番外編
番外編 花火
祭りが終わって、夏休みの残りもあと少し。
ククルは宿題をだらだらと進めながら、高良ミエと一緒に神事のやり方を教わって一緒に行う、といった夏休みらしい過ごし方をしていた。
一方のユルは相変わらず部屋で勉強ばかりしていて、出てくれば漢文の先生のところに行く……といった規則正しい生活をしていたので、お互いすれ違ってばかりいた。
(避けられてる、気がする)
ククルは、それが不満だった。ただ忙しいだけなのかもしれないが。祭りの前までのぎくしゃくとした関係ではないものの、溝が完全に埋められたわけではなかったらしい。
昼下がり。大きなため息をついて、ククルはベッドに寝転んで友人から借りたマンガ本を広げる。
その時、横に置いていた携帯電話が鳴り響いた。
「えーっと……」
苦労してロックを外し、耳にあてがう。
「はい。えーと、ククルです。じゃなかった、高良です。あれ?」
『ん? ククルちゃんだよね?』
「そうです」
『あれー、登録してくれてなかったっけ? 比嘉薫です』
「薫ちゃん! ああ、ごめん。未だに携帯の仕組み、よくわかんなくて。登録はしてるよ! よくわかんないけど」
そういえば、画面に比嘉薫と表示されていた……ような気がする。
「薫ちゃん、今日はどうしたの?」
『えーっとね。ククルちゃん、お祭り終わったんだよね。時間あるなら、一緒に遊びにいかないかなーと思って』
「う、うん! 時間ならたっぷりあるよ!」
この際、宿題のことは忘れておこう。御獄まわりの仕事をするのは早朝だし、それからなら出かけられるだろう。
どうせユルは私とは時間合わせてくれないもんね、なんて拗ねたことを考えながら、ククルは薫と遊ぶ計画を話し合った。
といっても、遊びにいくのは
連絡船は空いていた。窓から見える、どこまでも青い海と空に目をすがめて、少し心細さを覚える。
(ああ、そっか。ひとりで連絡船乗るの、初めてだ)
いつもユルと隣り合わせで乗っていたから、不安に思うのだろう。
(でもこれから、ひとりに慣れないと)
ユルは大和に行ってしまうのだから。
今日は、ユルが起きてくる前に朝食を取って、出てきた。薫と遊んでくることは、高良夫人に言い残しただけだ。
高良夫人は、特に何も聞かなかった。きっとユルには既に言っていると、思っているのだろう。
(でも、ユルは私の保護者でも何でもないんだから……)
兄妹神として、ふたりでひとつの力を使っていた時とは違う。
ユルの力は
ふと、ククルは胸元に締まった首飾りを取りだした。
海色に輝く宝石に魅入り、考える。
これはユルの傷だけを癒す不思議な短剣なのに。ユルがいなくなったら、役割を失ってしまうのだろうか。
どうか、と願ってククルは宝石に頬をつける。ほのかに温かい気がした。
(この力が、祈りの力に変わればいいのに)
離れていても、ユルを守れるように。
薫は昨日、『とうとう八重山にもタピオカが上陸したよ!』と、誘ってくれたのだ。はて、タピオカとは何なのか…………わからないまま、ククルは彼女の誘いに応じたのだが……
「す、すごい行列!」
開店して間もないのに、もう行列ができている。
「仕方ないよー。つい先週、できたばかりの店だし。本格タピオカティーの店なんだよ」
「へ、へえ。ところでタピオカって何なの?」
「うーん、説明が難しいね。ま、飲めばわかるって。ククルちゃん、甘いもの好きだから気に入ると思うよ!」
薫は早く飲みたいのか、そわそわしていた。ククルたちの後ろにも、ぞろぞろとひとが並んでいく。
(信覚島に、こんなにひといたっけ?)
