第六話 離別 2



 それから、ククルが進路の話題に触れることはなかった。ユルの方も、特に言い出すでもなく……まるでその話題は、一旦保留になったかのようだった。


 時が過ぎるのが怖くなったのに、そう思えば思うほど、時の速さがいや増したようだった。




 冬が過ぎて春がやって来て、ククルは三年生になった。


 放課後、帰る準備をしていると、教師がユルに「後で職員室に」と告げた。


「先に帰っといてくれ」


 ユルはそう言い、鞄を片手に教室を出て行ってしまった。


 ククルは友人に挨拶をしてから、教室を出て廊下に立ちすくんだ。迷ったものの、ククルは下駄箱には向かわずに、職員室に向かった。


 半開きになった戸から、そっと中を覗き込む。幸い、と言うべきか、担任の机は入り口から近いところにあった。


 ユルは担任の机の近くに佇み、真剣な面持ちで頷く。耳を澄ませると、二人の会話が聞こえて来た。


「まあ、この前の模試の結果を見ても、お前の成績なら志望校に通るだろう。頑張りなさい」


「……はい」


「大和の大学の中でも、国際色の強い、いいところだよ。先生の友達が行ってたんだけどね――」


 ばたん、と音がしてククルは自分が鞄を落としたのだと悟る。その音に気付いたのか、ユルが首を巡らす。


 目が、合った。


 ククルは後ずさり、尻もちをついた。慌てて立ち上がり、鞄を持って――駆け出す。


「ククル!」


 後ろからユルの声が飛んできたが、振り返らなかった。




 ――大和。


 ククルが行ったこともない、異国。そこに、ユルが行ってしまう。


 家に帰ってすぐ、ククルは部屋に閉じこもった。ベッドの上に座って、ぼんやりと天井を眺める。


 てっきり、琉球の大学に行くのだと思っていた。それでも淋しかったのに……大和、なんて。


 しばらくじっとしていると、扉を叩く音が耳を打った。


「……」


「……入るぞ」


 許可も取らず、ユルは勝手に宣言して入って来た。


「……どうして」


 彼を見上げ、問い詰める傍から涙が滲む。


「どうして、大和に行っちゃうの……。何で、言ってくれなかったの……」


「――どこでも、一緒だろ。どうせ、八重山諸島には大学ないんだし」


「だけど! だけど、全然違うよ! 大和は、外国だよ!」


 いくら近くたって、昔は同じ国だったことがあっても、大和は大和で――琉球とは違う。文化も、本来の言語も違う。


「考えてた志望校に届くってわかったのは、今日だ。だから、今日言おうと思ってた」


「……」


 ククルはうつむき、片手で涙を拭った。


「別に、内緒にしてたわけじゃねえよ。お前、詳しく聞かなかっただろ」


「そうだけど――」


 そこで、ククルは過去の行動を後悔した。淋しさに負けて対話を拒んだのは、たしかに自分だ。


「オレは――あんまり、本島には行きたくないんだ。……わかるだろ」


「うん……」


 ユルは都の、城の中で生まれた。神の子として生まれ、簒奪者として育てられた。都に、いい思い出がないのは、道理だろう。


「なら、外国の大学にするかなって考えてさ。大和なら、一度は同じ国だったこともあって、色々都合もいいみたいだし、言葉も困らないし……って考えたんだ。大体、ここから本島に行くにも飛行機使わないといけないだろ。大和でも琉球でも、そんなに変わらねえよ」


 ユルはため息をついて、ククルの隣に腰を下ろした。


「ユルは、帰って来る?」


 その問いに、ユルは頬杖をついて目を細める。


「長期休暇には、帰って来る。夏とか、冬とか、春とか」


「……そうじゃなくて。卒業したら、帰って来る?」


 驚いたように、ユルはククルから目を逸らす。その視線が、物語っているようだった。


「わからねえよ、そんなこと」


「ど、どうして」


 嘘でも、帰って来ると言ってほしかった。


 ククルは、ずっとここにいるのに。ユルはここから離れ、帰って来るかもわからないと言う。


 いつしか、涙が滂沱と溢れていた。


「……泣くなって。きょうだいって、そういうもんだろ。いつか、離れるもんだ」


 がしがしと、頭を乱暴に撫でられる。ティンとは似ても似つかない、粗暴な動作。初めは、その荒々しさに反発したこともあった。でも、彼の優しさに気付いてからは、ククルはユルにずっと懐いていた。家族として――。


