第七話 再会 7
遠くに響く、男女の笑い声で目を覚ました。
ククルは身を起こし、窓を覗き込む。見下ろすと、四人の男女が大笑いして歩いていた。
(びっくりした……)
窓の外は、神の島では考えられないぐらい、明るい。街灯が点いているし、まだ開いている店もある。マンションと思しき建物も、ところどころ電気がついていた。
明るすぎて、落ち着かない。トウキョウの夜は、なんて騒がしいのだろう。
神の島はもちろん、そこよりも人口が多い信覚島でも、数百年前の夜空を思い出すこともあった。だが、ここではそうもいくまい。夜でも人工的な光に溢れたこの町は――とても、現代的だった。
(こんなところで、ユルはよく眠れるなあ)
首を傾げて、ベッドから下りる。喉が渇いた。水でも飲もうと思って、寝室を出る。
ユルも寝たらしく、リビングは昏かった。ユルを踏まないように、とククルは懐から首飾りを取り出す。暗闇でも光る海色の宝石は、こういう時に便利だ。
海色の光が、室内をぼうと照らす。その光を見ていると、発ってからそう時が経っていないというのに、もう故郷が恋しくなってしまった。
潮騒も聞こえない、温かな闇もないこの町で……ユルは、淋しくないのだろうか。
ふと、床で横たわるユルの傍に膝をつき、そっと、宝石を掲げる。彼は少し眉をひそめて、眠っていた。
さらりと頬を撫でる。
(霊力が、濁ってる)
どうすれば治してやれるのだろうと考えながら、しばらく触れていると、ユルの表情が和らいで来た。触れることによって、少しは癒せているのだろうか。
髪を撫で、頬を撫で、肩を撫でる。
ユルが呻いて寝返りを打ったところで、ククルは立ち上がった。少なくとも、今夜は彼に優しい眠りが訪れることだろう。
「おい、起きろ」
素っ気ない声が響いて、ククルは覚醒する。
「んー……」
ぼんやりした視界に、ユルが映る。ユルは少しむすっとした顔で、こちらを見下ろしていた。
(あれ、どうしてユルがいるんだっけ。ユル、琉球に戻って来たんだっけ)
混乱した頭は、窓から聴こえて来た自動車の音で、ようやくはっきりし始める。
「ああそうだ……ここ、大和だっけね」
「寝ぼけてんのかよ、お前。さっさと支度しろ。買い物行くんだろ」
「うん……」
ククルはようやく、起き上がった。するとユルが、ぎょっとしたような顔になった。
「どうしたの?」
「……別に。着替えたら、さっさと出て来いよ。今日は、朝飯も外で食べるからな」
ふあい、と返事すると同時にユルが寝室から出ていく。
そこでククルは、浴衣の前が大きくはだけていたことに気付く。
「……」
寸法が合ってなかったから仕方ないね、と自分で言い訳してベッドから降りる。
着替えてから寝室を出て、顔を洗うと一息ついた。
(……よく寝た)
リビングに戻ると、ユルはテレビでニュースを見ていた。
ククルはその隣に座り、ぼんやりと天気予報を眺める。
「そういえば、昨日ちょっとテレビ見たけどチャンネルいっぱいあってびっくりした。大和はすごいね……」
ユルは呆れたように肩をすくめ、リモコンでテレビを消す。
「支度できたなら、行くか」
「うん」
二人は同時に立ち上がった。
夏でも大和は涼しいのかと思ったが、琉球とはまた別の暑さでとても涼しいとは言えなかった。
琉球の暑さは南国の暑さで、照り付ける太陽の暑さだ。しかし、大和の――トウキョウの暑さは、コンクリートの地面から立ち昇る陽炎の暑さだった。こういう暑さに慣れていないククルは、家から出て近くのカフェに辿り着くだけでも、何だか疲れてしまった。
やたら洒落たカフェに入り、ククルは落ち着かなくてきょろきょろしてしまう。
注文を取りに来た若い男性店員が、ユルに「あれ、新しい彼女?」と聞いていた。ユルは小さく何事か答えつつ、ククルの分の注文も済ませてしまった。
新しい、彼女?
ククルは呆然として、頭の中でその言葉を反芻する。新しい、ってどういうことだろう。
「……ユル」
「何だよ」
「もしかして、今は住んでないけど……前は誰かと一緒に住んでたの……?」
その質問に、ユルはばつが悪そうに目を逸らした。
「たまに、来てただけ。一緒に暮らしてたわけじゃない」
「女の人?」
「……」
沈黙が、答えだった。
「お前には、関係ないだろ」
素っ気なく、温度のない声で言われて、頭の奥の方がしんと冷える。
「……そうだね」
そうだ、関係ない。ユルが恋人を作ろうが作るまいが、ククルには関係ない。ククルはユルの、かつての妹で、遠い親戚。彼の行動を咎める権利は、何もないのだった。
(そうだ。割り切らなくちゃ)
ククルはわざと、明るい笑顔を浮かべた。
二人は朝食を取った後、ショッピングモールに向かった。
ククルはその広さと人の多さに圧倒され、早くも酔いかけた。
「お前、買い物する金あるのか?」
問われて、ククルはぐっと詰まる。
「トウキョウって、物価高い?」
「高いな」
「……大丈夫な、はずだけど」
旅に出るに当たって、困らない程度には財布に入れて来たはずだ。
ユルはククルの不安を察したのか、ため息をついた。
「しゃあねえな。オレが奢ってやるよ」
「え、でも」
「で? どこの店入るんだ」
ユルは、朝だというのに元気な通行人を眺めつつ、ククルに質問する。ククルは、かあっと赤くなった。
「ま、まずは」
「うん」
「下着、買いたい」
「……お前さあ」
「うん?」
「ゴーヤ入れるより、他のもん入れて来いよっ!」
ぐに、とユルに頬の肉をひねられる。ユルの怒りは、もっともだったので、ククルは何も言えずに肩を落とした。
「さ、先に下着は自分で買って来るから。ここで待っといて」
近くにあるベンチを指さし、ククルはユルの返事も聞かずに走り出した。
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