いくら八重山で一番人口の多い島といっても――と考えたところで、ククルは気づいた。観光客も混じっているのだと。
「ところで、ククルちゃん」
薫に声をかけられて、ククルは我に返る。
「何?」
「雨見くんは、来なかったんだね」
薫は、ユルも誘ってはどうかと提案してくれたのだ。その時、ククルは曖昧に「うーん」と答えておいた。
「……そもそも、甘いもの好きじゃないし」
「断られたの?」
「ううん。誘ってない」
「え!?」
「というより、行くこと自体言ってない」
「えええ!?」
薫は驚き、大きな口を開けていた。
「そ、それはだめなんじゃない?」
「だめじゃないよ。ユルも、自分がどこに行くか言わないもの。だから、私も言わないの」
「で、でも雨見くんの過保護っぷり……失礼、ククルちゃんへの気遣いぶり見てたら、それは……」
「ちゃんと、家のひとには言ってあるよ。ユルが疑問に思ったら、聞くでしょ」
「ククルちゃん。何か、あったの?」
薫は真顔になって、ククルに向き直った。
「何も、ないよ。ただ、私はこの手を放すだけ」
もう契約にも縛られていないユルを、見送るだけ。
抽象的な台詞に薫は眉をひそめ、それ以上は聞かなかった。
タピオカミルクティーは、甘くておいしかった。ククルはお代わりしようか迷ったぐらいだ。だが、またあの行列に薫を付き合わせるのも悪くて、その後はふたりで商店街をうろついた。
雑貨屋で、薫が「あっ」と言って、透明なビニールに包まれたものを持ち上げた。
「線香花火だ」
「本当だ。線香花火だけ?」
ククルも、花火はしたことがある。去年、高良のおじさんが買ってきてくれたのだ。その時にやった花火は、たくさんの種類が入っていて、ククルはワクワクしたものだった。
線香花火は最後にするんだよ、とおじさんが教えてくれた。
「単体で売ってるのも、あるんだね。八本入りかあ。……ククルちゃん! これ、私からのプレゼント。雨見くんとやりなよ!」
「へ!? ど、どうしてそうなるの!?」
「まあまあ、いいから」
薫はにこっと笑って、ククルの許可も取らずにレジに行ってしまった。
結局、薫は線香花火を押しつけるようにククルに持たせてくれた。
そしてククルはひとり、連絡船で神の島に帰った。
家に入って「ただいま」と言う。台所から、いい匂いがしている。ちょうど、夕食の支度中なのだろう。
ククルは洗面所で手を洗ってから、二階へと続く階段を上っていった。階段の軋む音で気づいたのか、部屋からユルが出てきて、廊下で鉢合わせする羽目になった。
「……ただいま」
「…………」
おかえり、の一言もなく。ユルはククルを睥睨する。また背が伸びたのか、前より威圧感が増している。
ククルは視線に耐えきれなくなって、うつむいた。
「何で、何も言わないの」
「それはオレの台詞なんだが」
「言ってる意味が、わからないよ」
「…………何で出かけること、言わなかったんだよ」
なんてものわかりが悪いんだ、とでも言いたいのかユルは舌打ちしていた。
「言う必要、ある?」
「はあ?」
「ユルは、私に何も言わず全部決める! いっつもそう! ひとりで何も言わずに出かけるし、私に言わない! 大和の大学に行くのだって、自分で勝手に決めたじゃない! だから、私も勝手にしていいじゃない!」
怒鳴り終えて、ククルは肩で息をした。
ユルの目から、先ほどまで宿っていた怒りが消えていた。代わりに、凪いだ海のような、静謐な切なさをたたえていた。
「ああ、そうだよ。オレは勝手にする。オレは自分で身を守れるからだ。お前はどうなんだ。今まで何回、魔物に襲われかけたんだよ」
ユルは身をかがめて、ククルの頭に腕を置いた。
「お前は、魔物にとってはご馳走だ。ティンにも、嫌になるほど言われただろ」
「…………うん」
「昔に比べりゃ、魔物は減ってるように思える。でも、まだいる。だから……お前はひとりで出歩くな。どこかに行くなら、事前に言え。比嘉とお前が遊ぶのに、ついていくほど野暮じゃねえよ。でも、送り迎えぐらいしてやれるから」
そんなに優しく言われると、ククルはとても悪いことをした気になって、ますますユルの顔を見られなくなってしまった。
「ごめん、なさい」
「……ああ」
そのまま、ユルはククルの横を通り過ぎようとしたので、ククルはその腕を掴んだ。
「何だよ」
「あのね、薫ちゃんがプレゼントくれたの。花火。今夜、一緒にしない?」
わずかに震える声で誘ってみると、ユルは「いいけど」とあっさり返事をして、今度こそククルを置いていってしまった。
その夜。ククルとユルは、庭で花火をした。
「線香花火だけって、なんかわびしいな」
「そうかなあ。他のは賑やかすぎるし、私はこれだけでいいよ」
ユルは物足りなさそうだったが、ククルには線香花火だけで十分だった。
去年やった花火セットは、何だか怖かった。特に怖かったのはネズミ花火で、逃げ惑うククルを見てユルが大笑いして、ククルは大層怒ったのだった。
(そんなことも、あったっけね)
今となっては、懐かしい思い出だ。
満天の星の下で潮の香りを嗅ぎながら、ぱちぱち爆ぜる線香花火にククルは目を細めた。
同じようにしているユルを見て、思わず泣きそうになる。
今日、どうしてあんなに意地を張ってしまったのか。
ユルの大人びた反応で、気づいてしまった。
(行かないで)
なんて、言いそうになる。
でも、ユルを縛る権利なんてない。
きっとユルは、ククルより先に大人になってしまったのだろう。なのに、ククルは、がんぜない子供のように、「行かないで」と喚きそうになっている。
そんな差が辛くて、苦しくて。切ない。
ククルが唇を噛みしめているうちに、ぽとりと、輝き終えた線香花火が白んだ土に落ちた。
(了)
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