第六話 離別 3
いつしか、眠ってしまったらしい。この体勢で眠るなんて自分でも器用だ、と思いながらユルから離れる。
ククルのせいで彼の襟がすっかり乱れてしまっていたので、気まずい気持ちを抑えて襟元を直してやる。
そっと、目線を上げる。ユルは起きていた。黒々とした目で、ククルを静かに見つめている。
「……ユル」
ごめん、と言おうとしたが、ユルが口を開く方が早かった。
「いい、何も言うな。……お前も、今は納得できなくても、これでよかったと思う日が来るさ」
ユルはククルから離れ、すっくと立ちあがった。
「おやすみ」とだけ言い残して、ユルは部屋から出て行ってしまった。
残ったよそよそしい空気に、ククルは唇を噛む。
絆を築くのは、あんなにも大変だったのに。壊すのは、こんなに簡単なのか。
それから、二人の間には確実に溝ができてしまった。話すことは話すけれども、どこかよそよそしくて。
ユルはきっと、悔いているのだろう。ククルが付いて来ると言っても、拒めばよかったと。
ククルは、時が過ぎないようにと祈った。けれども、時は非情にぐんぐんと過ぎて行ってしまった。
ククルは気を紛らわすように、舞の練習に打ち込んだ。
その甲斐あって、夏の祭りでは昨年とは違って、しっかりとした女踊りを披露することができた。
去年はユルが代わりに踊ってくれたんだっけ、と思い出しながら、ゆったりとした動作で舞う。
(かえりたい)
去年はあんなにも、心が通っていた二人なのに。今、観光客に混じって舞台上のククルを見るユルの目は、罪悪感をはらんでいる。
あの時に、戻りたい。屈託なく笑い合って、支え合って。
(私が、悪いのに)
ユルにあんなことを言ってしまった自分が悪い。でも、それでも、ククルに相談もせずに大和に行くと決めたユルのことが、どうしても許せない。
こんな苦い気持ちを抱えながら、離れ離れになるなんて――。
ククルの考え事は、愛しい者を亡くした女――この踊りの役どころに、ぴったりな悲哀を添えたらしい。最後の構えを決めると、盛大な拍手が響いた。すすり泣く声さえ聞こえて来る。
ククルはぺこりと頭を下げてから、観客を見る。ユルは複雑そうな表情で、手を叩いていた。
祭り後の打ち上げの途中、ククルはユルに話があると言われた。二人は島人に挨拶をしてから、宴会を抜け出す。
いつかおぶわれて通った道を、今度は二人並んで歩く。
夜の浜辺は、静かだった。響くのは潮騒の音のみ。潮騒に混じって星の声さえ聞こえて来そうなぐらい無数の星が輝く夜空が、二人を見下ろしていた。
ユルは海を見つめてから、ククルを振り返った。
「……悪かった……」
ユルは顔を背け、また海の方に向いてしまう。
「お前の提案に飛びついて、悪かったよ。お前には、トゥチもカジもいたのにな。家族だっていた。……オレは一人で行くべきだった。オレには、誰もいなかったけど――お前には、親しい者がいたんだし」
その淋しげな台詞に、虚を突かれる。
「……時を遡る方法があるかもしれない。大和に行って、捜してみる。何とかして、お前を帰してやるよ」
「違う!」
突如叫んだククルを、ユルはびっくりしたように振り返る。
「違うの、ユル……。私、ニライカナイに行ったことは後悔してない。あの時はそうしないと、私も辛かったもの。ちゃんと、覚悟を決めて渡ったの」
ちゃんと言わないと、と思うのに嗚咽が漏れる。
「帰りたい、って言っちゃったのは、ユルがいなくなるから淋しくて――ユルは淋しく思ってないことが、悔しくて。あんなこと言っちゃったの。ごめん……傷付いたよね……」
ごめん、と幾度も謝り、ククルは腕で涙を拭った。
「……」
ユルは一歩ククルに近付き、首を傾げた。
「帰りたく、ないのか?」
「……たまに、トゥチ姉様やカジ兄様に会いたくはなる。でも、帰れないってことわかってるもの。大丈夫」
「そうか――」
頷きながらも、ユルの表情はどこか痛ましかった。
「なあ、前も言ったけど今生の別れじゃねえだろ。そんなに、傷つく必要ないだろ」
「うん……」
それでも、ククルは淋しかった。
ユルが、ククルから離れたがっているのが、わかるから。
「どうして、ユルは私から離れたいの?」
直球の質問に、ユルは眉を上げた。
「離れたいわけじゃねえって。ただ、大和の大学に行きたいだけだ」
「……そっか」
相槌を打ちながらも、ククルは自分の力が恨めしかった。研ぎ澄まされた
ユルは、嘘をついていた。
本当は、ククルから離れたいと思っているのだと考えると、哀しくて切なくて――また泣いてすがりそうになってしまった。
でも、どうしようもない。ユルが決めたことなのだから、ククルに止める権利はなかった。
元の時代と違って、自由な時代になったのだ。ユルはきっと、ククルという足枷から逃れ、自由に生きたいと願ったのだろう。
(それなら私は、祝福してあげないと)
人を祝福するのだって、ノロの大切な役目だ。
「わかったよ」
だからククルは哀しい気持ちを抑えて、涙を流しながら微笑んだ。
それから、二人の関係は少し改善した。前のように気まずくないし、話す回数も増えた。
けれど、どうしても去年のように、というわけにはいかなかった。薄くとも確実に、二人の間に壁ができてしまっていた。
ユルの受験勉強は順調に進んだようで、無事に第一志望の大学に合格していた。ククルは、お祝いに何か贈ろうと考えたのだが、結局思いつかないままに卒業式がやって来た。
「ククルちゃーん。淋しくなるよ!」
卒業式の後、比嘉薫は卒業が哀しいと言って、しくしくと泣いてククルに飛びついて来た。
校庭は、ククルと薫のように別れを惜しみ合う生徒で賑わっている。
「私も……。薫ちゃんは、本島に行くんだってね」
「うん。ナハにある専門学校行くから……」
薫は美術系の専門学校に行き、漫画家を目指すのだという。
本島に行く者、大和に行く者、それ以外の外国に行く者、地元に残る者――と、卒業生の進路は様々なようだ。
「ククルちゃんは、故郷でノロ継ぐんだよね」
「そうだよ。帰って来た時、会おうね」
「もちろん! ……雨見くん、大和行くんだってね。離れ離れになって、大丈夫なの?」
問われ、一瞬ククルは戸惑ったが、すぐに笑顔を浮かべた。
「平気だよ。私、子供じゃないし」
「そうじゃなくってさ……」
薫は、ちらりと、男子生徒たちと談笑するユルの方を見やる。
「遠距離になるじゃない?」
「え? あ、うん?」
たしかに大和は遠いが……。
「大和でも、首都のトウキョウの大学だよね? 誘惑いっぱいだと思うから、ククルちゃんが頑張って、つなぎとめておくんだよ!」
「……うん?」
薫は一体、何を言っているのだろうか。わからなくて、ククルは首を傾げた。
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