 ククルは涙をほろほろ流し、しゃくりあげる。


 わかってはいた。兄妹神は、永遠に兄妹神ではいられない。いつか兄は婿入りして、妹は婿を取って、次代の兄妹に力を譲るのだ。


 でも、ククルとユルは最後の兄妹神だから――永遠に離れないものだと、呑気に考えていた。違ったのだ。もう、二人は兄妹神ですらない。二人で使う力はないのだから。


 ククルは命薬ヌチグスイを、ユルは天河ティンガーラを、それぞれ別個に使うことができる。


 今も島人は二人を兄妹神と崇めてくれるが、実際はもう違うのだ。


 いつしか、ククルは泣き止んでうつむいていた。その様子を見てホッとしたのか、ユルはククルから手を放す。


「……じゃあオレ、着替えて来るから」


 ユルはそう言い残して、思い切ったように立ち上がった。ぱたん、と空疎に響く扉の閉まる音を聞きながら、ククルは動けなかった。




 夕食の折も、ククルはずっと押し黙っていた。伊波夫妻は心配そうだったが、どうにもできなかった。


 湯浴みをして、部屋に戻る。それから、部屋の電気もつけず、窓から覗く夜空をぼんやり眺めていた。


 街中ということもあって、昔と同じぐらいの星が見える――というわけでもないが、こうやって夜空を見ていると、何も変わっていないのではないかという、気分になった。


 本当は時なんて越えてなくて、家を出ればトゥチやカジが迎えに来てくれるのではないか。


 そう思ってしまうのは、帰りたいからだ。


 覚悟を決めてニライカナイに渡ったのに、どうして今更帰りたいなんて思ってしまうのか。友達だって、できた。神の島の島人は親切だ。高良家や伊波家は親身になってくれている。


 ぽたり、涙が落ちる。


 ユルと離れるのが、こんなにも心細い。そしてククルがこんなに淋しく思うのに、彼が平気な顔をしているのが辛い。


「……まーた、泣いてんのかよ」


 振り向くと、ユルが勝手に入って来たところだった。


 彼は目を逸らすククルの傍に座り込み、ため息を落とす。


「何でそんな、泣くんだよ。今生の別れってわけでもないだろ」


「だって……帰って来ないって言うし……」


「わかんねえ、って言っただけだろ。ああもう、やりにくいな……」


 ユルはククルを引き寄せ、胸に抱いた。薄い浴衣ごしに、体温が伝わる。


 ユルは黙って、ククルの頭を撫でてくれた。


「お前は、オレがいなくても大丈夫だよ」


「……どうして、そんなこと言うの」


「自立しろって言ってるんだ。お前は一人で立たないと。オレにべったりじゃ、結婚もできねえぞ」


 その言葉に、どきりとする。


「結婚、しないもん。私、もてないし」


「ふうん」


「それに――私、子供産めない体になったんだよね? 結婚する必要、ないし……」


「子供できなくたって結婚する奴いるだろ。つーか、お前は養子取らないといけないだろ。次のノロだっけ?」


 つらつらと、ユルはまるで世間話をするように続ける。


「結婚しないと、養子取れないの?」


「どうだっけ。知らね」


 適当な答えに憮然としたが、次の瞬間、嗚咽と共に声が漏れた。


「……かえりたい……」


 ユルの手が止まった。


「……帰る、って」


「元の時代、帰りたいよお……」


 ひどいことを言っていると、自分でもわかっていた。付いて行くと言ったのは、ククルなのに。初めはユル一人で行こうとしていたのに。


 ユルがどこか、罪悪感を覚えていることは、知っていたはずなのに。


 でも、ユルは怒らなかった。ただ、弱々しいため息をつくだけで。


「帰りたい、帰りたい……」


 傷付けるとわかっていて、嘆きが止まらない。それは、ユルがククルを一人にしてしまうから。卑怯な復讐にも似た行動を、止めることができなかった。


 ユルは何も喋らず、動きもしなかった。ただ、ククルの涙と嘆きを胸で受け止めるだけで。

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