまり、名前にこだわりがないのかも……?)


 ユル、という名前は清夜王子が自分の名前から取って、ユルに与えたものだ。それ以前、ユルの名前はなかったという。


「ユルという読みだと気付いたのは、最近でね。もうすっかり、ヨルと呼ぶことに慣れてたから、そのまま。あいつも、別にそれでいいと言ってたし」


「そうなんだ……。他の人も、ヨルって呼ぶの?」


「いいや、他の人は大体苗字で呼ぶからさ」


 首を振り、弓削はコーヒーのストローをくわえた。そこでククルも思い出したように、フラペチーノを啜る。柑橘の酸味は爽やかで、甘いクリームとちょうどいい具合に調和している。


「……おいしい。弓削さん、注文ありがとうございました。あ、それに奢ってくださって……」


「いえいえ。あんまりこういう店に、慣れてないのかな?」


「……はい」


 琉球というか信覚島にも似たような店があったが、こちらの方が高級な印象を受ける。やたら椅子が高いし、ククルが気後れするような洒落た内装だ。


「君はユルの……えっと、妹じゃないよね? 似てないし、苗字も違うし」


 弓削に問われ、ククルは答えに窮する。


「私は、ユルの――親戚です」


 この答えが、一番無難だろう。


「へえ、そうなんだ。なんだかあいつ、故郷のことあんまり語りたがらなくてね。今日君と一緒に来て、驚いたよ。親戚でも、特に親しかったのかな?」


 弓削の目には、好奇心が浮かんでいた。どうしてわざわざ所長に会いに行ったか、興味があるのだろう。


 隠すことでもなし、とククルは口を開いた。退魔事務所の人間なら、詳しいことを言っても理解してくれるだろう。


「実は私、神女ノロなんですけど」


「ノロ?」


「えーと、大和でいう……巫女さん、かな? 御嶽うたきという聖域を守ったり、神事をこなすのがお務めで」


「ああ、なるほど。ふうん。君には不思議な雰囲気があると思ったけど、そういうことか」


 弓削は納得したように微笑み、頷いた。


「ある朝、神様にお参りしたら、警告みたいな感覚を受けてしまって。それで、ユルに危険が迫ってるんじゃないか――って、不安になって。無理矢理、押しかけたんです」


 説明を終えると、弓削は眉を上げた。


「夜に、危険か――。その正体は、わかったの?」


「はい。ユルは、魔物を退治していく内に、何か荒みみたいなものを溜めてしまったみたいで……それを何とかしないと、危険だと……」


「なるほどね。それは、君がどうにかできるんだろうか?」


「多分――。いえ、どうにかしてみせます」


 強く言い直すと、弓削は幼子を見守るかのように目を細めた。


「それなら、何よりだけど。……さて、僕はもう行こうかな。君は、このまま帰るの?」


「いえ、ユルを待ってます」


「そっか。それじゃあね」


 ありがとうございました、と頭を下げてククルは弓削を見送った。彼は手を振り、行ってしまう。


 颯爽とした人だ、とククルは改めて感激してしまう。大和の男性は、みんなこんな感じなのだろうか……と思ったところで、ククルはくしゃみをした。


 店内の冷房で、体が冷えてしまったようだ。

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